Optimal Height Taxation

またしてもMankiwだけれども、AEAの新しいジャーナルの一つ、AEJ Economic Policyに載っていた、Mankiw and Weinzierl (2010)を基に書く。

マクロ経済学や公共経済学では、嗜好(preference)や状況の異なるさまざまな人がいる中で、どのような政策を選ぶべきかという問題と対面しなければならないことが多い。すべての人がより幸福になれる政策の場合は比較的話は楽なんだけれども、そういうケースは実際あまりなくて、そうでない場合、つまり、ある政策を実施することによって特をする人と損をする人がいる場合を考えなければならないことが現実では多い。その場合、異なる人たちの損得をどのように比較したらいいのかについて、何らかの仮定をおいて話を進めなければならない。一つのよく使われる方法は、各人の効用(utility、幸福度と読み替えてもよいと思う)を同じウェイトで足し合わせてそれを社会全体の効用とすることである。何で足し合わせるのかとか、何でBill GatesとSnookiに同じウェイトをつけるのかという疑問はあるかも知れないが、そのような話には立ち入らない。

では、1期間のモデルを考えてみよう。同じ消費をすれば同じ効用を得るけれども、収入は大きく異なっているさまざまな人がいるとする。この場合、経済学でよく使われる仮定の元では、収入の大小にかかわらず全員の消費を同じにすることが「社会的に最適」(全員の効用の和を最大にする)ことがわかる。一方、アメリカ(でも日本でもよい)の税制も含んだ広義の所得再配分政策は、所得が多い人から所得が少ない人に所得を移転する役割はあるものの、今挙げたモデルで「社会的に最適」とされるような状態には程遠い。どう少なく見積もってもBill Gatesの消費量は僕より多いはずである。もちろん今挙げたモデルは簡単すぎるくらい簡単なのだけれども、もう少し複雑なモデルでも同じような問題があるのである。

では、なぜ、実際の経済ではモデルの中で「社会的に最適」とされるほどの所得再配分が起こらないのか。Mirrleesは、この問題に対する一つの回答を与えた。彼のノーベル賞の受賞理由の一つは、現在もさまざまに拡張・応用されて使われている最適租税理論の構築である。彼のモデルのポイントは、収入は生産性と労働時間の両方に基づくことと、政府が課税をするときに観察できるのは生産性ではなくて収入だということである。収入でなくて生産性が異なるモデルでは、政府は生産性の高い人にたくさん働いてもらって、たくさん税金を納めてもらいたいのだけれども、生産性自体は観察できないので政府は生産性の高い人を狙い撃ちできないである。その結果何が起こるかというと、公平(所得再配分政策による)と効率(生産性の高い人にたくさん働いてもらう)の間にトレードオフが起こるのである。ある程度の効率を達成するためには所得再配分を制限しなければならないのである。

Mankiwたちの論文はここから始まる。もし、生産性自体を観察できないことが問題なのだとしたら、税率を決めるときに生産性と相関のある要素をなるべく考慮すればいいことになる。生産性を推定できればよいのだから、生産性を推定するのに役立つものは何でも取り入れればよいという考え方である。この考え方はtag(タグ)といわれている。Mankiwたちが注目しているのはその中でも「背の高さ」である。信じられないかもしれないが、Persico, Postlewaite, Silverman(2004)やCase and Paxon(2008)によると、(他の要素をコントロールした上で)身長が1インチ(2.5cm)高い白人男性は収入が2%高いのである(なぜHeight Premiumが生じるかについてはさまざまな議論があるがここでは省略する)。

Mankiwたちは、賃金、労働時間、収入、背の高さ、に関するアメリカのデータ(National Longitudinal Survey of Youth, NLSY)を元に、背の高さを考慮した場合と考慮しなかった場合でどの程度税制が異なり、どの程度の社会全体の効用が異なるかを計算した。彼らの結果を要約すると以下のとおりである。

  • 身長を考慮した場合、平均税率は、身長が高いほど高い。自然な結果である。
  • 平均税率に差はあるものの、収入とともに税率がどのようにあがっていくかについてはどの身長でも変わらない。身長を考慮しない税制における税率の変化の仕 方も大体同じである。
  • 具体的には、年収100K(大体1千万円)くらいまでは限界税率はほぼフラットで(背の高い人は45%程度、背の低い人は40%程度)、それ以降、限界税 率は急激にゼロまで落ちる。平均税率は年収100kまで急激に上がり、それ以降はフラットである。
  • 例えば、年収が50K(大体500万円)だとすると、身長が178cm以下の人の税金は1400ドル(14万円)、身長178-183cmの人の税金は5400ドル(54万円)、身長183cm以上の人は6000ドル(60万円)である(アメリカの白人男性なので平均身長180cmである)。ものすごい税額の差である。
  • 税率を決める際に身長を考慮することによって得られる社会全体の効用の増加分は年間240億ドル(2.4兆円)である。これもものすごく大きい。

最後に、Mankiw達は、このペーパーの結論は2通りの解釈が可能だと述べている。1つ目の解釈は、Mirrleesのモデルに基づくと、身長を考慮した税制を実施することで大きな社会効用の増加が期待できるというものである。これが素直な解釈であろう。2つ目の解釈は、もしこの結論が何か変だと感じるのであれば、社会効用の概念が僕らが自然だと感じるものと何か違うからだというものである。つまり、このペーパーのメッセージは、「身長を考慮した税制を実施しろ」というものではなくて、「多くの経済学者が普段つかっている社会効用は何か変なのではないか、抜本的な見直しが必要なのではないか」というものである。おこがましいが、僕はもう一つの解釈を加えておきたい。Mirrleesのモデルは課税理論において広く使われているけれども、最適課税理論を考える上で重要なのは情報の非対称性の問題ではないのではないか、ということである。では何ができるんだといわれると困るのだけれども、このような問題意識を僕は持っている。

Macroeconomic Effects of the Child Subsidy Revisited

宇南山さんが子供手当てなどの補助金政策が景気に与える影響について書いている。僕が以前書いたエントリとも関連しているので興味深く読んだ。日本で人気のあるケインズ的な政策が、最先端の研究動向から見て1周ではなく2周遅れであるために、偶然にも最新の研究結果と整合的である、という指摘はうまい書き方である。とはいえ、結びにおいて、「最新の研究の政策的インプリケーションは、新しいマクロ経済学より教科書的なケインズ経済学に近い」と書いているが、僕はこの認識を共有しない。まずは、なぜ違和感を感じるかを書いてから、子供手当てがマクロ経済に与える影響について、再度もう少し丁寧に書いてみる。考えながら書いているので、後であわてて直すかもしれない。

まずは、彼の結論に対して以下の3点を指摘したい。

(1)彼が引用しているShapiro and Slemrod(AER2009)は、2008年のTax Rebateによって総消費が増えたという結果を示している。Tax Rebateなり子供手当てなりが、borrowing constraintに引っかかっている消費者に行きわたる限りは、消費が増えるのは当然である。消費の反応の程度がどのくらい大きいかという点については、まだ、現在存在する推定値をさらに精緻なものにする余地はあると思うが、子供手当てが消費を刺激するという点については理論的にも経験的にも異論はないと思う。この認識は特別「ケインズ的」「行動経済学的」なものではないし、特段新しくもない。Borrowing constraintなどのRicardian Equivalenceが成り立たない例は普通の教科書でもカバーされている。

(2)ただし、総消費が増えることは、必ずしもGDPを増やすことと一致しない。
GDP = 消費 + 投資 + 政府支出 + 純輸出
という関係を思い浮かべて、消費が増えれば左辺のGDPは自動的に増えるように考えている人が多いように思われる(僕でも見たことのある古典的なケインズ経済学はもう少し複雑だが捨象する)。こういう考え方はケインズ的だ。子供手当てを推し進める背景にはこういう考え方があるのかもしれない。

(3)一方、ケインズ的でない普通の経済学においては、単純化すると、GDPを増やすには技術革新(A)が進むか、資本投入量(K)が増えるか、平均的な教育水準(H)が上がるか、労働投入量(L)が増えなければならないが、子供手当てのような補助金がGDPを増やす役割があるかはまだはっきりした結論が出ていないと思う。「景気対策」という言葉を使うと、いかにもGDPが増えそうであるが、子供手当てのような補助金で確実に期待できるのは、他の条件を一定のものとすると、補助金を受け取った一部人の消費が増えて効用が高まる(お金をもらえば効用は高まると仮定している)、ことだけである。あえて言えば、補助金は(GDPを増やさないという意味で)後ろ向きの景気対策でしかないかもしれない。

では、子供手当てからはどのようなマクロ経済効果が期待できるか。以下に列挙していく(以前書いたこととほとんど変わらない)。

1.所得移転効果
該当する子供のいる人は可処分所得が増えて効用が上がる。該当しない人は影響を受けない。

2.Borrowing constraintの緩和
ラフな言い方をすると、お金に困っていた人は、買いたかったけど買えなかった物が買えるので消費が増えて効用が大きく改善する。お金に困っていなかった人の短期的な消費にはあまり影響は与えない(consumption smoothingが働くので)。

3.直接的な所得効果
可処分所得が増えた人は、労働時間を減らす可能性がある。特に、Borrowing constraintに引っかかっていた人に顕著に出る可能性がある。但し、このような人は平均的に生産性が低かったり労働時間が高くなかったりするかもしれない。その場合、労働時間の減少が与えるマクロ的効果は小さい。

4.間接的な所得効果(消費)
国の債務の増加は将来の増税である。子供手当ての対象外の人は生涯所得が減少するので消費を減らし、貯蓄を増やす。子供手当てを受けとった人は貯蓄はかわらない(全部使ってしまった場合)か増加(全額を使わなかった場合)する。

5.間接的な所得効果(労働)
生涯所得が減少した人は、労働時間を増やす可能性がある。そうであれば、GDPは増加する。

6.資本減少
GDPが大きく増加しないとすると、総消費が増えるということは総貯蓄が減少するということである。closed economyであれば、将来使用可能な資本が減少し、将来のGDPを減少させる効果があるかもしれない。但し、small open economyであれば、この効果はない。どちらがよりよい近似なのかよくわからないが、いずれにしてもこの効果は大きくないのかもしれない。

7.人的資本蓄積
子供手当てによって子供の教育にかけるリソースが増えれば、子供に蓄えられる人的資本が増加する。但し、この効果は長期的、かつ測るのが難しい。

8.少子化対策?
お金がないので子供の人数を抑制していた人がいたとすれば、子供手当ての存在によって、子供の人数が将来的に増える。子供が増えれば将来のGDPは増える。但し、この効果は長期的なもので測るのが難しい上、子供の平均的な能力が下降すれば一人当たりのGDPは減少するかもしれない。

9.政府支出代替
他の目的で使う予定であった予算が子供手当てに振り向けられた場合、その支出によって得られたであろう効果が失われる。

要約すると
(1)子供手当てによって対象となる人の可処分所得が増える(所得再配分)。
(2)民間総消費はおそらく増える。
(3)GDPへの影響は、生涯所得が減少した人の所得効果の強さ次第(未決着)。

Rising Asia or European/American Blip?

どうでもいいといえばどうでもいい話なのだけれども、前回紹介したDe Nardi et al.の論文が最新のJPEに出ていた。重要な質問に説得力のある新しい答えを出せばトップジャーナルにいくのだ。

しばらく前のEconomistで、アジアが急に躍進という考え方は間違っていて、産業革命以来しばらくの間欧米の経済規模が相対的に拡大してきたのが、元に戻りつつあるだけである、というような話が書いてあった。そこで引用されているデータは西暦1000年から始まっているが、データソースを見てみたところ西暦1年からのデータが整備されていたので(どうやって作られたかは聞かないでほしい)、グラフを作成してみた。このデータを整備しているのはAngus Maddisonである。IMFなども彼のデータを使っているので、恥ずかしながら、僕は聞いたことがなかったけれども、この分野では有名な人なのかもしれない。

では、まずはEconomistにはなかったが、人口の比率のグラフから。アジア対欧米という切り口だけではもったいないので、Economistに掲載されたグラフより分類が細かいものを作ってみた。産業革命の時期に欧米の人口比率が急増したものの、アジアの比率が再び巻き返してきている。欧米、日本などのいわゆる「先進国」は人成長率が鈍化あるいはマイナスになっている国が多いので、しばらくは現在の傾向が続くのだろう。ちなみに、グラフは2030年まで描かれているが、2030年の予測がどのように作られたかは聞かないでほしい。


では、Economistでも使われていたGDP比率のグラフを以下に示す。

「その他アジア」の比率が1940年だけ急増しているが、これは、中国のGDPがゼロであった一方、現在の中国にあたる地域の生産が「アジア全体」にカウントされているからだと思う。これをみると、Economistの言っていた、アジアの躍進という考え方は間違い、というのもうなずける。国のサイズを考えれば日本だってまだまだ捨てたものではない。とはいえ、最近の相対的な成長率の鈍化も明確に見て取れる。

Medical Expenditures and Retirement Saving Puzzle

今回はDe Nardi, French, Jones のペーパー("Why Do the Elderly Save? The Role of Medical Expenses" WP2009)に関するメモ。Frenchはデータにストーリーを語らせるのがうまい。

なぜ人々は貯蓄するのか、というのは、重要な問題である。もちろん、結論はおそらくさまざまな理由のコンビネーションなのだろうが、その比率がどの程度かを知るのは、マクロ経済学におけるさまざまな重要な問題への答えに対して大きな影響を与える。例えば、人が貯蓄をするのは主に退職後の生活の足しにするためであるとすれば、金利が振れたり、金利にかかる税金が多少変わったところで、総貯蓄にはあまり影響を与えないかもしれない。もし総貯蓄があまり変わらないのであれば、産出量に与える影響も限定的となる。

普段貯蓄しないとからかわれているアメリカ人ではあるが、データを見ると、退職者の資産は非常に大きい。そして、資産の大きさは、年をとるにつれて死ぬ確率が高まっていったとしても、あまり落ちないことが知られている。もし、100歳の誕生日に死ぬことがわかっているシンプルなライフサイクルモデルを考えると、100歳の誕生日の瞬間には資産をゼロにしたいはずであるが、多くの人は死ぬときにいくらかの資産を残している。このことはRetirement Saving Puzzleと呼ばれている。

前回書いたように、Retirement Saving Puzzleへの回答の候補と普通考えられているのは、(1)人は遺産を残すことで何かしら得をする(自分が単純に喜びを得るのかもしれないし、遺産を残す(ように信じさせる)ことで子供に世話をしてもらうのが目的かもしれない)、(2)死ぬタイミングは普通よくわからない(のに加えて、死ぬタイミングに関するリスクに対する保険市場が何かしらの理由で機能していない)ので、平均的には人は資産を使い切れずに死ぬことになる、の2つである。

彼らのペーパーは、Health and Retirement Study(HRS)という50歳以上の家計のlongitudinal data(って日本語でなんと言うのだろう)を使って、退職者のさまざまな貯蓄動機の相対的な重要性を計算した。彼らの主要な結論は、上で挙げた2つの理由よりも、高齢になるにつれて増加する医療支出への備えが、退職者の資産が多い主要な理由だというものである。

どうやってこの結論にたどり着いたか。彼らは、毎期毎期、健康状態や医療支出が変化し、死ぬ確率もある環境のもとで、収入や退職時の資産が異なる退職者が毎期毎期いくらくらい消費していくらくらい貯蓄するか決定するモデルを解き、そのモデルをHRSを使って推定した。これはstructuralなモデルなので、いったん推定してしまえば、いろいろなcounterfactual(現実と異なる環境のもとで退職者の行動がどう変化するかを見る実験)を楽しむことができる。彼らは推定したモデルを使って以下の4つのcounterfactualを実施した。

1.遺産によって便益を得ないケース
何らかの便益のために遺産を残すという要素をなくしたモデルを走らせた場合、モデルがはじき出す退職者の貯蓄パターンはあまり変化しなかった。つまり、推定されたモデルによると、遺産に関する便益に基づく貯蓄は非常に小さいのである。

2.医療支出に関するリスクがないケース
医療支出は毎期毎期大きく変化する。健康だった人が突然糖尿病になれば、医療費は大幅に増加するかもしれない。彼らのモデルはそういうリスクも推定しているが、そういうリスクがない、つまり、退職者が全員平均的な医療費を支払うモデルに変えたらどうなるか。モデルがはじき出す退職者の貯蓄パターンは、あまり変化しない結果となった。彼らは、この背景として、巨額の医療支出のリスクはMedicaidなどによってカバーされているからであろうと述べている。医療支出に関するリスクが大きい場合、一番避けたい状況は、とても大きな医療費を払うことになって、その後の生活を大幅に切り詰めなければならないというものである。もしこのような状況が起こりうるのであれば、退職者の貯蓄のある部分はこのような状況に陥ることを避けるためかもしれない。そうであれば、全員が平均的な医療費を払う経済になれば、どうしても避けたい状況に陥るリスクは消え去るので、貯蓄が減少するはずである。しかし、counterfactualによると、そうではないようだ。つまり、現在のアメリカ(推定されたモデル)では、多くの人に対してそういう状況にならないセーフティネットが張られているのである。

3.保険のカバレッジが低いケース
彼らが推定したモデルでは、医療費を払った上である一定以上の消費水準(最低消費水準)が維持出来ない家庭には、政府が補助金を与えることとなっている。Medicaidやその他のセーフティネットを大雑把取り入れるための仮定である。この最低消費水準が下がったらどうなるか。このcounterfactualのもとでは、貯蓄が幾分増加することがわかった。つまり、どの程度までリスクがカバーされているかは、貯蓄行動に影響を与えるのである。

4.医療支出がないケース
さらに、医療支出がまったくないcounterfactualを実施してみたらどうなるか。この仮定のもとでは、モデルがはじき出す貯蓄パターンは推定されたパターンに比べて大幅に減少した。つまり、医療支出がなければ皆今に比べて少ししか貯蓄しないのである。

Structuralなモデルを使ってcounterfactualを実施するお手本のようなペーパーである。

追記:日本を含まないさまざまな国のcross-sectional dataを比較したREDの特集について前に書いたが、日本のデータで同じことができるか(できるならどのデータセットを見たらいいか)知っている人がいたら教えてほしい。何人読んでる人がいるのか知らないけれども、とりあえず書いておく。

Estate Taxation

2月は低調なまま終わってしまった。一つの理由は、job marketのシーズンなのでconferenceも少なく面白いseminarに出くわす頻度が低かったことだと思う。そうだとすればこれから回復するかもしれない。長期的な下降トレンドだった場合、このままずるずると終わってしまうかもしれない。

現在アメリカでは雇用対策、金融セクター規制、健康保険改革の話が最も盛り上がっているけれども、その影で遺産税(estate tax)の話が密かに盛り上がっている。遺産税というのは、日本で言えば相続税である(もらう方とあげる方のどちらに税金がかかるかという違いがあるが細かいことは気にしなくてよい)。基本的には死んだ人が残した遺産にかけられる税である。現在アメリカで何が起こっているのか。2010年の1年間だけ遺産税が「ゼロ」なのである。そもそもは今は懐かしいG.W.Bushが、遺産税の撤廃の永久化を目指したのだけれども、結局2010年の1年間しか認められなかったのである。2009年までは、雑に言うと、350万ドル(1ドル100円で計算して3.5億円)を超える遺産に対して一律45%の税率がかかっていた(例えば、4.5億円の遺産であれば税金4500万円)。2010年は何もなし。2011年からは100万ドル(1億円)を超える遺産に対して一律55%の税率が適用される予定となっている(4.5億円の遺産に対して1.9億円)。僕のような庶民には何の関係もない話だが(Mankiwによるとアメリカ人の2%だけしか影響を受けないらしい。0.5%という数字もある)、大金持ちの人にとっては重大な話である。2009年の末にも、確か、2010年までなんとか親を生き延びさせるというようなちょっと物騒な話も聞かれた(2010年の頭に亡くなった人の人数が変に多くなっているか気になるところである)。延命というのはまだかわいい方で、2010年の末にはもっと物騒な話が出てくるかもしれない(多分2010年末には駆け込み死亡届が増えると予想される)。

このような問題を背景として、時々、遺産税の話がちらほら出てくる。今回題材とするのは、Wojciech KopczukのNBER WP(2010)である。それに加えて、以前読んだMankiwのメモにも言及する。

大きな問題点は、遺産税は維持すべきか廃止すべきか、維持するとしたらどの程度の税率、累進性にするべきか、である。この問題に答えるために有益な論点を以下に一つずつ挙げていく。

1.なぜ人は遺産を残すのであろう
まずは、遺産という問題を、遺産を残す人(以下、「親」と呼ぶ)と遺産を受け取る人(以下、「子」と呼ぶ)の間の問題として考えてみよう。以下でもう一度触れるけれども、親は遺産をあげること自体に幸福を感じて、子はもちろん遺産を受け取るとうれしいとしよう。この場合、遺産には正の外部性があることが容易にわかるであろう(ある人(親)の行動が意図せずして他の人(子)の幸福度を高める)。この場合、親が自分の幸福度しか考えずに遺産の額を決める場合、子供がいかに喜ぶかを直接的に勘案しないので、遺産の額は社会的に望ましい額より少ないこととなる(公共財を考えればよい)。この場合、遺産に対して税どころか補助金をつけることで遺産の額を社会的に望ましいレベルに引き上げることができるようになる。一般的に、遺産税の問題を親と子の間で受け渡される遺産が社会的に見て多すぎるか(その場合遺産税をかけて減らすインセンティブを与えるのが望ましい)少なすぎるか(この場合補助金をつけて増やすインセンティブを与えるのが望ましい)、という問題から考えるとすると、親が遺産をなぜ残すのかという質問にどのように答えるかが重要だということがわかるであろう。では遺産に関するどのような理論が存在しているのか、以下で見ていこう。

(1)あげる喜び(joy-of-giving)理論
今上であげた理論がこれに相当する。具体的には、親のutility functionに遺産の額が入っている状況を考えればよい。この理論はあまり深い理論ではないが、使い勝手がよいので実際のデータにマッチするモデルを作りたい場合重宝する(money in the utility functionを考えてみればよい)。但し、使い勝手がよい一方、問題も多い。例えば、あげること自体が幸福度を高めるのであれば、あげたお金をまた返して、またあげて…というような無茶なスキームによって幸福度を高めることができてしまう。上で説明したように、この理論に従えば、遺産税率は負(補助金)が望ましいことになる。

(2)利他主義(altruism)
(1)と似ているがちょっと違う。この理論のもとでは、親の幸福度に子の幸福度も含まれるのである。この場合、(1)であげたようなあげて返してあげて返してというようなマッチポンプ型のスキームは幸福度を高めない。但し、この理論のもとでも、子の幸福度が2回計上されるので(親も子も子の幸福度が高まるとうれしい)負の遺産税が望ましいことになる。この理論が現実をうまく説明できているかというと、必ずしもそうではない。わかりやすい例として、子供が2人いる状況を考えてみよう。兄はぜんぜんお金がない一方、弟は高収入を得ているとしよう。altruismのもとでは、親は子供の幸福度(より正確にはmarginal utility)を平準化したいので、兄に多めに遺産を割り振りたいはずである。しかし、現実では、兄弟には2等分というのがよく見られる。子供がいようがいまいが貯蓄行動は大きく異ならないという結果も利他主義(およびその他多くの遺産に関する理論)と整合的ではない。

(3)見返り(exchange)
親は子から便益を受ける(老後の面倒を見てもらうのが一例)見返りに遺産を残すという理論である。この理論に基づくとどのような遺産税が望ましいかを考えるのは難しい。親と子の間の戦略的行動を考えなければならないからである。この理論のもとでは、望ましい遺産税はどのような戦略的関係を仮定するか、その結果としてどのような非効率な結果が現れるかによって異なるので、一般的な話をするのは難しい。

(4)意図しない遺産(accidental bequest)
いつ死ぬかわからない以上、長生きしたときに備えて、貯蓄は多めに持っておきたいのが一般的な心理である。この話はもっともらしく聞こえるが、優れた年金市場(annuity market)が存在しないことから生じている。もし、自分が来年50%の確率で死ぬとわかっているとしよう。この場合、同じ死亡確率を持つ人をたくさん集めて皆でinsurance contractを結ぶことにより、長生きするリスクをヘッジできるのである。具体的には、来年生きてたら100万円持っておきたいならば、来年50%の確率で死ぬ人全員が50万円づつ出して、生き残った人が100万受け取るという契約を結べばよい。この契約のもとでは死ぬときには財産はきっかりゼロで、生き残った場合には望ましい貯蓄レベルきっかり(100万円)が残ることになる。このような契約が何かしらの理由で結べない場合(何でこのような契約が存在しないかは、「annuity puzzle」と呼ばれている。モデルに従わないものはとりあえず「puzzle」と呼ぶいつもの慣習である)、念のために皆が100万円持っておくだろう。その場合、死んでしまったら、意図せずして100万円の遺産を残すことになるのである。この理論は、おそらくは他の理論と一緒に、観察される遺産を説明できる理論として注目されている。但し、この理論の元で望ましい遺産税率は何かという質問に答えるのは難しい。この理論によれば、遺産が生じているのは市場が不完備だからなので、税云々よりも、市場の失敗を是正する方が重要だということになるからである。

(5)資本家的精神に基づく遺産(capitalistic spirit)
名前は仰々しいが、要は、死ぬときに資産が多ければ多いいほどうれしいという仮定である。これは「あげる喜び理論」と似ているが、この理論に基づく最適な遺産税は「あげる喜び理論」に基づくものと大きく異なる。それはなぜか?この理論によると、遺産税は遺産の量にまったく影響を与えないからである。言い方を変えれば、死ぬときの財産が重要なのであって、死んでからいくら持ってかれるかはこの理論では親の幸福度にまったく影響を与えない。多分非常にフレキシブルな理論だからであろうが、この理論が現実を説明するのに適していると主張する研究者も多いようである。

(6)近視眼的あるいは行動経済学的な理論
非常に大雑把な言い方をすると、遺産があるのは、人々が合理的に行動していないからだという立場である。一般的に行動経済学的な理論すべてに当てはまるが、現実と整合的な理論は提示できても、同じ現実を説明できる理論が山ほどあるので、どれが正しい理論かを述べるのが難しいという欠点がある。他の行動経済学的な理論と同じく最近活発な分野である。

(7)いかにも経済学的な結論だけれども…
Kopczukは上であげたさまざまな理論の組み合わせが、なぜ遺産を残すのかという質問に対する回答だろうとの述べている。特に、なぜ遺産を残すのかという質問に対する答えは人によって異なる(heterogeneity)であろうから、どれが正しいかを考えるのは正しい質問の仕方ではないのではないかというような結び方をしている。このような状況であるから、遺産税の問題を、親と子の間の問題をどのように改善するかという問題に置き換えると、なぜ遺産を残すのかについて明確な答えが出ていない以上、明確な答えは今のところないというのがしまりはないが結論である。

2.再配分(redistribution)
遺産税の問題は、ある少ない人数に集中した「遺産」をどのように社会に再配分するか、という問題として捉えることもできる。この場合、遺産税は再配分を達成するための手段の一つでしかなく、他の再配分も含めて考えなければならない。例えば、累進的な所得税も再配分を達成する手段である。累進的な所得税が存在する場合、なぜ、それに加えて遺産税による所得再配分が必要なのか。この問いに対する答えはモデルの仮定によってことなり、一般的な答えは得られていないように思われる。Mankiwはそもそも遺産税と贈与税が税収に占める割合は1.4%と非常に小さい(ので遺産税の再配分機能はあまり重要ではない)と指摘している。

3.富の集中による外部性
遺産税を正当化する議論の一つとして、富が過度に集中している国はろくな国がないというのがあげられる。但し、これはcorrelationであって、causalityではない。まともな経済学者であればこれをもとに遺産税を正当化することはできない。富が集中することによる負の外部性が存在するモデルを作ることは特に難しくはないが、このようなモデルで広く受け入れられているものはないようだ。

4.資本には課税するな
前にも書いたが、資本に課税しないというのは、最も有名な教訓の一つである。遺産税は死ぬときにかかる税ではあるものの、幅広い仮定の下では、結局、資本(貯蓄)に対する課税である。よって、長期的には、資本が課税されていると、資本蓄積が進まず、経済の生産性は低下する(労働者一人当たりの資本の量が低下するので)。Kopczukによると、遺産税を1%上げたときに遺産に与える影響は0.1-0.2%程度というのがいくつかの実証的な研究による結果のようだ。

5.遺産税を逃れるのは簡単
遺産税を逃れるのは簡単(特に大金持ちであれば優秀な税理士を抱えているはずなのでいっそう簡単)なので、遺産税をどうすべきかという議論をしてもしょうがないという考えも根強く存在する。

6.遺産と富の集中
遺産税は本当に富の集中を是正するのに役に立つのであろうか?2つの論点を挙げる。1つ目としては、現在は、昔に比べて、収入の大部分は労働収入である。つまり、親の資産に頼っている大金持ち(パリス・ヒルトンを考えてみればよい)は意外と少ないのである。つまり、遺産税がないことが、代々続く大金持ちの家系を支えているかというと必ずしもそうではない。2つ目は、親の能力と子の能力(収入で測ってみる)の相関はそれほど高くはないのである。マニングや室伏親子、アンジェリーナ・ジョリーのようなのはまれで、大体は、テッド・ウィリアムスとか長島一茂とか、三田佳子のようなのが多いのである。そうであれば、遺産税がなかったとしても、資産が少数に集中するのを助けているというような側面はそれほど強くはないといえる。

Kopczukは望ましい遺産税について明確に結論を出すことは現時点では難しいといった結び方をしている一方、Mankiwは主に4と6を元に、遺産税は恒久的に撤廃すべきだと主張している。

日本の相続税についてはよく知らないのだけれども、これから勉強してみて何か学ぶところがあったらまた書こうと思う。