Disaster Risk and Business Cycles

いつか読もうと思ってずっとかばんに入っていつつもなかなか読まなかった論文なのだけど、AERに出ると最近聞いて、読む気になった論文("Disaster Risk and Business Cycles" by Francois Gourio)を軽く紹介してみる。

よく、新聞やテレビなどで、「景気後退期に入る確率が高まっている」とか、「今や景気後退期に入る確率は50%を超えた」とかという表現を聞くが、この確率の意味するところは、天気予報の降水確率と同じで僕にはよくわからない。こういう確率、特に、大幅な景気後退(=Disaster、いい訳が思いつかない・・・)に経済が陥る確率をきちんとモデル化し、RBCモデルに取り込んだのがこのペーパーである。この修正によって、普通のRBCモデル(+DSGEモデル)の特徴(マクロ変数の動きをうまく再現できている)は維持されつつも、これらのモデルではうまく再現できない金融市場の景気循環に伴う動き、特に、株式のとても高いリターン(Equity Premium Puzzleとよく言われる)、および、株への投資による期待収益が景気後退期に高まるという特徴(countercyclical risk premia)を再現できるというのが一番の売りである。

Disasterというと、Barroの一連のペーパーが有名であるが、僕の理解が正しければ、このペーパーのモデルは、Disasterの確率自体が変動するという要素を加え、モデルが生み出す資産価格の動きに注意を向けたもの、と解釈できるような気がする。

モデル自体はとてもシンプルなRBCモデルの拡張である。普通のRBC モデルの技術(TFP)ショックに加えて、経済は、ある確率pでDisasterに陥る可能性があるとする。Barroによると、この確率は年率0.017(つまり60年に1回くらいの頻度で起こる)らしい。Disasterが経済を直撃すると、TFPが43%下がる上に、資本も43%失われると仮定する(この2つの数字が一緒なのは単にモデルをきれいに解くためである)。ここまでは、Barroの一連の著作やTallariniとあまり変わらない。このペーパーのモデルがユニークなのは、この確率p自体も確率変数だということになる。つまりpが高まるというのは、経済にDisaster(大規模な恐慌といってもいい)が起こる確率が高まったということなのだ。

ここまで書くとNews Shockと似てるなぁ思われるかもしれない。僕も同じ印象を持った。違うところといえば、(1) 下方リスクだけを見ていること、(2) その中でも特にDisasterに焦点を当てていること、 (3) 発生する確率が変わるだけで、実際には起こらないかもしれない(そもそもの発生確率が低いのでpが多少上がっても結局Disasterは起こらない可能性が高い)こと、だろうか。

では主要な結果を簡単に整理していく。

  1. モデルが生み出す景気循環の平均的な特徴だけを比べると、Disaster リスクがあるモデルとない普通のRBCモデルとの間にあまり違いはない。Disasterが起こるのは非常にまれなので、普段の景気循環はTFPショックによって引き起こされるからである。特に、Disaster リスクが一定の場合は、Disasterが起こらない限り、Disasterのあるモデルとないモデルが生み出す景気循環は完全に一致するということも示された。
  2. Disasterが起こると、GDP、消費、投資は大きく(43%)下落する一方、労働時間は変わらない。労働時間はともかくとして、それ以外は例えば最近のアメリカの景気後退(Great Recession)のときに見られたマクロ変数の動きと同じである。但し、Disasterが起こると、TFPも資本ストックも43%落ちるので、この結果自体はぜんぜん驚くべきことではない。労働時間が変わらないのは、TFPと資本ストックが同じ割合落ちるという仮定と、utility function(Epstein-Zinを使っているので説明が難しいがlog-utilityのようなものを使ってると思えばよい)に関する仮定から出てきているだけである。
  3. マクロ変数の動きはあまり面白くないが、この論文のセールスポイントは、資産価格に関するモデルの特徴である。まずは、背景を簡単に説明しよう。普通のRBCモデルで、消費者が極端にリスクを回避したいということがなければ、株式に投資したときの期待収益は、リスクがより小さい金融資産、たとえば国債(最近はあまりリスクが小さいわけでもなさそうだが・・・)の期待収益をちょっとだけしか上回らないはず(投資家はリスクをあまり気にしないから)なのだけれども、実際のデータを見ると、株式投資の期待収益は国債に投資したときの期待収益をコンスタントに年率6-7%上回っていることが知られている。いわゆる、Mehra-PrescottのEquity Premium Puzzleと呼ばれるパズル(広く受け入れられているモデルが生み出す特徴とデータの特徴が大きく異なること)と呼ばれるものである。このパズルを解決する簡単な方法としては、消費者がリスクを極端に嫌うと仮定する方法と、株式投資に伴うリスクを極端に大きくする、という方法がある。但し、どちらも、特に後者は、データによって、どのくらい「極端」な数字が許されるかが制限されるので、理論的にはこれで解決できても、説得力のある解決策ではない。Disasterの便利なところは、うがった言い方をすれば、Disasterの導入によって、最悪のケースを本当に悪くできることと、そもそもあまり例がないので、どのくらい極端な仮定が許されるかというところについて比較的自由度がある、ところである。実際、TFPと資本が1年で43%下落するというのは、「現実的」だろうか、と考えてみても、なかなか「No」という説得力のある議論は難しい。Disasterが発生すれば、株式投資からの収益は極端にマイナスになるので、そういう状況を避けたい投資家は、国債に比べて株式にかなり高いリターンを要求することとなる。その結果、Equity Premium Puzzleが解決される。
  4. では、pが上がった(経済がDisasterに襲われる確率が高まった)としよう。Disasterになると資本の収益率が大きく下がるので、pが上がっただけでも、投資は減少する。GDPが大きく動かなければ投資の減少は消費の上昇を意味する。では、労働時間はどうか?将来の期待所得が減少するので、所得効果は労働時間の増大(余暇の時間の減少)を意味する。一方、代替効果は、将来の資本の収益率が落ちると貯蓄のインセンティブを下げるので、時間の使い方も労働から余暇にシフトする(たくさん働いて貯蓄してもしょうがない)。つまり、労働時間は減少することになる。News Shockのときと同じく、代替効果が強ければ、労働時間が落ちて、GDPも落ちるという、もっともらしい結果が得られるのである。実際、モデルがうまく機能する(データと整合的になる)ためには、労働の代替性をコントロールするパラメーターの値が例えば2でなければならない。この値は実証研究による推定値、およびマクロ経済学で通常仮定される値よりかなり高い。しかし、そもそもモデルが違うので、違う文脈でのパラメーターの値を比較してもしょうがない(パラメーターの命はそれそれのモデルの中にのみ存在する)ということが議論されている。
  5. 労働の代替効果が強いと仮定すると、pが上がると、GDPは低下することになる。その一方、pが上昇するということは、株式投資のリスクが高まることを意味するので、投資家に買ってもらうために、株式のリターンは上昇しなければならない。データでも見られる、GDPと株式の期待収益の負の相関が、再現できると言うわけである。
  6. また、著者は、ある一定の仮定の下では、pのショックは、いわゆる、discount factorへの選好ショックと同じであることも示している。選好ショックを使えば、RBCモデルは同じような景気循環の特徴を生み出すことは知られていたのだが、このペーパーは、選好ショックのmicrofoundationとも呼べるかもしれない。Cash-in-advance制約(ものを買うためにはキャッシュが必要という仮定)と、Money-in-the-utility(キャッシュが手元にあれば使わなくてもそれだけで幸福度がアップするという仮定)との関係に似ている。
  7. さらに、このペーパーに関連するものとして、株式の収益の触れ幅自体にショックがある(Stochastic volatility)という仮定を導入したモデルも開発されている。著者は、彼のモデルがStochastic volatilityがあるモデルを同じような振る舞いをすることも示した。

アイデア自体はどこかで見たようなものがいろいろ関連しているのだけれども、うまくいろいろな問題と結びつけたというのが評価されている理由だろう。金融セクターをうまくとりこんだマクロモデルを発展させていかなければならないという流れにも合致しているといえる。

Which Is Doomed, Standard or Behavioral Economics?

今回は気軽に書いてみる。David LevineがBehavioral EconomicsやExperimental Economicsを攻撃する本(Is Behavioral Economics Doomed?)を書き進めている。Levineなので自由にダウンロード可能である。行動経済学のファンではない人は多くいると思うが、気に入らない分野を批判するのは若手にとっては時間の無駄なので、Levineのような大御所が代弁してくれると助かる。

この本を元にしているプレゼンを一度聞いたが、行動経済学に走る前に頭を使え、というのが基本的なメッセージだ。彼が挙げている例というのは、このようなものがある。

よくprocrastination(やらなくてはいけないことを最後までぐずぐずやらないこと)は、「標準的な経済学」のもとではうまく再現できないといわれるが、そうだろうか?それは、行動経済学者が言うように、「標準的な経済学」が間違っている、わけではなくて、「標準的な経済学」の環境は、procrastinationを再現するようにセットアップされているないからではないだろうか。

例えば(よく使われる内輪の例だけど)、経済学者はレフェリーを頼まれたときに、ぎりぎりまでやらないのが一般的である。これは「標準的な経済学」の失敗を意味するのか?そうとはいえない。「標準的な経済学」の枠内でも、頭を使えば簡単に再現できるからである。レフェリーをやるのはコストがかかるとしよう。締め切りを大きく(締め切りの3ヶ月先くらい?)越えると大きな罰(あいつはちゃんとやらないと評判が悪化する)があるが、それまでは特に罰はない。レフェリーをするためのコストは先延ばしにすればするほど小さくなる(Discount rateが正)としよう。このような環境を仮定すれば、「標準的な経済学」で使われる消費者も「procrastination」を行うことになる。

別の例を挙げてみよう。会社で401(k)を利用することができるときには、従業員は会社のデフォルトの設定をあまり変えないことが知られている。デフォルトで給与の1%を退職後のための貯蓄に回すという設定ならそのまま多くの従業員は1%を貯蓄に回し、デフォルトが0%なら、多くの従業員は何も貯金しないことが多い。これは「標準的な経済学」の失敗を意味しているであろうか?その結論に行く前に、いろいろな理論が考えられる。例えば、退職後のための貯蓄制度は非常に複雑である。学ぶのにはコストがかかる。加えて、おそらくは企業はデフォルトで平均的な従業員の損にはならないことをしてくれているだろう、と従業員が考えるのもおかしな話ではない。このような状況では、従業員が企業任せにするのはおかしな話ではない。おそらくは、教育程度の高い(よって複雑怪奇な退職貯蓄制度を学ぶコストが比較的低い)従業員ほどデフォルトを変えるであろうことや、デフォルト大きく変えれば(例えば30%強制貯蓄など)おそらくは多くの従業員がデフォルトを変えるであろうと想像されることも、この理論と整合的である。

結局、これらの話で言いたいのは、行動経済学が提供するストーリーは数あるストーリーのひとつの可能性でしかなく、最終的には他のストーリーとの競争がなされなければならない、ということであろう。僕のように、古い頭の持ち主は、基本的なモデルで何かを説明できない場合、何らかのfrictionで説明できれば1流、技術をいじくれば2流、選好や期待をいじくると3流、というような教育をされてきたので、選好や期待をいじくると、マラソンで距離を大幅に縮小できる抜け道を使われたような気がしてしまう。もちろん、最終的には選好や期待を修正すべき、という結論になるのかもしれないが、そこにたどり着くには議論の積み重ねが必要である。Levineも例として挙げているが、habit formationは行動経済学的といってもいいと思うが、今や一般的に使われている。名目の貨幣保有量が効用を高めるという仮定(使わなくてもお金があれば幸せになれる!)は、個人的にはばかげてると思うが、広く使われている。今、行動経済学的というくくりで扱われているさまざまな仮定も、最終的にはいくつかだけが残り、「普通の経済学」の枠組みの中で「ちょっとかわった選好」として使われるようになっていくだけだと思う。

蛇足になるが、行動経済学的考え方がファイナンスとなじむというのは納得がいく。ファイナンスは、例えばマクロ経済学に比べて、ずっとデータとの整合性が重視される気がする。もし選好をちょっとといじくればデータとの当てはまりがよくなるというのであれば喜んで受け入れるという、ある意味柔軟さがあると思う。