(Passively Trying to) Defend Economists

ブログ論について書くのはぜんぜん生産的ではないのだが、一言だけ。

リッチモンド連銀のエコノミストであるKartik Athreyaが書いたエッセーが話題になっていたようだ。全然しらなかったがhimaginaryさんのポストで知った。元のエッセーを読んだわけではないのだが、おそらくは、(マクロ)経済学の専門的なトレーニングを積んでない人が言いたい放題のブログ界への不満を述べたんだろうと推測される。(いかにも経済学者的で)どっちつかずで情けないが方向性の違ういくつかの感想を持ったので書いておきたい。

一つ目は、専門家でも専門家でない人でもブログで経済(学)についてからいろいろ語るのはこれからも大いに行われてほしいと思う。世の中で起こっている経済現象や話題になっている論文・エッセーなどが迅速にかつ大量に耳に入って来るのは活発なブログ界あってこそである。こんな状況は例えば5年前には考えられなかった。マクロの専門家だけでなくてもよい。専門家だと自分の小さい分野のことにとらわれて「森を見る」視点を失いがちなので、専門家のものではなくても、広い視点や、いつもとは違った視点から書かれたブログ記事には学ばされることが多い。

インターネットの普及によって、トップの大学にいなくても(トップの仕事をしている人の近くで仕事をしていなくても)トップジャーナルにパブリッシュすることが以前に比べて容易になったという論文を書いた人がいたように記憶しているが、それが本当かは慎重に検討しなければいけないものの、実感としては、インターネットの発展によって経済学界における情報格差は大幅に縮まったと思う。ブログはその中で大きな役割を演じていると思う。しょうもないブログも多いいが、見なきゃいいだけの話である。あとは、しょうもないかの判断が難しい時に、しょうもないブログを識別するのを助けるシステムが発展してくれればと思う。

二つ目は、Kartik Athreyaに対して、このブログで、以下のように書かれていたのを見つけた。これはあまりにかわいそうなので擁護しておく。

そこまで主張するならPh.Dだけじゃダメでしょあなた、ところで、自身のペーパーのインパ クトファクターは合計するとどのくらい?被引用数はどのくらい?ベスト100にも入らないのに、こんなPDFで”Rant”をしてちゃ当然のこと禁止で しょ、とでもいわれちゃう勢いだよな。これはなあ、自分を棚に上げるなというカンジだな。

まるで、東大医学部出身以外は医師の免許を与えるべきでないと強く主張した森林太郎(筆名「森鴎外」)を思い出すな。

「インパ クトファクター」というものは聞いたことがないので何なのかぜんぜんわからないのだけれども、Athreyaはちゃんとした経済学者だと思う。そりゃAcemogluとかWerningと比べたらかわいそうだが、被引用数もきちんとあると思う。うまく比較するのは難しいが、彼と同じ世代で学界におけるプレゼンスが彼と同じか彼より高い日本人のマクロ経済学者は多分数人かしかいないだろうなというくらいである。「ベスト100にも入らない」とも言っているが、例えば、Repecの最新のランキングを見ると(もちろんこのランキングも議論の余地大有りだが)、日本人なんて一人も入っていない。ベスト100に入るのは大変なことである。これらをもって「専門家ぶるな」というのはちょっと酷である。元のエッセーは読んでいないけれども、「東大医学部出身以外は医師の免許を与えるべきでないと強く主張した」といったのではなくて、「ちゃんとした医療のトレーニングを積んだ人以外は…」と言ったのではないかと思う(上で書いたとおりこれも個人的にはちょっと言い過ぎではないかと思うが)。

三つ目として、日本の状況について。上で引用した「医師の免許」という話を基にした例を使わせてもらうが、例えば、心臓病の治療方をめぐって、心臓病の治療の専門家ではなくて、その器具の専門家や、 心臓病でない医療分野の専門家や、そもそも医療の専門家ではない人が、心臓病の権威が書いた教科書ではこう書いてある、とか、アメリカの有名な心臓病の権威は(ブログで)こういっている、とか、いって議論しているようなものだ。心臓病の治療法を本気で知りたい人がそういう議論を信用するだろうか?もちろん 経済が心臓のように難しいものだとか、経済学の専門知識が心臓に関する専門知識のようにしっかりしているとか、経済学者じゃない人の意見はでたらめだとか言っているのでは決してない。もう少しきちっとした議論が行われてほしいと思うのである。

改めて言うが、別に「経済学は難しい」といっているのではない。経済学も原理原則の部分はとてもシンプルだと思う。ただ、多くの問いに対する答えは原理原則だけで答えが出るものではない。過去に世話になった人の言葉を引用させてもらうと、「経済学においては、ほぼすべての重要な問いに対する答えは「時と場合による(it depends)」だ。経済学者の仕事は「時と場合」をとことん精緻化することにある」のだ。そういう専門家の仕事を無視して(あるいは知らないで)原理原則だけで強引な議論を(意識的にせよ無意識的にせよ)進める人が多い気がする。

Are You Really Sure about the Gaps?

最近Real Time Dataという考え方の重要性がひっそりと認識されているようだ。最近のAER P&PでもReal Time Dataと少し関連する論文が掲載されていた。Real Time Dataとは何かというと、昔の政府なり民間主体の選択がとった行動をモデル化する際には、そのときに政府なり民間主体が持っていた情報をモデル内の各主体に与えてやらなければならないという考え方である。例えばGDPを例にとると、最初に発表されるGDPの速報値は最終的な推定値と大きく異なることがよくある(特に不況の入り口と出口でははなはだしい)。例えば、2007年の第1四半期に政府なり民間主体が選んだ行動をモデル化する際には、今後付で知ったGDPの数字モデルに組み込むのは間違いで、2007年の第1四半期に各主体が持っていた情報をモデル内の各主体に与えてやらないとフェアではないという考え方である。

今回簡単に紹介する論文("Monetary Policy Mistakes and the Evolution of Inflation Expectations" by Orphanides and Williams (WP2010))は自然失業率(GDPギャップと考えてもよい)に関する情報が金融政策決定時に間違っている場合に、金融政策がどのように後から見ておかしなことになるかを分析した論文である。

この論文のエッセンスは以下のグラフで要約される。

赤い点線は「現時点での」自然失業率の推定値、青い実線は「Real Timeの」自然失業率の推定値、黒の実線は実際の失業率である。Real Timeの完全失業率の推定値というのは、例えば1970年で考えると、1970年時点で考えられてた自然失業率である。一見してわかることは、1960年から1980年にかけて自然失業率の推定値は大間違いだった(これも今の時点での話しなのでまた将来には改定されるかもしれない。歴史は常に変数なのである。)ということである。GDPギャップで考えると、1960年から1980年にかけてのGDPギャップは大きく過大評価されていたといえる。

今回軽く紹介する(ぜんぜん専門分野外なので細かいところには立ち入ら(れ)ない)ペーパーは金融政策を決定する際に、自然失業率の推定値としてReal Time Dataを使うとどのようなことが起こりうるかについて分析している。上のグラフを見れば大体何が起こるか想像がつくかもしれないが、主要な結論は以下の3つである。

(1)自然失業率の推定値が大きく過小評価されていた(GDPギャップが過大評価されていた)ことが、及びその推定値を元に緩和的な金融政策を採ってしまったことが1970年代のThe Great Inflationの原因である。

(2)自然失業率(あるいはGDPギャップ)に基づいて、実体経済の安定と価格の安定の両方をバランスよく追求する金融政策を実施している場合、金融政策が「最適」(このフレームワークの中で)であったとしても、自然失業率(あるいはGDPギャップ)の推定値が間違っていれば1970年代のような間違いは防ぎきれない。1970年のような間違いを防げるとしたら、実体経済の安定に与えるウェイトが非常に小さい時(実体経済の変動を抑えるという目的の重要性が相対的に低い時)だけである。

(3)自然失業率(あるいはGDPギャップ)のようなものを考慮しない「頑健な(robust)」金融政策を実施すれば、1970年代のような間違いは起こらなかった。彼らは、自然失業率と現在の失業率の差(GDPギャップと考えてもよい)の代わりに、前四半期からの失業率の変化を入れた金融政策ルールが、自然失業率(あるいはGDPギャップ)の推定値の間違いに対して頑健であることを示している。

金融政策がGDPギャップの推定値に大きく依存して、かつ、その推定値が大きく間違っていれば、金融政策は後付けで見て間違っていた可能性が高いのは当然といえば当然である。それに、自然失業率(あるいはGDPギャップ)のようなものを考慮しない金融政策ルールに基づいて金融政策が実施されていれば、完全失業率(あるいはGDPギャップ)の推定値の(後から見た)間違いに対して頑健であることも当然である。僕の感想としては、この論文で面白いのは、自然失業率(あるいはGDPギャップ)の推定値が大きく間違っていたことを見せてくれたことだった(金融政策や自然失業率についてよく知っている人であればいまさらという感じかもしれない)。

現在の日本に当てはめてみると、日本の政府(日銀も含む)が発表している統計、あるいは自然失業率(あるいはGDPギャップ)の推定値にどの程度信頼が置けるのだろうか?日本の政府(日銀も含む)の政策決定者の無能さを非難するのであれば、彼らの作る統計や推定値にも同じような態度で臨む必要があるのではないだろうか。

7/1:「自然」失業率に修正。