Does the Standard Heterogeneous-Agents Model Generate Realistic Consumption Smoothing?

所得再分配政策の効果の分析や、年金制度の分析、所得や資産の不平等の分析、あるショックが異なる人々にどのように異なる影響を与えるかといった分析、を するには、モデル自体にさまざな面で異なる家計(あるいは個人)を導入する必要がある。どのような「異質性」を導入するかは、どのような質問に答えるため にモデルを使用するかに寄るのだが、現代のマクロでしばしば使われるモデルとして、年齢、生産性(労働所得)、資産保有量、の面で異なる家計から構成され る一般均衡モデルがある。いわゆるBewley-Aiyagari-Huggett Model、あるいはこのペーパーではSIMモデル(Standard Incomplete-Markets Model)といわれるものである。このモデルは、多くの分析で重要となる異質性を含んでいること、に加えて、市場の構造が外的に与えられる(一番シンプ ルなモデルでは金利一定で貯蓄あるいは借り入れすることができるだけと仮定される)ので比較的解きやすい(とはいえ、普通はコンピューターのプログラムを 自分で書かなければ解けない)こと、基本モデルが解きやすいことからさまざまな面で拡張がしやすいこと、重要と思われるさまざまな面でモデルが現実をうま く描写できていること(そのこと自体が、即モデルが正しいことの証明とはならないが…)などの理由から、最初にあげたような分析においてスタンダードなモ デルとして用いられている。日本人も、MukoyamaさんやKitaoさんが活躍している分野である。

これらのモデルで一番重要なの は、市場が不完備(incomplete)と仮定されていることである。この言葉自体ジャーゴンなので例を挙げて説明してみよう。例えば、同じ会社で働い てる人が2人いるとして、会社の業績が悪いので明日1人がクビになるとわかっているとしよう。2人ともクビにはなりたくない。がどちらもクビにならない自 信があるわけではない。クビになったら明日の収入はゼロになると仮定しよう。この場合、マクロ経済学で使われる「通常の仮定」の元では、2人は、クビにな らなかった方がクビになった方に収入の半分をあげるという契約を結びたがる。こうすれば、どちらがクビになったところで、収入はクビにならなかった方の半 分になる。収入はクビにならなかったときより少なくなるけど、クビになった場合に収入がゼロになるという最悪の事態を避けることができるのである。上で書 いた「通常の仮定」とは、2人とも、クビにならなかったときに収入全部を自分のものにできるとしても、クビになって収入がゼロになるリスクを負うくらいな ら、半分の収入を、クビになってもならなくても確実に受け取れるという状況のほうを好むという仮定である。不完備市場という仮定は、このような契約を(本 当は結びたくても)結ぶことができないという仮定である。本当は結びたいのに結べないモデルはおかしいと考える人たちは、このようなモデルを離れて、結び たいけど結べない状況を生み出せるモデルを研究している。例を挙げると、クビにならなかった人が「半分収入を君にあげるの、やっぱやめた。」と言える様なケースでは、二人とも疑心暗 鬼になってこのような契約が結べないかもしれない。こういうモデルは複雑になって、モデルをさまざまな分析のために拡張することが難しくなるので、不完備市場のモデルの方が、複雑なモデルにおける政策の分析には主に使われている。

話を戻すと、市場が不完備(クビになった人がクビにならな かった人にお金を払うというような複雑な契約が結べない状況)でも、SIMモデルでは、クビになったときのダメージを和らげる手段が存在する。クビになっ たときに備えて貯金しておけばよいのである。収入はゼロでも、貯金が十分にあればクビになっても一時的には悲惨な状況をしのぐことができる。このような目 的の貯金は予備的貯蓄(でいいのかな、訳、Precautionary Motive Saving)と呼ばれている。あるいは、このような不完備市場では、自分で貯蓄をするしかリスクに備える方法がない(他人と協力してリスクを消すことが できない)ことから、Self-Insuranceとも呼ばれている。話をまとめると、SIMモデルでは、個々の家計は貯金をすることで自分だけでリスク に備え(Self-Insurance)、収入が時とともに上下するような状況でも消費の変動を抑えることができているのである。

ちなみ に、年齢の異質性がないSIMモデルで、市場を完備にすると代表的個人(representative agent)しかいない新古典派成長モデルに戻るという点で、SIMモデルというのは、新古典派モデルの1つの変種と捉えることができる。個々の家計がいろいろは複雑な契約を使うことができると、個々の家計が個人的に直面するリスクはすべてうまくヘッジされ、多くの異なる家計がいるモデルでも消費(および他の変数)は全員同じになってしまうからである。逆に考えると、 DSGEモデルのようなrepresentative agent modelというのは、SIMモデルから出発して、市場を完備にした結果として現れるモデルと考えることもできる。

ではSIMモデルは 「現実的」であろうか?モデルが現実的でなければ結果は何の意味もない(いわゆる「garbage-in, garbage-out」(モデルがクズなので結果は自動的にクズというペーパに対して使われる言葉)である)。モデルが「現実的」か否かを測る尺度はい ろいろ存在するが、予備的貯蓄によって達成される消費の変動の抑制度合いが、現実と近いであろうか?という質問に答えたのが、今回簡単に触れるペー パー(Kaplan and Violante, "How Much Consumption Insurance Beyond Self-Insurance," AEJ Macro 2011)である。モデルがデータと整合的かという質問に答えるには、まずはデータがなければならない。このペーパーがかかれるきっかけになったのは、 Blundell-Pistaferri-Preston (BPP)によるとても有名な最近のAERペーパー(2008)である。BPPのすごいところは、これまでは存在しなかった家計の消費と収入に関するパネルデータをいくつかのデータ セットをつなげることで作り出し、そのデータを使って個々の家計の収入の変動がどのくらい消費の変動に結びつくかを計算することができたことである。 BPPは個々の家計の所得の変動を、「恒久的変動」(働いている限りずっと影響のある変動)と「一時的変動」(1年だけの変動)に分けて、それぞれのタイ プの変動がアメリカにおいて消費にどれくらい影響を与えているかを計算した。BPPは所得の変動が消費の変動にどのくらい影響を与えるかを測る指標とし て、いわゆる「BPP係数」というものを提案した。BPP係数は0から1の値をとり、0は所得の変動がまったく緩和されずに消費にダイレクトに影響を与え る状態、1は所得の変動が消費にまったく影響を与えない状態を表す。消費の変動を抑えるという観点に基づけば、1に近い方が望ましい。BPPの計算による と、恒久的所得変動に対するBPP係数は0.36(所得の変動の2/3位が消費の変動に結びつく)、一時的所得変動に対するBPP係数は0.95(つまり 所得の変動がほとんど消費に影響を与えない)であった。

Kaplan-Violanteは恒久的所得変動と一時的所得変動のあるSIMモ デルにおいて、BPP係数がどのくらいかを計算した。まずは家計が貯蓄はできるけれども借り入れはできないと仮定しよう。その基本モデルでは、恒久的変動 に対するBPP係数は0.07、一時的変動に対するBPP係数は0.82であった。特に恒久的変動に対するBPP係数が低い。では、モデルとデータの乖離 を小さくするために何ができるであろうか?彼らはいくつかのモデルの拡張を行い、拡張されたモデルのBPP係数がデータに近づくかを試してみた。

ま ずは、家計が借り入れをできると仮定すると、恒久的所得変動に関するBPP係数は0.22、一時的所得変動に対するBPP係数は0.94まで上昇した。借 り入れができるということは、所得が低下したときに、貯蓄がなくても借り入れによって消費の変動を抑えることができるので、BPP係数は高くなって当たり 前である。彼らの実験の結果ではモデルのBPP係数はかなりデータに近づくこととなった。但し、このケースにおいては、データでは見られないくらいの巨額 の借り入れを許しているので、この結果を元に、借り入れを許せばモデルの欠点は解消されるとは必ずしもいえないと思う。

次の拡張は、恒久 的所得変動の少なくとも一部は事前にわかっているという仮定を加えたモデルである。(少なくとも昔の)日本の会社であれば、35歳で課長代理になってその ときは収入はXX円ということが大体想像がついたので、このような仮定は受け入れやすいであろう。多分アメリカであっても、例えば大学であれば、「7年 たったらテニュアをもらって所得は50%アップ」といったことがおぼろげながらわかる人も多いと思われるので、この仮定はそれほどおかしなものではない。 但し、彼らの実験の結果、長期的な収入の増加度合いを各家計が大体予想できるモデルでは、BPP係数はおかしなことになるとわかった。具体的には、25歳 の段階で60歳までの恒久的な所得変動の80%はわかっているケースでは、BPP係数は-0.31(マイナス!)、そのモデルにおける一時的所得変動に対する BPP係数は0.82(つまり基本ケースと変わらない)であった。なぜ恒久的変動に対するBPP係数がものすごく小さくなる(つまり所得の変動が消費にダ イレクトに反映するようになる)のか?例えば、60歳にはものすごい高給取りになるとわかっている人がいるとしよう。そういう人にとっては、所得が少ない 若いときもたくさん消費をすることが最適な行動となる。但し、借り入れは禁止されているので、将来所得が上がるとわかっているたくさんの人が、貯蓄ゼロの 状態で所得が増えるのを待っている状態となる。貯蓄がゼロであれば、恒久的所得変動によって所得が増えた場合、その所得をすべて使ってしまうのが最適、つ まり、所得の変動が消費の変動にダイレクトに反映される人が増えるのである。この拡張の分析によって、所得の長期的な動きの多くの部分が事前にわかってい るという仮定は、モデルのBPP係数をデータと近づける役にはたたないということがわかった。

基本モデルでは、所得の変動を「恒久的変 動」と「一時的変動」に分けたが、「恒久的変動」のかわりに、「長期にわたって持続する(けれども恒久的でない)変動」をつかったらどうなるであろうか。 収入の変動をモデル化するときには恒久的変動がよく用いられるが、それは、恒久的変動が扱いやすいからということもある。実際は、恒久的変動と長期的に持 続する変動の区別は難しい(もうすこしだけ正確に言えばランダムウォークとpersistenceの高いAR(1)の区別は難しい)。では、長期的に持続 する変動を入れてみたところ、その変動に対するBPP係数は0.35(例えばAR(1)でannual persistenceが0.95のケース)、そのモデルにおける一時的所得変動に関するBPP係数は0.81であることがわかった。前者については、 データから計算したBPP係数とほぼ一致した。これはある意味予測できる結果である。恒久的な所得変動を、持続的だけど恒久的でないものに変えるというこ とは、恒久的変動を一時的変動に近づけていくことと同じなので、BPP係数は上がっていく。もし、モデルのほかの部分が正しいとすると、モデルが生み出す BPP係数は、所得変動は恒久的ではなく、長期に持続的なものだということを示していると解釈することもできよう。

では、このペーパーの結果はどのように解釈できるだろう。2つの(近いけれども多少)異なる解釈ができると思う。1つは、モデル自体は大まかには正しいけれども、実際の家計は、モデルに入っていない、所得の変動が消費に影響を与えるのを防ぐ手段を持っているという解釈である。それは、労働時間をある程度変えられるからかもしれないし(時給が少ないときには長く働く、あるいは収入が低いときは2つ目の職を持つ)、親の援助かもしれないし、政府の援助(フードスタンプなどの低所得者向け所得補助政策)かも知れないし、家計には2人の大人がいて、一人の収入が落ちてももう一人が働いていることで相殺できるからかもしれない。もう1つの解釈は、著者らのモデルに入っていない重要な要素で、消費をスムーズにするのに役立っている要素があるというものである。「家」や家を担保にした借り入れを入れたモデルや、habit formation(一度生活水準が上がると下げるのが苦痛になるような仮定)を導入したモデルが、データのBPP係数を再現するために必要なモデルなのかもしれない。

このペーパーで使われ たモデルは簡単なモデルなので、ペーパーの中で行われていなかった拡張の余地が多大にある。そういう意味で、このペーパーは一時的な「流行」を生み出すと 思う。それに、今後SIMモデルの拡張が行われた際には、じゃあBPP係数はどうなっているんだ、と皆関心をもつであろう。そう いう意味で、このペーパーは今後非常に重要な位置を占めることになると思う。一般的に、SIMモデルのような使いやすいモデルがデータとより注意深く比較 され、データとの整合性により注意が払われるというのは、非常によい傾向であると思う。

What We Know About Multiplier

そろそろ財政乗数(fiscal multiplier)ばかり取り扱っているわけにもいかないので、締めくくりとしてValerie Rameyによるサーベイ("Can Government Purchases Stimulate the Economy?" JEL2011)をまとめて最後にすることにする。彼女は、(1)理論モデル、(2)(アメリカの)時系列データによる推定、(3)アメリカの異なる州の比較による推定、の3つの方法論によってそれぞれどのような財政乗数が得られているかを整理した。彼女の結果は、3つの方法のどれを使ったとしても、短期的で、債務の増加(国債の新規発行)によってファイナンスされた政府支出の増加の財政乗数は0.8-1.5(広くとれば0.5-2.0)に収まっている、というものである。では3つの方法論について、1つづつ少し細かく見ていこう。

異なる理論モデルが生み出す財政乗数の違いを説明する前に、彼女は理論を比較するための視点を提供している。この点は、よく考えてみると当たり前なのかもしれないが個人的には面白いと思った。生産(GDP)を変化させるのは、技術、資本、労働である。技術と資本が短期的には変えられないとすると、生産を変えるのは労働供給だけである。つまり、財政乗数というのは、財政支出を増やしたときに労働供給がどのように変化するかをみているのである。

新古典派モデルにおいては、財政支出の増加が生産を変化させるチャンネルとして、(a)資産効果、(b)異時点間の代替効果、(c)インセンティブのゆがみ、がある。資産効果とは、生産量が一定で、政府が支出を増やして政府の消費を増やせば、今年生産されたもののうち消費者が自分の消費に回せる分が減る。現在の消費が下がるので(通常通り、余暇がnormal goodsと仮定すると)、労働(余暇)の時間が増える(減少する)というチャンネルである。

(b)はちょっとわかりにくいが説明してみよう。将来の増税が予想されるときは、貯蓄を増やすことによって、将来に消費を移動させて、将来の増税時の消費の減少を和らげようとする。将来に消費をシフトさせるために貯蓄を増やすことは、現在の消費を減らすことと同じなので、現在の消費が減り、余暇が減り、労働供給が増える、というわけである。当然、将来の増税の幅が大きければ大きいほどこの効果は大きいということになる。逆に言えば、一時的な政府支出の拡大の場合、将来のすべての収入に占める増税額の割合は小さいので、この効果は強くないということになる。

(c)については、インセンティブに影響を与えない税を使って新たな債務を将来返済するのであればRicardian Equivalenceが成り立つので、無視してよい。但し、そういう税は現実にはほとんど存在しない。例えば、将来にわたって所得税が増えれば、上で挙げたGDPを押し上げる効果は(全部ではないかもしれないが)打ち消されることになる。

前にも紹介したが、インセンティブの効果はとても大きいので、短期的な政府支出の増加が将来の所得税の増税と組み合わさると、財政乗数はとても小さくなる。極端な例では、Baxter-Kingは-2.5(マイナス!)になりうるという結果を示している。政府支出が恒久的で、将来インセンティブをゆがめない税(lump-sum tax)によってファイナンスされる場合には、財政乗数は長期的には1.2になると示されている。実際に先進国各国で実施されている財政拡大は、短期的で、将来はインセンティブをゆがめる税によって返済されることが多いので、財政乗数は1.2よりかなり低いと考えるのが適当であろう。

伝統的なケインジアンモデルでは、財政乗数は1/(1-mpc) (mpcとは1ドル収入が増えたときに消費が何セント増えるかを示した数字)となる。但し、このようなモデルは現実的ではなく、より現実的なニューケインジアンモデルを使うと、財政乗数は伝統的なケインジアンモデルよりはかなり小さくなることがわかっている。ニューケインジアンモデルでも、財政乗数が2.0のような高い数字を取る結果もある(Gali, Lopez-Salido, and Valles)が、その前提となるのは、(1)最低50%の消費者が、消費を最適に決定するのではなく、収入のある一定割合として行動する(rule of thumb consumer)、(2)労働時間は、企業の需要によって決められる、という仮定である。つまり、ニューケインジアンモデルをオールドケインジアンモデルに無理やり戻しただけの、しょうもないケースである。財政乗数が高くなりうる、より真剣に取り扱うべきケースは、いわゆるゼロ金利の状況である。政府が財政赤字を増やすと、将来のインフレ期待が高まる。その一方で、名目金利が動かない(例えば下がりたくてもゼロより下にいけない)場合、実質金利(=名目金利ー将来の期待インフレ率)は下がるので、投資を押し上げる(よって生産も増える)効果があるのである。Christiano-Eichenbaum-Rebeloは、政府支出が増える一方名目金利が12ヶ月動かないと仮定した場合、財政乗数は2.3になることを示した。

これまでの議論で無視してきたけれども重要な要素としては、生産能力を高める政府支出、どのように財政拡大を行うか(公共投資か所得補助か)、経済が不況の時には乗数は大きくなるか、という点があげられる。

アメリカの時系列データを使用して財政乗数を推定したものとしては、戦争などの予測し得なかったイベントにおける財政乗数を測るという方法と、政府支出ショックを推定する方法が使われてきた。前者による財政乗数の推定値は0.6-1.0、後者の方法による推定値は0.6-1.8程度である。但し、低めの数字は税が引き上げられたケース(よって財政支出拡大の効果が税の引き上げによって一部打ち消されている)から得られたことが多いので、税の引き上げによって打ち消された分を調整すると、0.6が1.0程度になることもわかっている。さらに、前に少しだけ紹介したが、後者のアプローチでは、財政乗数が不況期ほど大きい(好況期は0-0.5、不況期は1.0-1.5)という結果も最近得られてきている。また、上では、モデルにおいては名目金利がゼロに近いときに財政乗数が高くなるという可能性を紹介したが、そのことと矛盾するデータもある。1939-1947年の間は国債の金利は0.38%を下回っていた一方、インフレ率は6%程度であった。この期間に限定した財政乗数の推定値は0.7であり、通常時の財政乗数に比べて高いわけではない。いろいろ考え合わせると、アメリカの時系列データを使って推定された財政乗数は0.6-1.5の間に収まると言えるであろう。

アメリカの各州における財政支出の違いを元に財政乗数を推定した研究は最近始まったばかりである。それらの研究によって得られた財政乗数の推定値は0.5-2.0のレンジに収まっている。但し、州レベルで推定された財政乗数が国レベルの財政乗数の代わりになるかという点については、より多くの研究が必要である。

もうほとんど要約しただけになってしまった。ゼロ金利下での金融・財政政策の効果の研究が、最近盛んであるが、それらの研究は主に理論モデルに基づいているのであろうか?そもそも、金融危機をうまく再現できていないと批判されているDSGEモデルにゼロ金利条件を加えて研究することで、財政・金融政策の効果に関する知識が深まるのであろうか?

Testing Job Search Model Using High-Frequency Data

Alan Kruegerが、大統領に経済に関する助言を行うために置かれている大統領経済諮問委員会(Council of Economic Advisers, CEA)の委員長に任命された。だからというわけではないが、彼の論文で、最近さまざまなメジャーな学会で発表されていた論文(Job Search and Job Finding in a Period of Mass Unemployment: Evidence from High-Frequency Longitudinal Data、SSRNからダウンロードできる)を簡単にまとめてみる。

ノーベル賞で有名になったDiamond-Mortensen-Pissarides(DMP)モデルにはさまざまな種類があるが、次の2つの要素を含んだモデルを考えてみよう。1つ目は、失業者が何時間職探しに時間を費やすかを決めるというものである。当然、時間をかければかけるほど職が見つかる可能性は高まると考えよう。2つ目は、失業者が職のオファーをもらう際に、さまざまな条件のオファーがありえると考えよう。時には、金額が低すぎるゆえにオファーを断ることもありうる。このようなモデルは、現実と整合性があるともいえる。アメリカでは州によって失業保険の金額が異なるが、失業保険が充実している(失業時にもらえる金額が高い)州ほど失業率が高いというデータがある。失業保険が充実していれば、職探しに必死じゃなくなり、あまり時間もかけず、失業保険が充実していなければ我慢して受け入れるオファーも断ることがありうるからである。この金額以上のオファーであればオファーを受け入れる、という金額を、経済学では留保賃金(reservation wage)と呼ぶ。必死な人は留保賃金が低く、余裕のある人は留保賃金が高い。

もちろん、この州による失業率の違いを説明する理論は他にもたくさんある。例えば、ちょっと込み入った話をすれば、失業保険が充実している州では、失業者に余裕があるから、オファーを受け入れてもらうためには企業も高めの賃金をオファーしなければならない。そうすると、企業の利潤は小さめになるので、企業はあまりたくさんの労働者を雇いたくなくなり、失業率は高めになるというチャンネルもありうる。

話を戻して、もう少しアメリカの失業保険制度について書くと、普通は失業してから26週間(約半年)だけ決まった金額の失業保険を受け取ることができる。受け取れる金額は失業する前の収入とか、どのくらい働いていたかとかに依存するが、この点には深入りしない。では失業した直後の1週目と26週目ではどのように状況が違うであろうか。失業した直後は、まぁ、まだ、26週も失業保険が受け取れるし…と考えて、職探しに必死にならないかもしれない。その一方、来週からは失業保険が受け取れないとなれば、とりあえず何か職を見つけなくちゃ、という考えになってもおかしくないであろう。

では、上のモデルで考えると、職を探すのにかける時間と留保賃金は何週間失業しているかによってどのように違ってくるだろう?失業直後の1週目は、まだ必死ではないので、職探しにかける時間も比較的短く、えり好みも激しいので留保賃金も高い一方、来週から失業保険がもらえなくなる26週目の場合、とりあえず何か職を…と考えるとすれば、職探しにかける時間も長くなり、留保賃金も下がるであろう。つまり、横軸に失業期間、縦軸に職探しにかける時間をとってグラフを書くと、理論が正しければグラフは右上がりになり、横軸に失業期間、縦軸に留保賃金をとってグラフを書くと、理論が正しければグラフは右下がりになるはずである(もちろん、いろいろな要素を捨象している)。理論が生み出すこれらの予測はデータと整合的か?という質問に答えたのが今回のペーパーである。

これらのグラフを作るために、著者らは、ニュージャージーの失業者6025人(全失業者の中からランダムに選ばれた人の中で謝礼を受け取ることを条件にインタビューに応じた人の合計である。もちろんサンプリングバイアスとかの問題についても触れられているが、そういうことには立ち入らない)にインターネットを使った(ブラウザ上で質問に答える)インタビューを行った。インタビューの期間は基本的には2009年の10月からの12週間(3ヶ月)である。もちろん2009年10月時点での失業期間はばらばらである。

では、職探しにかけた時間の方から見ていこう。


たくさんの線があるが、それぞれの線は、2009年の10月のインタビュー開始時点での失業期間の長さに応じて作られたグループである。例えば、左端の濃い緑の線は、インタビュー開始時点で失業期間が0-2週間だった人が職探しにかけた時間の平均である。左端の点では、これらの失業者(失業して0-2週間)は1日に約100分を職探しに費やしたことがわかる。同じ失業者グループは、その12週後(濃い緑の線の右端)、失業して12-14週間たったことになるが、その週には平均して1日のうち50分を職探しに費やしたことがわかる。

このグラフでまず、驚くべきことは何か?ほとんどすべての線が右下がりである。しかも減り方が激しい。例としてみたグループでは、職探しにかけた時間が1日あたり100分から50分に半減している。つまり、最初にあげた理論が正しいときにあるべきグラフの姿とまったくの逆なのである。このデータは、上であげたタイプのDMPモデルに疑問を呈しているといえる。

但し、ちょっとおかしなところもある。すべての線が右下がりだとすると、すべての線はくっついてなければならないのではないだろうか?一番右の線の左端に、その隣の線の右端をくっつけて、さらにそこにその次の線をくっつけて…というのを続けていくと、失業後0-2週間の失業者は1日100分ではなくものすごい時間を職探しに費やしてないといけないのではないだろうか?

この点に対して、著者らは、各線に含まれる人は大きく異なっている。例えば、左から2番目の線に含まれる失業者は失業前の賃金が一番左の線の失業者より高かったので、彼らは一番左に含まれる失業者より失業による収入の減少が激しい、つまり、職探しにかける時間が多くてもおかしくない、と著者らは主張している。が、これはちょっと苦しい言い訳のように見える。各線の形があまりに似すぎているような気がする。

この形については著者の解釈でない他の解釈もできる。1つは、インタビューが行われた時期は景気が悪化していっている時期なので、皆職が見つからずだんだん失望していっていったのかもしれない。そうすると、本来はこの線は平らか右上がり(全部の線の最初の点をつないでみよう)であるにもかかわらず、線全体が下にシフトしていくと、上のようなグラフになることはありうる。著者らは、この解釈への反論として、ニュージャージーではこのインタビュー期間に失業率は大きく上がらなかったという事実を挙げているが、職探しの見通しの悪化が必ずしも失業率の上昇とすぐに結びついているわけではないであろう。

他の解釈としては、インタビューに入ったことで、職探しにちょっとやる気を出して、しばらくは職探しにがんばってみたけど、12週間もすると、頑張りが失われたというものである。あるいは、インタビューに参加してみて、いいとこを見せないとという気になったのかもしれない。これらの解釈も上のグラフと整合的である。どの解釈が正しいかはまだわからないが、筆者らの解釈を正当化するにはより丁寧な議論が必要とされると思う。

では、もう1つのグラフ、失業期間と留保賃金の関係をみてみよう。


縦軸は、失業前の賃金に対する留保賃金の比率である。どのグラフも大体1辺りにあるということは、失業者は、大体、失業前の賃金と同じくらいの職でないとオファーを受けないということを示している。このグラフは上下の動きはあるが、トレンドとしては平らである。このグラフも、最初に上げた理論の結論(右下がり)とちょっと違う(職探しにかける時間ほどの大きな矛盾ではないが)。ちょっと目を細めてみれば右下がりといえなくはないので、理論が完全に棄却されたわけではない。

(筆者らは触れてはいないが)それより重要なのは、1つ目のグラフとの関係である。何で1つ目のグラフはおかしな形(それぞれの線がつながっていない)なのにもかかわらず、2つ目の線は比較的きれいなのか、という質問に答えることが、1つ目のグラフをどのように解釈するべきかを決める鍵になるような気がする。

とりとめもない話になってしまったが、このペーパーは、さまざまな側面で使われる重要なモデル(DMPモデル)の重要な帰結をデータで検証するという、非常に有益な研究であることは間違いない。それに、Kruegerはどんな学者なのか知らない人には、これが彼の典型的なペーパーだといっても差し支えないと思う。