Optimal Taxation in Theory and Practice

最適課税理論(Optimal Taxation Theory)に関するMankiw, Weinzierl, and Yagan (JEP2009)によるサーベイのまとめ。最適課税理論に関するサーベイはいろいろあるけれども、最適課税理論から得られる教訓を整理するだけではく、それらが実際に採用されているかという点にも焦点を当てているのが他と異なりすばらしい。Mankiwらしく理論と実践のバランスの取れたサーベイである。

最適課税理論というのは常にポピュラーな分野だと思う。あるモデルを作って、そのモデルにおける均衡がある基準から評価すると最適ではないときに、課税方法を変更することによって最適な状態に近づけることができるかを考えることは自然なことだと思う。なぜ課税理論であって、一般的な財政政策や金融政策でないかというと、財政政策や金融政策の効果はモデルの組み方によって大きく異なりうる、つまり普遍性の高い議論がしにくい(特に、どうして貨幣を保有するかについて経済学者の間でも意見が一致していない金融政策においてそれは顕著である)一方、課税方法がインセンティブにどのような影響を与え、それを通じて経済全体の効率性や公平性にどのような影響を与えるかについては、経済学者の間で意見の相違があまりないことが大きいと思う。その他の財政政策(特に教育支出や失業保険に関する政策)の最適理論については、最近研究が蓄積されているが、これからもっと発展していくのではないかと思う。

本題に戻ろう。このサーベイは、最適課税理論から得られた教訓8個を並べ、それらが現実にどの程度採用されているかをひとつずつ見ていくという形式をとっている。以下では同じ形式に則る。

1.最適な限界税率曲線(収入レベルに応じた限界税率をあらわす)は「能力」の分布度合いによって異なる。課税理論において最も重要なトレードオフは、他の多くの経済問題と同じく、「効率」と「公平」である。労働収入に対する課税を考えてみよう。一般的に、税率を高くすればするほど、働く意欲や能力を向上して収入を上げる意欲を削ぐことで効率が損なわれる。一方、税収を増やせばそれだけ低収入の人に補助金を支給することができ、公平の面で改善することができる。能力(生産性と考えても差し支えない)が異なる人が存在している場合、異なる能力の人の税率をあげたときの効率と公平への影響は異なる。但し、この教訓は一般的過ぎるので、現実に適用されているか評価するのは難しいと筆者らは述べている。

2.高収入の人に対する最適限界税率は下がる可能性がある。この教訓は一見おかしいように見えるかもしれない。高収入の人に対する税率は上げていくほうが公平性を改善できるからだ。なぜこのような結果が得られるのか。収入が最高に高い人を見てみよう。その人より収入が高い人はいないので、最高の収入における限界税率を上げたところで税収は増えない。その一方、最高収入の人は限界税率が上がることで働く意欲をそがれるだろう。つまり、この教訓は、最高収入の人唯一人にのみ当てはまる、頭の体操のようなものなのだ。実際、この教訓は、モデルにおける仮定に強く依存することが知られている。では、この教訓は実践されているだろうか。驚くべきことに、ほとんどのOECD諸国において最高限界税率は下がってきている。OECD 諸国の平均最高限界税率は1984年には80%程度だったのが、2007年には60%程度まで低下した。

3.一律税率(でいいのだろうか、Flat taxのことである)と一律補助金(Lump-sum Transfer)の組み合わせが最適課税に近い可能性がある。一律補助金は置いておくとして、OECD諸国において税率はフラットに近づいてきている。言い方を変えれば、累進性(progressivity)の度合いが下がってきている。過去25年の間に、OECDの中の14カ国のうち9カ国で累進性が低下した。つまり、高所得の人の限界税率と低所得の人の限界税率が近づいてきている。OECD14カ国の平均では、平均所得の2.5倍稼いでいる人の限界税率と平均所得の2/3稼いでいる人の限界税率の差は1981年から2006年の間に4.5%低下した。

4.最適な再配分の度合いは賃金格差とともに拡大する。賃金格差が拡大すれば同じレベルの税引き後所得格差を維持するためには税の再配分機能を高める必要があるので、この教訓は自然である。OECD諸国のデータによると、11か国中9カ国で、収入格差が上昇したときには税の再配分機能が強まった。

5.税率は収入だけではなくて個々人の特徴(学歴、IQ、年齢、性別、背の高さ、肌の色、人種、等)に依存するのが最適である。これには二つの理由を挙げることができる。一つは、税率は収入ではなくて能力に依存させるのが望ましいが、収入は能力に関する不完全なシグナルだということである。よって、能力と相関の高い他の特徴(学歴や背の高さ!)にも税率を依存させることで、税率と能力のリンクをより強めることができる。もう一つは、人によって、税引き後の賃金が下がった際の労働時間の反応(elasticity)が異なる場合である。税率にかかわらず同じ時間働く人(low labor supply elasticity)は税率を上げても労働時間があまり減少しないので労働投入量をあまり変えずに税収を増やすことができる一方、労働時間が税率に敏感に反応する人(high labor supply elasticity)の税率は上げない方が望ましい。現実にはどうであろうか。ある程度は、個々人の特長によって税率は異なっている。ほとんどの国で子供のいる人や障害のある人の実質税率は低くなるように設定されている。但し、最適課税理論が推奨するレベルまで個々人の特徴に応じて税率が調整されているとは言いがたい。一般的に、生まれたときからのもので個々人がコントロールできない特徴(性別や肌の色、人種(ある程度はコントロールできるが))に応じて税率を変えるということは社会的に受け入れられにくいようだ。一つ面白い例は、年齢だ。シンガポール、オーストラリア、U.S.では高齢者の税率は低くなっている。しかし、最適課税理論から導き出されるほどの微調整は行われていない。

6.最終消費財のみ課税されるべきである。そして、税率は一律であるべきだ。前者はDiamond and Mirrlees (1971)の有名な結論、後者はAtkinson and Stiglitzの有名な結論である。VAT (Value Added Tax)はこの教訓に基づいている課税方式である。OECDの3カ国において、1976年には12カ国だけがVATを採用していたが、2004年にはU.S.を除く29カ国においてVATは主要な地位を占めている。しかも、VATを採用し続けている国においてVATの重要性は上がってきている。1976年には平均して税収の16%がVATからきていたが、その割合は2004年には20%まで上昇している。多くの国において食料のような生活必需品はVATが免除になっているケースが多い一方、ある特定の商品にかけられる物品税(タバコ税や酒税のようなもの)の相対的な重要性は低下してきている。後者は、一律税率の原則に沿う動きである。

7.資本所得(capital income)に課税してはいけない。これは、有名なChamley-Juddの教訓(Zero Optimal Capital Income Taxation)である。この結果は次の三つの方法で解釈することができる。(1)資本所得への課税は、貯蓄への課税と同じである。つまり、資本収入に課税することは資本蓄積を阻害し、将来にわたる生産力を減退させる。(2)貯蓄は将来の消費に使われるので、貯蓄への課税は将来の消費に対する課税を同じである。現在の消費に課税せずに将来の消費に課税するのは一律課税原則に反する。しかも、先の将来に行けば行くほど雪達磨式に課税額が増えていくので、一律課税原則に2重の意味で反している。(3)資本は生産のための中間財としても捕らえられるので、資本収入への課税は中間財への課税と同じことであり、最終消費財のみ課税すべきという原則に反する。現実にはどうだろう。OECD諸国の法人所得税率をみると、1980年代には50%程度だったものが、2007年には30%以下まで下がってきている。その一方、税率だけではなくて、全体でいくら資本所得が課税されているかというデータを見ると、資本所得課税は強化されているという結果もあり、なんともいえない。一つ言えるのは、最適課税理論で最適とされる税率(0%!)と現実は大きく異なるというものである。

8.長期的な課税方法を考えた場合、最適課税は、過去の収入の歴史や現在の資産レベルに依存し、それらが労働収入と資本収入に対する課税方法に与える影響は単純ではない。この教訓は、現在最先端の動的最適課税理論(Dynamic Optimal Taxation Theory)に関連している。上であげた7つの教訓の内の多くは、Mirrleesの静的モデルに基づいているが、動的最適課税理論はそのフレームワークを文字通り動的なものに拡張したものであり、現在のマクロ経済学の最先端の分野の一つである。一方まだこの分野は日が浅いので、理論から得られる教訓も多くはあいまいで、現実との整合性を考えられるステージに達していない。一つ例を挙げると、この理論から、障害保険(Disability Insurance)は資産がある一定レベルに達している人にのみ与えるべきだという教訓が導き出される。この教訓はOECDの10カ国のうち3カ国でしか実施されていない。

最初にも書いたが、理論と実践のバランスが取れているという意味で、このサーベイはとても優れていると思う。JEPのお手本のような論文である。最新の動的最適課税理論の部分が弱かったのが残念だが、このことは、この理論がまだ若いことの裏返しだろう。今流行りの分野の一つではあるがこの分野の評価が固まるのはまだまだ先のようだ。

Fiscal Multiplier

財政政策に関する論文の発表を聞く機会があったのと、各国が財政支出を大幅に拡大している中、財政支出の効果は重要なトピックなので、頭の整理がてらメモしておく。

財政支出を拡大することによって経済にどのような影響を与えることができるのだろう。この効果を性格に把握することは、財政支出の効果を適切に評価し、最適な財政政策を考える上で重要である。財政支出と減税で効果がどのように異なるかいうのも重要なトピックであるが、ここでは考えない。興味のある人はこのエントリも見てほしい。

VARを使った分析によると、財政支出を1ドル増やした際に、同じ四半期において、GDPも民間消費支出も増加するけれども、増加の幅は1ドルより小さいというのが、VARを用いたさまざまな論文に共通する結果である。Perotti (2007)の数字が、さまざまな論文で得られた結果のちょうど真ん中あたりに位置するので、彼の数字を挙げてみる。Perottiは、財政支出の1ドル拡大に対し、GDPは70セント、民間消費支出は10セント増加すると計算した。

この数字はケインジアン的には何も不思議はないが、ちょっと小さい。昔の教科書的なメカニズムによると、乗数効果(multiplier)といって、財政支出1ドルがGDPに与える効果は1ドルを上回るからである。ただし、Hallは、70セントという数字の誤差は大きいといっている。つまり昔のケインジアン的な乗数効果も完全に否定されたわけではない。

より深刻な問題は、現在のスタンダードなマクロモデルではこのような結果は得られないというものである。では、メカニズムを考えてみよう。まず、財政支出によって購入されるモノは、消費者が自発的に買うものであってはならない。もし、国民全員が薄型テレビを買う予定でいて、政府が財政支出で国民全員に薄型テレビを買ってあげれば、その分ちょうど民間消費が減るだけだからだ。このような状況では財政支出1ドルの増加に対してGDPは0ドル変化し、民間消費は1ドル下がることになる。これでは話が終わってしまうので、以下では、政府は、軍事支出などの、民間の消費に影響を与えないモノを買うと仮定する。

そのような状況でも、財政支出が増えると、将来いずれかの時点で増税しなければならない。将来の増税を見越した消費者は消費を幾分減らし、減ってしまった消費の一部分を補填するためにより長い時間働くであろう。このような効果は普通Wealth Effectと呼ばれる。より長い時間働けば、おそらくはGDPは増えるであろう。

では、VARを使った分析から得られた結果を比べてみよう。財政支出の増加に対し、GDPはデータでもモデルでも増加する。一方、民間消費はデータでは増えるけれども、モデルでは減少する。しかも、財政支出の増加が一時的なもの(temporary)であれば、Wealth Effectは強くないので、財政出1ドルの増加に対して、GDPは70セントも増えないだろう。

このようなパズルに対して、以下の2つのまったく異なる答えが提出されている。

一つは、Valery Rameyの研究である。彼女は、財政支出が突発的に増えた例、すなわち戦争に焦点を当てた。最初に挙げたVARを使った研究では、財政支出が増えた四半期と同じ四半期にGDPと民間消費がどのように変化したかを見ているが、戦争の場合、戦争を開始するのに伴って財政支出が大幅に増えるのは普通3ヶ月以上前から明らかである。もう一度標準的なマクロモデルに戻ってみよう。戦争を開始するというニュースが明らかになったとする。標準的なモデルにおける反応は民間消費がすぐに落ち込むというものである。ただし、その後、消費が回復していくとすると、実際に財政支出が増えたとき(それはニュースが流れからしばらく時間がたった後である)に、民間消費も増えているということが起こりうる。彼女の最新の研究は、VARの結果が実際、このような戦争のニュースと財政支出のタイミングのずれによるものだということを示している。彼女の研究によると、ニュースが明らかになるタイミングを注意深く考慮すると、データでは、財政支出が1ドル増えるニュースが流れると、GDPは1ドル未満増加し、消費は減少するのである。つまり、データの動きは、標準的なモデルの反応と一致しているのである。但し、彼女の結果は軍事支出のデータに基づいていることに留意する必要がある。戦争というのは特殊な状況なので、一般的な財政支出の効果を測るのに戦争のとき(しかもサンプル数も少ない)のデータから得られた数字をそのまま使っていいのかというのは結果が出ていない。

もう一つの答えは、モデルを修正することでVARの結果とモデルの反応を一致させようというアプローチである。代表的なものはRotemberg and Woodford (1992)、Gali et al (2006)、Hall (2009)があるが、比較的シンプルなHallを軽く触れる。財政支出が増えたときに民間消費が増え、GDPが大きく増えるには何が必要か。Hallによると(1) Countercyclical markup(GDPが上昇するときには、労働生産性と賃金の比率が低下する)と(2) Highly elastic labor supplyの二つが最低限必要である。(1)の仮定があれば、GDPが増えたときに賃金が上昇することが可能になる。賃金が上昇すれば民間消費も上昇する。(2)の仮定があると、労働供給が賃金の増加に対して大きく反応し、GDPの反応も大きくなる。

最後に、Hallは、通常の金融政策が行われているときのfical multiplierが0.7(財政支出の1ドル増加に対してGDPが70セント増加する)であれば、ゼロ金利制約によって通常の金融政策が実施されないときには、fiscal multiplierは1.7まで上がる可能性があると言及している。

Mass Lay-offs and Endogenous Sex Selection

The Economistの記事より。元になっている論文は多分読んでもわからないだろうから読んでいない。

飢餓など、自分の子孫の存続が危ぶまれる状況下では、女の赤ちゃんが生まれやすいことが知られている。男に比べて女を産んだほうが将来に子孫を残せる確率が高いので、母親の体が、女の赤ちゃんを産みやすいように自動的に調整されるという仮説が立てられている。特に、受胎の段階で飢餓などの状況に直面するとストレスに関連したホルモンが自動的に多く分泌され、このホルモンは男の赤ちゃんが発生する確率を低めるというのがそのメカニズムではないかと推測されていた。

UC BerkeleyのRalph Catalanoによる研究によると、必ずしもそのメカニズムだけが働いているわけではないようだ。彼は、データのそろった先進国では稀になった飢餓の代わりに、大量解雇(mass lay-off)を見ることにした。大量解雇によって生じるストレスは飢餓に匹敵するというのが彼の議論である。大量解雇に巻き込まれた(大量解雇に巻き込まれて失業保険給付(Unemployment Insurance Benefit)を申請した)女性が男の赤ちゃんを産む確率を、母親全体で男の赤ちゃんを産む確率とくらべると、前者の方が明らかに低いことを彼は発見した。極端な例では、母親全体では52.4%の赤ちゃんが男である一方(普通男の子の赤ちゃんの方が生まれる確率が高い)、大量解雇が多かった月は男の赤ちゃんの割合が51.2%まで下がった月も見られた。

彼の発見でもうひとつ面白いのは、男の赤ちゃんが生まれる確率の自動調整は、受胎のずっと後でも起こるということである。従来の理論に従えば、受胎から大幅に時間のたった母親は、大量解雇に巻き込まれようが男の赤ちゃんを産む確率が下がることはありえないのだけれども、データでは受胎から大幅に時間のたった母親でも同じ傾向が見られるのである。

では、どういうメカニズムが働いているのだろう。考えられるのは、性の自動調整を実現するためのメカニズムはひとつではないということである。ストレスに直面している母親は、女より男を流産する確率が高まるということが考えられる(女の胎児の方が母親にかかるストレスに強いとも解釈できるだろう)。彼の次の研究のステップは、流産に関連すると見られるホルモンがストレスの変化によってどのように変化するかを計測することのようだ。

過去10年程の日本では女の赤ちゃんが増えているだろうか?

Consumption and Consumption Expenditure

経済学においては「消費(consumption)」というのは重要な概念である。もっともシンプルなモデルの場合、モデルの中の消費者は消費から効用(utility)を得、生涯にわたる効用を最大化するように意思決定(どのように消費するかの決定)を行う。

モデルにおける消費をデータと結びつけるときに、直感的には、消費支出(consumption expenditure)を見ればよいと思うのが普通だけれども、これにはいくつか問題がある。2つ挙げておこう。1つは、消費支出をして「モノ」を入手した後で、消費を長く楽しめるものはたくさんある。一般的には、耐久消費財(Durable goods)といわれるものである。iPodを買うための消費支出は普通1回きりだけど、iPodを楽しむ(消費する)のはその後長くに渡って続く。つまり、消費支出のパターンと消費のパターンは必ずしも一致しないのだ。同じことは、車、家のような典型的な例から、洋服、大きな牛乳のパックにもあてはまる。

もうひとつの問題点は、消費に時間を要する、あるいは、時間と組み合わせてのみ消費することが
できるものの存在である。DVDを考えてみよう。DVDを買っただけではDVDを楽しめない。時間をかけてDVDを鑑賞することで「消費支出」が「消費」になるのである。もうすこし一般的な言い方をすれば、消費財は消費支出をして買った「モノ」と時間を組み合わせて生産されるのである。食事の材料もその一例である。ジャガイモは買っただけでは楽しめない(そのまま食べるケースは忘れよう)。時間をかけて調理し、実際に食べることで消費できるのである。

またしても前置きが長くなってしまったが、本題に行く。シンプルな経済学の消費理論では、家を買ったとかいうような大きな変化がなく、予測されなかった変化(失業することが予測できなかったのが一例)もなく、貯蓄が十分にある(あるいは、必要な場合自由に借り入れにをすることができる)場合、消費のパターンはスムーズになることが最適(optimal)とされる。もし、実際の消費者が消費理論で想定されるように行動するならば、消費のパターンはスムーズになるのである。その一方、多くの人は、退職の前後で消費支出が大きく落ち込むことが知られていた。このことは、Retirement Consumption Puzzle(退職消費パズル)といわれている(経済学では、一般的な理論とデータがかみ合わないときにそれをパズルと名づけて、皆でそれの解決に当たるというのが頻繁に行われる)。

今までこのパズルに対して提示された代表的な答えは以下の3つである。

  1. 退職のタイミングは事前に計画されないことが多い。よって、退職する際には何らかの予測されなかった変化を伴う。
  2. 多くの消費者は退職に向けて十分な備えができていないので、退職と同時に消費を切り詰める必要が生じる。
  3. 退職すると、自由に使える時間(余暇 = leisure)が増える。よって、消費を減らしてその代わりに余暇をエンジョイしているのである。

Mark AguiarとErik Hurstは「消費」と「消費支出」の違いによって、Retirement Consumption Puzzleの解決策を提示した。彼らの解決策は3の解決策と密接に関連している。彼らが着目したデータは食料に関する消費支出と時間の使い方である。彼らの研究によると、退職前後で食料に関する消費支出は大幅に落ち込む。これはRetirement Consumption Puzzleを再確認しただけである。面白いのは、その一方、彼らは、退職前後で、ショッピングや調理にかける時間が大幅に増加することを発見した。直感的に説明すると、退職前は外食を比較的多く行い、退職後は食材を買ってそれを調理することが増えるのだけれども、摂取する食料の量(消費)は変わらないのである。つまり、同じものを「消費」するのに、退職前には主に「消費支出」に頼っていたのが、退職後は「消費支出」と「時間」の組みあわせに頼るようになっただけで、「消費」自体は退職前後で変わらないというものである。彼らの例は、一般的に「消費」と「消費支出」を混同することの危険性を指摘しているといえる。

「消費支出」や「GDP」の数字だけに頼って幸福度(welfare)を測ることには危険があるというのが、より一般的なメッセージであろう。

Mark AguiarとErik Hurstは同じようなアプローチを用いて消費に関する他の重要なトピックについても研究を行っているが、それらの研究の紹介はまたの機会に。

Rant on Behavioural Economics

行動経済学についてのrant。

なぜか今日本では行動経済学なるものが流行っているようだが、何でだろう?主流派(というのが何かわからないけれど)に反感を持つ人の新しい受け入れ先であろうか。普通のまっとうな経済学のベースがしっかりしてないのに、ひねりの効いた応用編のような行動経済学が流行るのは、よくないのではないかという気がする。たとえれば、まともにトラップもできないのに皆でヒールパスの練習に没頭するようではないだろうか。日本政府が経済学の研究に補助金を出しているかどうかわからないけれど、出しているのであれば、まずはヒールパスよりもトラップの練習を重点的に支援すべきだと思う。

行動経済学なるものが正確に何を指すのか僕にはよくわからないけれど、hyperbolic discountingとかloss aversionとかのような普通でない(exotic) preferenceであれば、habitのように、これまで使われたフレームワームに取り入れられて終わるのではないだろうか。経済学の「標準的な」フレームワークはとても柔軟である。

あと、何でもかんでも行動経済学という風潮には違和感を覚える。トイレで真ん中に比べて端っこが比較的よく使われるのは経済学の標準的な理論では説明できないから行動経済学で説明してみました、というような話では何の役にも立たない。わけのわからない些細なことをちょっと変わった仮定を使って説明するよりも、マクロ経済学の観点でいえば、標準的なセットアップで最適とされる政策と「行動経済学的」な仮定の下で最適な政策が大きく異なる、というような例がほしい。

Cross-Sectional Facts for Macro

過去20年のマクロ経済学における最も重要な進歩の一つは、ミクロから積み上げられた、真の意味でのmicro-founded macroの発展である。これは、いわゆるミクロ的基礎を持つrepresentative agentモデルという意味ではなくて、さまざまなタイプの消費者、企業、政府、金融機関…から構成されるモデルという意味である。決まった言い方はないが、このようなモデルは一般的には、heterogeneous-agent modelといわれる。

例を挙げてみよう。このようなモデルを使うと、ある景気刺激策が異なるタイプ(年齢、教育レベル、収入レベル、資産保有量など)の消費者にどのように異なる影響を与えるかを分析することができる。ただ、このようなモデルによる分析が有効である(説得力がある)ためには、今の例で言えば、異なるタイプの消費者がモデルと現実経済で同じくらいの割合存在している必要がある。よって、このようなモデルが使えるようになるためには、現実経済において異なるタイプの消費者がどのような割合存在しているかを知る必要がある。このようなデータはcross-sectional dataと呼ばれて、近年マクロ経済学でも積極的に用いられている。

前置きが長くなってしまった。Review of Economic Dynamicsという雑誌で、近々、さまざまな国(9カ国)におけるcross-sectional dataの特徴を比較するという特集が組まれている。その特集号の巻頭論文(Krueger-Perri-Pistaferri-Violante)ではその9カ国の比較と一般化が行われている。今回のエントリでは基本的にはこの巻頭論文の主なポイントを整理してみる。対象となっている9カ国はU.S.、Canada、U.K.、Germany、Italy、Spain、Sweden、Russia、Mexicoである(何で日本が入らなかったのだろう)。この特集号では、cross-sectional dataといっても、賃金、収入、消費等の格差に焦点が当てられているので、格差に関するデータの国際比較と呼んでもいいだろう。以下、何も考えず主要な発見(findings)を並べていく。

  1. 先進国の中では、2000年の賃金格差はU.S.、Canadaが他国より高い(log variance=0.45)。欧州は低い(log variance=0.2程度)、中間に位置するのはU.K.(log variance=0.33)。メキシコ、ロシアの賃金格差は先進国より高い。
  2. 2000年におけるCollege premium(大学卒の労働者が大学卒でない労働者に比べてどのくらい多くの賃金を得ているかの比率)はU.S.、Canadaで1.8(大学卒の労働者はそうでない労働者に比べて賃金が平均80%高いという意味)、ヨーロッパの国で1.5である。
  3. 2000年におけるExperience premium(45-55歳の労働者の平均賃金と25-35歳の労働者の平均賃金の比率)はほとんどの国で1.3-1.4である。
  4. 2000年におけるGender premium(男性の平均賃金と女性の平均賃金の比率)はどの国でも大体1.2-1.4。
  5. 賃金格差はU.S.、U.K.、 Canadaの3カ国では1980-2005の間に大幅に(40%)上昇した。College premiumやExperience premiumで説明できる部分は少ない。
  6. Skill premiumは1980-2005の間にU.S.、U.K.、 Canada、Mexicoの4カ国では大きく上昇した一方、多くのEUの国では低下した。Experience premiumはほとんどの国で20%程度上昇した。Gender premiumはほとんどの国で低下した。
  7. 労働所得(賃金×労働時間)の格差は賃金格差より大きい。
  8. 賃金格差が大きく上昇した3カ国(U.S.、U.K.、 Canada)では労働所得格差は賃金格差よりさらに拡大した。
  9. Germany、Spain、Italyでは、家計における平均労働所得の格差は労働所得格差より高い。U.K.、Canada、Swedenでは、家計における平均労働収入の格差は労働所得格差より低い。
  10. 政府によるredistribution(taxとsubsidy)は全ての国で所得格差を縮小させる働きを持っているが、縮小の程度は国によって異なる。U.S.、U.K.、Germanyでは可処分所得の格差(log varianceで測ったもの)は収入格差(taxやsubsidyを考慮する前のもの)の格差の2/3程度。SwedenとCanadaではこの比率は半分以下である。
  11. いくつかの国(特にSweden、Canada、Germany)では、所得格差は拡大したにもかかわらず、政府によるredistributionによって、可処分所得格差の拡大を抑えることに成功した。U.S.やU.K.では所得格差と可処分所得格差は同じように増加している。
  12. 消費の格差は可処分所得の格差に比べて小さい。いわゆるconsumption smoothingの効果である。
  13. 可処分所得格差と消費格差の差は、所得が高いグループほど小さい。
  14. 可処分所得格差の長期的な変化に比べて消費格差の変化は小さい。
  15. 景気と賃金格差の関係ははっきりしない。
  16. 景気が悪いときには、(特に底辺における)労働所得格差が拡大する。これは、単に景気が悪いときには失業率が高まるからである。
  17. 可処分所得の格差も景気が悪いときには拡大するが、拡大幅は労働所得格差に比べて小さい。これは、さまざまなautomatic stabilizer(失業保険など)が働いているからである。
  18. 消費の格差も景気の悪いときには拡大するが、拡大幅は可処分所得格差に比べてさらに小さい。
  19. 可処分所得格差も消費格差も年齢とともに拡大するが、拡大のスピードは消費格差の方が小さい。おそらくは、可処分所得格差のある割合はsmooth outされているからである。
  20. 賃金の変化をショックと考え、ショックを恒久的なショック(permanent shock)と一時的なショック(transitory shock)にわけてみると、一時的なショックのvarianceの方がずっと大きい。一時的なショックの中には観察誤差(measurement error)が含まれていることが一つの要因。

だらだら書いたのでわかりにくいかもしれない。気が向いたらいくつかのグループに分けて整理するかもしれない。

Qualitiy of Data

とても短いエントリーを。

日本の実質GDP成長率が大幅に修正(revise)された。年率換算の2009年第3四半期(7-9月)実質GDP成長率が速報では4.8%だったのが、1.3%に修正された。Revision自体はどこでも行われているのだけれども、修正幅が尋常ではない。ここまで大きく修正される例は先進国ではなかなかないのではないか。こんなデータしかなくて、景気の変動に合わせて政策を微調整しろといっても無理な話だ。

データが大きくreviseされる経済では、景気に反応して政策を変更しないほうがwelfareを高めるというモデルを作ることは比較的簡単だと思う。

Estimating What?

何か書かないとずるずる行きそうなので、とりあえず書いてみる。

最近、ニュースショックの入ったRBCモデルをBayesian Estimationしたペーパーの発表を聞く機会があった。とてもおざっぱに書くと、主要な結果は、何種類かのニュースショックの入ったモデルをestimateした結果、output (GDP)のvolatilityの2/3はニュースショックだけで説明できるというものだ。RBCで2/3という数字を聞くとなぜかうれしくなるというのは愛嬌として、estimationとcalibrationの違いについて思いをめぐらした。

ニュースショックがどれくらい「重要」か、測りたいとしよう。簡単に思いつくのは2つの方法である。
  1. ニュースショックが入ったモデルと入ってないモデルを両方calibrateしてsimulateする。ニュースショック関連以外のパラメーターは同じにする。二つのモデルのdynamicsを比較することによって、ニュースショックが「追加的に」何をもたらすかを測ることができる。
  2. ニュースショックが入ったモデルをestimateする。estimateしたモデルのsimulation結果から、たとえばoutputのvolatilityうち「どの割合」がニュースショックからきているのかを測ることができる。

今回聞いたペーパーは2のアプローチである。前に紹介したJaimovich and Rebelo (AER2009)は1のアプローチである。2のアプローチを使うとすると、別のショックを足していくたびに、おそらくはニュースショックが説明できる割合が低下していくだろう。もしかしたら、ニュースショックが入ったモデルとobservationally equivalentなモデルも作ることができるかもしれない。では、たとえば2/3という数字にどのような意味があるのだろう。ひとつの「解決策」としては、ChristinanoやNorthwesternの連中がやっているみたいに、考え付く限りのあらゆるショックを入れてみるというものだ。ただ、どこまで行けるのか、どこまで行けばいいのか、僕にはよくわからない。

1のアプローチはある意味よりmodestだ。モデルでデータを「説明」しようとはせずに、ある新しいモデルの要素が、モデルのpropertyにどのような影響を与えるかの分析にとどまるのだ。

僕は個人的には1のアプローチの方が好きだけれども、最近はestimationを使いたがる人が多いようだ。実際に政策に使えるモデルがほしいとなると、データとできるだけ整合的なモデルが欲しいのは理解できる。ただ、モデルが「正しい」と仮定してestimateするのはよいとしても、その限界をちゃんと認識しなければならない。