Cheap Credit Caused House Price Boom?

今回アメリカに起こっている景気後退は、大きく分類して次の3つの質問を投げかけたと理解している。
  1. なぜ住宅価格が大きく上がり、そして大きく下落したか。
  2. なぜ住宅価格の暴落が金融セクター全体に影響を及ぼしたか。
  3. なぜ金融セクターの問題がマクロ経済全体にあれだけ大きな規模で波及したか。
もちろん、上の3つの質問は相互に関連しているという面もあるだろう。3は主にマクロ経済学者に対する宿題、2は主にファイナンス系の人への宿題、1はどちらからも考えられる問題といえる。今回は1に注目する。今回の景気後退に関しては、住宅価格の動きが問題となっているが、一般的に他の資産価格の動きについても1に対する分析は当てはまる。現在1に対する答えとして、主に次の2つが挙げられている。

(1) Cheap credit (安易・安価な住宅ローン):低金利や、住宅ローン貸出の際の審査のゆるみ、住宅購入の際に必要な頭金が減ったこと、などにより、住宅重要が増加し、住宅価格を押し上げた。

(2) Irrational Exuberance (根拠なき熱狂):YaleのRobert Shillerを有名にした理論である。基本的には、人々が住宅価格が上昇し続けると信じると、その期待が経済状況に基づいたものであれ根拠のないものであれ、将来の上昇を見込んだ高い住宅価格が維持される。根拠のない期待に基づいていればいわゆるバブルと言われる。

この2つの理論の間の競争を難しくしているのは、(2)の理論はそもそも根拠のない期待を基にした理論なので主体的に理論・データを使って証明をするのが難しいということである。よって、(1)のような何らかの観察可能な経済状況(ファンダメンタルズと呼んでもよい)によって検証が比較的(とはいえ難しいのだが)容易な理論で住宅価格上昇をどこまで説明できるか、という質問をすることで、(1)と(2)の比較がなされているように見える。(1)だけでうまく説明できれば(1)の勝利、(1)だけでうまく説明できなければ(2)の勝利というわけである。(2)は時間切れ引き分けを狙うプロレスラーのような立場にある(Shillerはまったくそういうタイプではないが)。

(1)の例として上では3つ挙げたが、その中で、最も分析が進んでいるのは、低金利が住宅価格の高騰をもたらしたという議論である。話がわかりやすいので、次のグラフを見てほしい。



実線が(実質)住宅価格、点線が10年物の財務省証券(T-Bill)の実質金利をあらわしている。金利の方は1980年代初めに大きく上がった後、下がり続けて現在は2%以下の水準にある一方、住宅価格は1980年代初めに少々下がった後、中期的なサイクルはあるものの、特に1990年代中頃以降は上昇し続けていることが容易に見て取れる。この図をぱっと見れば、低金利を原因とする理論を作りたくなるものである。

金利と住宅価格の関係を示した最も簡単なモデルは、裁定条件に基づくものである。裁定条件とは、互いに似ている2つのモノ(資産でもよい)の価格は近くならなければならない、という考え方に基づいている。もし片方の価格が高ければ、もう一つのモノの方に需要が移って、高かったモノの価格が下がり、低かったモノの価格は需要の増加を反映して上がり、結果として価格格差は縮まらなければならないのである。現在の文脈では、持ち家と借り家の間の裁定条件が使われる。裁定条件に基づく住宅の価格理論の先駆者はMITのPoterba (QJE1984)である。ここでは軽くエッセンスだけを説明してみよう。ある家があってそれは借りても買ってもよいとする。借りたときの家賃は毎年Rと定められているとしよう。同じ家を買った際には利子だけ払うものとする。利子率が年率rで、住宅の価値がP、頭金とかは支払わずに住宅ローンを借りられたとすると毎年の利払いはPrと表すことができる。上で説明したように、借りることによるコスト(家賃)と買うことによるコスト(利払い)が等しくならなければならないとすると、R=Prという式が得られる。この式は言い換えればP=R/rである。この関係から何が言えるか。一つは、Rが変わらないとすると、rが下がればPが上がる。もう一つは、rが小さければ小さいほどrの変化によってPが大きく変わる。では、先ほどのグラフに戻ろう。1980年代以降、金利(r)は下がり続け、特に1990年代以降は低い水準にあることを考え合わせると、金利(r)の動きによって住宅価格(P)の動きが説明できるような気がしてくる。実際、この理論(もっといろいろな要素が組み込まれているが)を使って、Himmelberg, Mayer, and Sinai (JEP2005)は住宅価格の金利に対する弾力性(金利が1%変化したら住宅価格は何%変化するかを表している)は20くらい、つまり、金利が2.5%下がれば、住宅価格の50%(=2.5 x 20)の上昇を説明できる、と主張した。50%というのは1996年から2006年にかけての大幅な住宅価格の上昇幅と大体一致する。

びっくりするかもしれないが、ここまでは、今回紹介する論文のイントロのようなものである。今回取り扱うのは、Glaeser, Gottlieb, and Gyourko によるNBERワーキングペーパー("Can Cheap Credit Explain the Housing Boom?", NBER WP No. 16230)である。このペーパーは、上で挙げたような低金利による住宅価格上昇の説明に疑問を差し挟んだものである。具体的には、彼らは、理論面、実証面の両方からHimmelberg, Mayer, and Sinaiの計算に疑問を投げかけている。理論面では、PoterbaそしてHimmelberg, Mayer, and Sinaiの使ったシンプルなモデルをより現実的なものに拡張するとHimmelberg, Mayer, and Sinaiが得た住宅価格の弾力性(=20)は小さくなると主張している。具体的な論点は以下の通りである。

  1. シンプルなモデルでは金利が将来にわたって一定であると仮定されている。Himmelberg, Mayer, and Sinaiのいう「金利の低下」とは永久的な金利の低下を仮定しているのである。これは非現実的だ。その変わりに金利はmean-reverting(長期的には平均的な水準に戻ってくる)と仮定し、人々はそれを期待に織り込んでいると仮定すると、住宅価格の弾力性は低くなる。
  2. シンプルなモデルでは、一旦家を買ったらその家に永久的に住み続けると暗黙に仮定されているが、実際は毎年15.5%の人が引っ越している。この数字は引越し率の高い借り家の人も含まれているが、例えば、毎年6%の人が引っ越すと仮定すると、購入した家に住む平均的な年数が低下するので、金利が住宅価格に与える影響(弾力性)は低くなる。
  3. シンプルなモデルでは、一旦家を買ったら金利は固定されると仮定されているが、多くの人がリファイナンス(住宅ローンの借り換え。金利が引くときに高い固定金利のローンから低い金利のローンに切り替えるのが一般的な使われ方)を行っている。リファイナンスが可能なモデルに拡張すると、現在の金利が将来の住宅所有コストに与える影響が小さくなるので、住宅価格の弾力性は低くなる。
  4. シンプルなモデルでは、住宅購入を考えている人が将来の住宅所有コストの割引現在価値を計算するときに市場金利が用いられるものと暗黙に仮定されているが、主観的な割引率が市場利子率と常に一致しているとは考えにくい。もし、将来の住宅所有コストの割引現在価値を計算する際の主観的な割引率と市場金利の間に乖離がある、もっと具体的に言えば、前者は後者の動きより小さい、と仮定すると、金利(市場金利)が住宅価格に与える影響は小さくなる。
  5. シンプルなモデルでは、住宅の供給量は一定(非弾力的)を仮定されている。住宅の供給が弾力的になればなるほど金利が住宅価格に与える影響は小さくなる。極端な例では、弾力性が無限大の場合は住宅価格は金利に関わらず一定となる。

上で挙げた要素が実際どのくらい弾力性を変えるかはそれぞれの要素をどのようにモデルに組み込むかによって変わってくるが、Glaeser, Gottlieb, and Gyourkoは、上で挙げた全部を勘案すると、金利が住宅価格に与える影響は、シンプルなモデルに基づく弾力性の1/5位(弾力性=4)ではないかと述べている。つまり、2.5%の金利下落は10%程度の住宅価格の上昇しか説明できないのである。

また、実証面でも、データを下に金利の下落によってもたらされた住宅価格の上昇を計算し、1996年から2006年の間の42%の住宅価格上昇のうち8.2%だけが金利の下落によるものだ、つまり、彼らの拡張版モデルの数字と近い結果が得られた、と報告している。

Glaeser, Gottlieb, and Gyourko は、(1)の理論の他の2つの要素(住宅ローン貸出の際の審査のゆるみ、住宅購入の際に必要な頭金が減ったこと)に対しても攻撃を加えている。住宅ローン貸出の際の審査のゆるみについては、まず、住宅ローンの申し込み申請のうちどのくらいの割合が承認されたかを示すApproval Rateが、住宅価格が大幅に上昇した1990年代半ばから2000年代の半ばにかけて明らかに上昇したわけではないと主張している。具体的には下のグラフの実線がApproval Rateである。



また、彼らは、PoterbaのシンプルなモデルにApproval Rateを組み込む拡張も行い、理論的にもApprovnal Rateの上昇が住宅価格に与える影響は小さいと主張している。

最後に頭金についても、(1)平均的なLTV ratio (Loan-to-Value ratio、住宅ローンの住宅価格に対する割合。1-頭金の割合と考えてもよい)は、1990年代から2000年代中頃にかけてとても安定していた(medianは1998年から2008年までずっと20%、meanは1998年は74%、2007年は73%、2008年は67%と下がっている)こと、(2)拡張した理論モデルもLTV ratio(あるいは頭金の割合)が住宅価格に与える影響は小さいという結論を導き出している、ことを根拠に、住宅価格高騰の主要な説明にはなりえないと結論付けている。

では、何が住宅価格高騰の背景にあるのか?著者らも、特に代替的な理論はなく、消去法によってIrrational Exuberanceを支持するしかないと(あまり熱狂的にではないが)主張している。個人的には、Irrational Exuberanceをサポートする積極的な(消去法でない)議論が発展しない限り、ファンダメンタルズに基づく理論の構築への努力が続けられていくだろうと思われる。

Wage Risk and Employment Risk

マクロ経済指標ばかり見ていると忘れがちなことであるが、GDPの変動は個々人の所得の変動に比べるととても小さい。GDPを国内に住む人の平均所得として捕らえると、GDPの変動は平均的な所得の変動と言い換えることができるが、その平均的な変動幅はせいぜい毎年2%くらい(これはトレンドを除去した実質GDPのstandard deviationである)である。歴史上まれに見る景気後退を経験した2009-2010年でも、GDP成長率は最低であった2009年の中ごろで前年同期比約4%の下落であった。その一方、個々人の所得の変動は平均で毎年15%近いという推定値がある。歴史上まれに見る景気後退期でも平均所得の下落幅は、通常の個々人の所得変動の1/3程度でしかないのである。

このような問題意識を背景に、マクロ経済学では、1990年頃以降、個々人が抱えるリスク、特に個々人の所得に関するリスクに関する研究が理論、実証の両面で進んできた。マクロで一般的に使われるRepresentative Agent Modelに対応して、Heterogeneous Agent Modelと呼ばれるモデルが理論面では発展してきた。

但し、これまでの研究では、「個々人の所得の変動」というものの中身について、十分な注意を払ってこなかった、というのが、今回取り上げる最新のAERに掲載されたペーパー(Low, Meghir, and Pistaferri, "Wage Risk and Employment Risk over the Life Cycle,"(AER2010))の主要なメッセージである。では、著者らは「個々人の所得の変動」の中身をどうやって分類したのか?彼らは、(1)労働者の生産性の変化に対応した所得の変化、と(2)失業及び就業に伴う所得の変化、の違いに注目した。失業したり、新しい職を見つけたり、転職したりした際に所得が変動するのは、容易に理解できるであろう。それ以外にも、同じ企業に勤め続けていても、所得は変動することが知られている(わかりやすいのは昇給だろう)。このペーパーの貢献は、まず第一に、アメリカの個人レベルのデータを使って、(1)と(2)の大きさを別々に推定したことにある。これまでの多くの論文では、個人レベルの所得リスクを議論する際に、両者を一緒にして推定していたのである。

では、(1)と(2)を分けて考えることにどのような意味があるのだろうか。あるものの中身について考えるのが重要なのは、それによって中身を意識しないで得られる結論と大きく異なる結論が得られるときで、何でもかんでもディテールにこだわればよいというものではない。例えば、マクロ経済学において、みかんとiPadの消費を区別せずに「民間消費」というもののみに注目するのは、細かく見ても主要な結論は大きくは変わらないと想定されているからである。筆者らは、(1)と(2)の違いに注目することで、失業保険や、障害保険、フードスタンプ(低所得者向けの食料費補助政策)といった異なる公的社会保険制度(セーフティネットと考えてもよい)がそれぞれ、(1)と(2)のリスクをどのくらい軽減する役割を持つか、そして、どの社会保険制度がより費用対効果が高いのか、といったことを、モデルを使って分析できるというのを、(1)と(2)の違いをきちっと取り扱うメリットとしてあげている。

では、実際のペーパーの中身をもう少し詳しく見ていこう。

彼らは、以下のような個人レベルの不確実性があるライフサイクルモデルを個人レベルのデータから推定した。
(a) 個々人の生産性はランダムウォークに従う。
(b) 労働者は失業リスクがある。具体的には、労働者は毎期毎期ある確率で職を失う。
(c) 失業者は毎期毎期ある確率である会社に職を見つける。
(d) 労働者も毎期毎期ある確率で別の会社からオファーを受ける。
(e) 会社の生産性はある確率分布に従っている。(c)と(d)のケースでは新しい会社の生産性はこの確率分布から決まる。

さらに、著者らは、高卒かそれ以下の労働者とそれ以上の学歴を持つ労働者について、別々に個人レベルのリスクを推定した。彼らの主要な発見の一つは、失業や就職、転職から生じる所得の変化を別々に取り扱わずにすべてあわせて「生産性に対するショック」として推定すると、「生産性に対するショック」の大きさは50%程度大きく推定されてしまうというものである。

次に、著者らは、アメリカの社会保険制度をまねたプログラムが存在するモデルを作り、そのモデルの中の個々人が上であげたような不確実性に著面している中で、どのように消費、貯蓄、労働に関する決定を行うかを分析し、モデルにおける個々人の行動パターンと実際にデータで見られる行動パターンを比較するすることで、モデルにおけるパラメータを決定した。別の言い方をすれば、モデルにおける個々人の行動がデータと近くなるようにモデルのパラメータを推定したともいえる。

では、改めて、どのような社会保険制度が存在するかを整理しておこう。
(i) 失業保険:労働者が失業した場合、働いていたときの所得の75%に当たる金額を一定期間(アメリカでは平時は半年(26週)なのだけれども、彼らの設定では1四半期となっている。なぜだろう)受け取れる。
(ii) 一般的な低所得者向け所得補償:各期の所得がある下限を下回っている場合のみ、所得に応じた(所得が少なければ少ないほど多い)補助金を受け取れる。フードスタンプのような低所得者だけが対象となるプログラムをすべて足し合わせたものである。
(iii) 障害保険:モデルでは生産性の低下を障害によるものとして捕らえ、生産性が低下した個人は傷害保険に応募できることとした。応募した場合、一定の確率で承認される。承認された場合は、生涯一定金額の補償を受け取ることができる。
(iv) 退職後の社会保障制度(いわゆるSocial Security):退職した個人は生産性に応じて一定の金額を生涯受け取ることができる。

著者らは、推定したモデルを使ってさまざまな仮想実験(counter-factual experiment)を行い、以下のような結論を導き出した。いわゆるStructuralなモデルを使うことの大きなメリットは、実際の経済では行えない仮想的な政策の効果の分析を、モデルを実験台としてできることである。実験用のマウスの代わりにマウスの生態を真似たプログラムを組んでコンピューター上のマウスで実験を行うようなものである。各個人の幸福度が明示的に取り扱われていることで、どのような政策が「望ましいか」という分析ができることも大きなメリットである(望ましい政策について意見が異なる個人が存在している場合、どのように「社会的に望ましい」政策を定義するかは難しい問題であるがここでは捨象する)。

1. 生産性に関するリスクが大きくなった場合、経済における総収入はあまり変わらないけれども、個々人のwelfare(幸福度と考えればよい)は大きく下がる。例えば、生産性へのショックの大きさが50%増えた場合、経済における総生産は4%下落するだけだが、毎期毎期の消費に換算して約16-19%welfareが減少する(つまり、生産性へのショックが50%増加することによる幸福度の下落幅と、消費が毎期毎期16-19%下がるときの幸福度の下落幅が同じくらいということである)。これはなぜか。総生産があまり下がらないのは、ショックの幅が大きくなれば生産性がものすごく低い人が生み出されると同時に生産性がものすごい高い人も生み出されるからである。(平均的な)幸福度が大きくがるのは、生産性の高い人の生産性がものすごく大きくなったときの幸福度の改善幅に比べ、生産性の低い人の生産性がものすごく低くなることによる苦しみの増大幅がとても大きいからである。

2. 失業リスク(労働者が失業する確率)が大きくなった場合、失業者が増えるので総生産は大きく減少するが、個々人の幸福度に与える影響は比較的小さい。これはなぜか?総生産が減少することは容易に理解できるであろう。幸福度に与える影響が比較的小さいのは、モデルでは個々人は将来失業した際に備えて貯蓄をするので失業時の所得の減少を貯蓄で補うことができること、失業の期間は平均的にはそれほど長くはないこと、失業した際は余暇の時間が増えるので、所得の減少幅ほどには幸福度に悪影響が出ないこと、が挙げられる。但し、失業期間は平均的には長くはないが、失業することで技術などを失い将来の賃金も下がってしまう可能性や、余暇の時間から得られる幸福度の評価方法などについては、より慎重な考察が必要だろう。

3. では、失業保険と低所得者向け所得補償ではどちらがより幸福度を高めるだろう。比較をうまく行うために、筆者らは、ある一定金額の政府予算を使って、失業保険あるいは低所得者向け所得補償を増額した場合の幸福度への影響を分析してみた。彼らの比較によると、(3-1) 学歴に関わらず、個々人は低所得者向け所得補償の方を好む、(3-2) どちらの政策にしても学歴が低いグループの方が幸福度が高まる、ことがわかった。なぜ低所得者向け所得補償の方が失業保険より好まれるのか。鍵となるのは、生産性に関するリスクは将来の生産性にまで影響を与える(ランダムウォークであることを思い出してほしい)一方、失業に関するリスクは一時的で、長期的な影響はあまりないからである。このような状況では、生産性に関するリスクをヘッジするのに役立つプログラムの方が好かれるのである。今比較しているプログラムで言えば、低所得者向け所得補償の方が生産性に関するリスクの軽減に役立つのである。学歴の低いグループの方が大きな恩恵を受けるのは、このグループの個々人の方がこれらのプログラムの恩恵を受ける可能性が高いので、これらのプログラムの拡張は、高学歴・高所得グループから低学歴・低所得グループへの(平均的な)所得移転の役割を果たすからである。

マクロ経済において重要なフィードバックメカニズムである一般均衡チャンネルが考察されていないという不満はあるものの、マクロ経済学においてこのような細かい社会保障プログラムの詳細な分析までできるようになったことは、とてもうれしいことだ。現在の日本の例で言えば、同じようなアプローチで子供手当ての効果を分析することは十分可能であろう。

Unemployment Fiscal Multiplier

前回は、Fiscal Multiplier(政府支出(税金)を1ドル増やした(減らした)時にGDPが何ドル増えるか)について書いたが、今回の景気後退においてGDPと同じくらい注目を浴びているのは高止まりしている失業率である。GDPが何%上がった下がったという話よりも、職が見つかったとか失業したという話の方が個々の労働者には重要といえるからである。今回紹介する論文(Monaceli, Perotti, and Trigari (JME2010), "Unemployment Fiscal Multiplier")は、失業率乗数と呼ぶものを定義して、データ、モデルの双方から失業率乗数を分析したものである。この論文はCarnegie-Rochesterシリーズなので、Merzがコメントを寄せている。

失業率乗数とは何か?簡単に言えば、政府支出(税金)をGDPの1%相当増やした(減らした)時に、失業率が何%下がるかという指標である。筆者達は、まずはこの失業率乗数をアメリカの過去(1954-2006年)のデータから推定した後で、失業が生じるRBCモデル、及びその拡張版であるNew Keynesianモデルを使って、どのようなモデルが、データから推定された失業率乗数を再現できるかについて考察している。

まずはデータから見てみよう。VARを使った推定によると、政府支出をGDPの1%相当額増やした場合、GDPはピーク時(約2.5年後)に1.6%増加する。民間消費は同じくピーク時に0.7%増加する。総労働時間は1.5%増加する。これは主に雇用者数の増加によるもので、労働者一人当たりの平均労働時間はあまり反応しない。失業率は同じくピーク時(政府支出増加から2.5年後)に0.6ポイント下落する。これが彼らが失業率乗数と呼ぶものである。賃金はピーク時に約2.5%引き上げられる。但し、前に書いたとおり、これらの推定値、特に政府支出拡大に対して消費がどう反応するかについては、正反対の結果があり、経済学者間で合意ができていないことに注意してほしい。

では、これらの乗数はRBCモデルで再現できるであろうか?筆者達はまずは失業の生じるシンプルなRBCモデルからスタートする(ちなみに「RBCモデルでは失業は存在しない」といったようなことを言う人がいまだにいるのは嘆かわしい)。失業の存在するRBCモデルはAndolfatto(AER1996)とMerz(JME1995)によって開発された。これらのモデルでは、労働者のある一定割合は会社がつぶれるなどして職を失う。失業者は職探しをするのだが、職が見つかるかどうかはその時に求人がどのくらいあるかによって決まる。求人が多いときには、職が見つかる確率が高く、求人が少ないときには職が見つかる確率は低い。企業がどのくらい求人を出すかは、企業が雇用を増やしたときに利潤がどのくらい増えるかによって決まる。労働者を増やしたときに増える利潤の幅が大きければ大きいほど企業は多くの求人を出すこととなる。企業が労働者を一人雇ったときの利潤はどのように決まるだろうか?シンプルなモデルでは、労働者の生産性と、労働者に支払わなければならない賃金の差である(そのほかのコストは捨象しておく)。つまり、労働者の生産性が高ければ求人が増えるし、労働者の賃金を低く抑えることができれば生産性は変わらなくても利潤は増えるので求人は増えるのである。ちなみに、このようなシンプルなモデルを使うと、最低賃金を引き上げたときには企業の利潤が減るので求人が減少し、平均的な失業率は上昇する。

筆者らは、このようなモデルを使って、政府支出拡大が、GDP、消費、失業率、賃金にどのような影響を与えるかをシミュレーションによって分析した。その結果は以下の通りである。シンプルなモデルでは、政府支出をGDPの1%相当額増加した場合、GDPはピーク時に約0.2%増加する。しかもピークは財政支出拡大の約3ヵ月後である。消費は約0.7%減少する。消費の反応のピークは財政支出拡大の直後である。失業率はピーク(約3ヵ月後)で0.2ポイント低下する。賃金はピーク(財政政策発動の直後)に約0.3%減少する。上で述べたデータと比べれば一目瞭然だが、一言でいうと「ぜんぜんだめ」である。

民間消費が財政支出拡大に反応して減少するのはRBCモデル共通の性質なので、特に改めて驚くことではないが、なぜ賃金が減少するのだろう。そのことを説明するために、このモデルにおいて財政支出拡大がどのようなメカニズムで経済に影響を与えるかを説明してみる。筆者らによると、財政支出拡大が経済に影響を与える主要なチャンネルは3つある。

(1) 財政支出拡大は将来の増税を伴うので、負の資産効果(負の所得効果)によって民間消費が減少する。消費が減少するということは消費が稀少になるということなので、失業者はより多くの余暇を楽しみ、余暇の価値は消費の変動によって影響を受けないという設定の下では、(消費に比べた)余暇の相対的な重要性が減少する。余暇の相対的な重要性が下がると、企業との賃金交渉において労働者は不利になる。なぜかというと、交渉が決裂して労働者が失業した際に楽しめる余暇の価値が低いので、労働者は交渉において強気に出られなくなるからである。企業の交渉力が上がると、賃金が下がる。労働者の生産性が下がらないとすると賃金の減少によって企業の利潤は上がり、このような状況を見越した企業は求人を増やすので失業率も下がることになる。

(2) 政府支出の増加によって民間消費と民間投資がクラウドアウトされる。投資の減少によって資本が減少し、金利が上昇する。金利が上がると、将来の利潤の割引率が上昇し、将来の利潤の現在価値が低下するので、企業は求人を減らす。

(3) 資本の減少によって労働者の生産性が下がるので、企業の利潤も減少し、求人が減少する。

政府支出の増加に反応して失業率が下がるということから(1)の効果が(2)と(3)を上回っているとがわかる。これまでの分析でシンプルなモデルでは、データから計算した乗数が再現できないことがわかった。では、シンプルなモデルをどのように拡張すれば状況が改善するだろうか?筆者らは以下の拡張を試してみた。

1. 失業者への失業保険:失業保険の導入はモデルの失業率乗数を「下げる」こととなってしまう。上の(1)を見ればわかるが、財政支出拡大に反応して失業率が下がるためには、失業者が余分に楽しむことができる余暇の相対的な価値が下がることが重要であるが、失業保険ではこのチャンネルがきかなくなってしまうからである。

2. 賃金の硬直性:賃金の硬直性の導入もモデルの失業率乗数を「下げる」結果となる。賃金が下がることが大きな失業乗数のために重要なのだけれども、賃金の硬直性はそのチャンネルを弱めてしまうからである。

3. 賃金への課税:最初に扱ったシンプルなモデルでは、労働者も失業者も一律に定額税(lump-sum tax)を払うと仮定しているが、課税方法を労働者の賃金への課税とするとどうなるであろうか?この場合、政府支出の増加に対応して現在及び将来の税率が引き上げられると、労働者にとって失業していることが(相対的に)魅力的となるので、賃金交渉における労働者の相対的な交渉力が高まり、企業の利潤は下がることとなる。つまり、失業率乗数は弱められることとなる。

4. これまで扱ったシンプルなモデルに名目価格硬直性やcounter-cyclical mark-upを導入したNew Keynesianモデルにした場合、財政乗数や失業率乗数を引き上げることができるが、アドホックな仮定が多すぎてよくわからない(それにあまり面白くない)ので深く立ち入らない。

ここまで機械的な説明が多すぎて恥ずかしいのだが、最後に、多少、このペーパーを離れたコメントをしておく。2009年以降、アメリカではARRA (American Recovery and Reinvestment Act)のもとで非常に大きな財政支出拡大を行ってきているが、2009年の半ば以降失業率は10%を少し下回るあたりをうろつき続けている。非常に単純に考えると、例えば、財政支出拡大がGDPの3%、失業率乗数が0.6だとすると、財政支出拡大によって失業率は1.8%引き下げられるはずである。一方、失業率は2009年以降高いレベルで安定している。これはなぜか?3つの考え方を挙げておこう。
(a) ARRAがなければ失業率は現在のレベルより高いものとなっていた。
(b) 失業率乗数はこのペーパーで計算された値ほど高くはない。
(c) 現在実施されている失業保険の拡張(普段は半年まで失業保険を受け取れるのだが、現在は最高2年まで失業保険を受け取ることができるようになっている)によって、職を探すインセンティブが減少していることが、失業率の高止まり(あるいは財政支出拡大が失業率に与える影響の帳消し)の背景にあるのではないか。

失業率乗数をめぐる議論は、データ、理論の両面において一層の発展が望まれる。

Fiscal Multiplier from RBC Perspective

独立記念日以来だから本当に久しぶりだ。夏は夏休み+学会のシーズンなので、なかなか腰を落ち着けて生産活動をすることができなかった。それに、ブログ更新は一旦ペースが崩れるとなかなか再開が難しい。何度も同じようなことを書いてるが定期的に更新するリズムが作れるようにがんばろう。[9月19日に加筆]

前にも同じようなことを書いた気もするが、気にせず書こう。UhligのWorking Paper(Some Fiscal Calculus、要約バージョンがAER-PP(2010)に最近パブリッシュされた)を元に書いてみる。Great Depressionとも言われる現在の景気後退に対応して、アメリカ政府が大規模な財政支出増加を実施して以来、財政政策の効果が盛んに議論されている。特に議論の的になっているのは、Fiscal Multiplier(「財政乗数」とでも訳せばいいのだろうか)の大きさである。Fiscal Multiplierというのは、簡単に言えば、政府が財政支出を1ドル増やしたらGDPが何ドル増えるか、という数字である。普通に考えればもちろん大きければ大きいほどよいものである。

Fiscal Multiplierがなぜ議論の焦点になったかというと、2009年に大規模な財政支出拡大を実施する際に、当時のCEA(Council of Economic Adviser)委員長であったChristina Romerが、財政支出拡大の根拠として、比較的大きなMultiplierを示し、それを元に拡張的財政政策の効果を数値化したからである(Romer and Bernstein (2009), "The Job Impact of the American Recovery and Reinvestment Plan")。以下のグラフはそのときに用いられた数字を基に作られている(Uhlig(2009)より抜粋)。



上のグラフの上半分を見てほしい。このグラフは、2009年の第1四半期以降、GDPの1%にあたる大きさの財政支出拡大を永久的に行ったときに、GDPが各四半期どれだけ増えるかを示したものである。恒久的な財政支出拡大の効果は次第に大きくなってゆき、2011年以降はGDPを約1.6%引き上げることが示されている。経済学者の多くは財政支出拡大よりも減税の方が景気対策として有効だという意見のものも多いので、同じグラフの中では、恒久的な減税の効果も比較の対象として示している(上のグラフの下半分)。減税もGDPを引き上げる効果があるが、その効果(Fiscal Multiplierで測られている)は財政支出拡大に比べて小さい、というのがメッセージである。

この結果に対して噛み付いたのがUhligのペーパーである。細かい点は省略して、Uhligの論点を以下に整理する。

1. 使用したモデルや背後にある仮定が明確に示されていないためFiscal Multiplierがどのように計算されたかよくわからない。実施、Romer-BernsteinはFRB/USモデルを使ったこと、FFRはゼロ近辺に留まると仮定していること、等に言及しているが、具体的なモデルやシナリオ、パラメーター等は示されていない。

2. 単純なRBCモデルを使うと、Romer-Bernsteinが示している財政支出拡大の効果と近い結果が得られるが、モデルによると、財政支出拡大には以下のような問題点がある。

(a) 財政支出拡大によって政府債務は大きく増える。長期的には政府債務のレベルを元のレベルに戻さなければならないと仮定し、増税(distortionary taxation)によって債務を減らすと想定すると、短期的にはGDPは増えるものの、長期的には、増税の効果でGDPは減る。以下のグラフは、モデルから導かれる恒久的な財政支出増加の効果を長期的に見たものである。



GDPは緑の線、税率は赤の線で表されている。短期的には(グラフの左端の方)、Romer-Bernsteinの示した数字のようにGDPを引き上げる効果があるが、長期的にはGDPは財政支出拡大のない状態に比べて約1%下回ることとなる。なぜ短期的にGDPが上昇するかというと、長期的にはGDP(収入)が下がることがわかっているので、家計は消費と余暇の時間を減らし、余暇の時間の減少は労働供給増加に等しいからである。いわゆるケインジアン的な、「総需要を増やすと雇用が増える」ロジックではない。Romer-Bernsteinのように短期的な影響だけ見ると長期的な影響を見落としてしまう。

(b) 上のグラフに示されている通り、財政支出拡大が消費(青い線)に与える影響は短期的にも長期的にもマイナスである。これはなぜかというと、財政支出拡大によって、家計は将来的に増税されることがわかっているので、将来の増税に備えて消費を減らすからである。GDPに与える影響だけ見るのは間違っていると解釈することもできる。

(c) Fiscal Multiplierは短期的にも1.6には行かない。せいぜい1である。この点については、zero boundを入れたモデルではFiscal Multiplierが大きくなることがわかっている。AEJ-Macro ForthcomingのWoodfordのペーパーがこの分野のよいサマリーとなっているので(きちんと理解できれば)近日取り上げる予定。

3. 同じRBCによると、減税の効果は短期的にはRomer-Bernsteinの主張するように財政支出拡大より小さいかもしれないが、長期的な効果は財政支出拡大より害が小さい。よって、再び同じ主張をするが、短期的な効果だけ見るのは好ましくない。以下のグラフはUhligのモデルにおける減税の効果を示したものである。Fiscal Multiplierは上の例に比べて小さいけれども、長期的なGDPの減少は起こらない。



4. 上で示したいくつかのシミュレーション結果は、拡張的な財政政策に伴って増加する政府債務を元のレベルに戻すスピードをかなり遅いものと仮定している。そうしないと短期的にRomer-Bernsteinの結果と整合的にならないからである。言い換えると、財政政策がGDPに与える影響は将来債務を減らすスピードに大きく依存している。政府債務をすぐに元のレベルに戻すという仮定の下では、GDPが短期的に引き上げられる効果も小さくなる。

5. 今回取り上げたペーパーでは、名目価格硬直性などの、いわゆるNew Keyesian的な要素を含んでいないモデルを使っているが、より最近のペーパーでは、名目価格の硬直性や、ゼロ金利下限、最適な消費を選ばない消費者(Rules-of-thumb consumers)を導入したモデルも使用し、上にあげた結論は、これらの追加的な仮定の下でも成立すると述べている。

最後に、Uhligは、Representative Agent Modelを使って財政政策の効果を分析していると、Positive Analysis(モデルに基づいて財政政策のGDP等に対する効果を分析する)はできるが、Normative Analysis(財政政策がWelfareにどのような影響を与えるか、あるいは「最適な」財政政策は何かについて分析する)が難しいという点に言及している。明らかなことだが、frictionやhabit 等がまったくないモデルでは、財政政策は何の役にも立たない。Normative Analysisを発展させるためには、財政支出はどのように使われているか(投資か、消費か、所得移転か)、どのように家計に影響を与えているのか(消費を増やしているのか、職を与えているのか、将来の生産性を高めているのか、所得再配分をしているのか)等についてより厳密なモデルを構築していく必要があるのだろう。