Model of Retirement: Hyperbolic vs. Exponential

前に書いたとおり、退職時期を労働者が決定するモデルに双曲割引を組み込んで、スタンダードな指数割引のモデルとどう挙動が異なるかを分析したペーパー("Policy Effects in Hyperbolic vs. Exponential Models of Consumption and Retirement," JPubE 2012, A. Gustman and T. Steinmeier)について軽く触れる。双曲割引を組み込むことでこのように異なってくるはずだとか言うような見込みなしでとりあえずやってみましたという感じも漂うけれども、それなりに流行なのでOKということなのだろう。

モデルの基本的な構造は次のようなものである。
  1. 1年1期間のライフサイクルモデルである。最高100歳まで生きられるが、年齢に応じたある一定の確率で死ぬ。
  2. 労働者は毎年、フルタイムで働くか、パートタイムで働くか、働かないか、を決める。年齢に限らず働いたときの 給料は同じである。
  3. 退職したときの幸福度は年をとるにつれて高まっていくと仮定する。そうしないと年をとるにつれて退職するという行動が出てこないからであろう。
  4. 毎年毎年、いくら貯金して、いくら消費するかを決める。貯金したときの利子率は一定とする。普通は退職した後の年金の額のほうがフルタイムで働いていたときの給料よりも低いので、働いている期間は貯蓄をして、退職後に貯金を切り崩すという、ライフサイクルモデルで典型的な行動が最適となる。
  5. 公的年金制度はアメリカの現行の制度を真似てモデル化されている。つまり、公的年金の金額は退職時期に応じて決まる。最初に公的年金を受け取れる年齢は62歳である。それ以降、退職を1年遅らせるごとに、毎年退職後に得られる金額は大きくなってゆく。ただ、総額でいくら受け取れるかは、何年間受け取るか(退職時期が遅いほど短くなる)と毎年受け取るか(退職時期が遅いほど高くなる)のバランスで決まる。この両方をかんがみて、生涯で受け取る公的年金の総額が最も高い年齢が通常退職年齢と呼ばれる(実際はだんだん高くなっていっているけれどもペーパーでは65歳に固定されている)。つまり、一生で受け取る公的年金の金額は65歳を過ぎると減少してゆく。これらのことから想像がつくと思うが、アメリカでは多くの人が62歳と65歳で退職する。62歳以上でフルタイムで働くのをやめると公的年金を受け取りはじめることになる。パートタイムで働いていても受け取れるが、受取額は減らされることとなる。
  6. 将来の幸福度をどのように割り引くかについては2つのモデルを使う。一つはスタンダードな指数割引(ED)である。毎年毎年幸福度がbeta (=0.96)の割合で小さくなってゆく。もう一つのモデルは双曲割引(HD)である。前回説明したとおり、最初の年と次の年はgamma (=0.67と設定されている)の割合で幸福度が大きく減少し、その後は毎年beta(=0.98)の割合で幸福度が小さくなっていくとする。

では、ペーパーの結果を簡単に見ていこう。まずは、2つのモデル(EDとHD)において、労働者が毎年どのくらい消費&貯蓄し、どのくらいの人が退職する(フルタイムで働くのをやめる)かを比べると、あまり変わらないという結果が得られた。前回書いたとおり、betaは退職時の平均貯蓄額が二つのモデルで同じになるように別々に設定されている。例えば、各年齢でどのくらい貯金するかを示したのが下のグラフである。
違うといえば違うが、致命的に違うわけではないように見える。次は、フルタイムで働くのをやめた人の割合である。
EDとHDのモデルでほとんど変わらないことが見て取れる。上で書いたとおり、62歳(公的年金を受け取れる最初の年齢)と65歳(通常退職年齢)の2箇所にピークがあることわかる。

このモデルを使って、筆者らは、次の3つの仮想的な政策変更に関するシミュレーションを行い、労働者の行動がどのように2つのモデルで異なるかを見ていく。一つ目の政策変更は、公的年金受給開始年齢を62歳から64歳に引き上げるというものである。フルタイムからの退職者の割合がどのように変化するかが以下のグラフで示されている。
どちらのモデルにおいても62歳にあったピークが64歳にずれただけという、まぁあ当たり前の結果が出ている。 次の仮想政策変更は、65歳以降に退職を遅らせたときの公的年金受取額の増加度合いを現行の5-7.5%から8%まで引き上げるというものである。前に書いたとおり、現行の制度では、働きたくても65歳以上に退職年齢を遅らせると「損をする」ようになっているが、そうでないようにしたらどうなるか?次のグラフは、各年齢において、フルタイムで働き続ける労働者の割合がどのくらい増えたかを示している。
例えば65歳においては2%程度となっているが、これは、退職を遅らせたことによる公的年金受取額の増え方が大きくなった場合、65歳でもまだフルタイムで働く人の割合が2%増えたということを指す。上のグラフからは、1-2%程度の人がフルタイムで働き続けること、EDとHDで政策変更の影響はあまり変わらないことが示されている。では最後の政策変更シミュレーションを見てみよう。退職して公的年金を受け取り始めてからも働き続けて年収がある一定額を超えたら年金を受け取れなくなるという制度がある。この制度を廃止するとどうなるか?もちろん働いても年金がもらえるので、できるだけ早くいったん退職して年金を受け取り始め、かつ働き続ける人が増えるだろう。ただ、問題はもう少し込み入っている。早くから「退職」して年金を受け取り始める人が増えれば、公的年金の出費が増えることになる。公的年金制度の赤字を増やさないための対策として、ここでは年金の金額を平均的に下げると仮定する。このような政策変更の元で、フルタイムで働く人の割合がどう変化したかを示したのが下のグラフである。
 まずわかるのは、どちらのモデルにおいても、フルタイムで働き続ける人の数がかなり増えている。それより面白いのは、EDのケースにおいてのほうがHDのケースより、フルタイムで働く人の増え方が大きいことだ。なぜだろう。この政策変更によってどのような変化が生じたか思い出してほしい。フルタイムで働きながらも年金を受け取ることができるになった反面、毎年に受け取る年金額は減ったことになる。この場合、将来の年金額の減少に備えて、比較的若いうち(60台半ばだけれども)にはより多く働いてその後の退職生活のための貯蓄を増やすことが最適な反応なのである。しかし、EDの労働者はこうした長期的なプランを実行することができても、HDの場合、このように現在苦しんで(長く働いて)将来に備えるということが苦手なのである。最初の2つの仮想政策変更の場合と違って、現在と先の将来のトレードオフが絡んでくるときには、「現在苦しんで先に備える」ということが苦手なHDの労働者とそれができるEDの労働者との間で異なる反応が出てくる、と解釈できるような気がする(論文ではあまり直感的説明がされていないが…)。多くの場合、EDとHDで政策変更に対する反応はあまり違わないように思えるだけに、こういう例は面白いと思う。

最近は、今回取り扱ったように、行動経済学的要素を含みつつもきちんとしたモデルで分析を行うというペーパーが増えてきている。 では、どちらの選好を使うべきなのかという重要な質問に答えるのが最も重要な課題だと思うが、とりあえずは、こういう論文も面白い。

Macro Model with Hyperbolic Discounting

退職時期と毎期毎期の消費を消費者が決めるモデルに双曲割引(hyperbolic discounting, HD)を導入したペーパーを扱おうと思ったのだけれども、まずは簡単にHDの説明からしてみる。

行動経済学について詳しくはないけれども、おそらくは、流行の契機のひとつは、1990年代中ごろに始まるのDavid Laibsonによる一連の双曲割引に関する研究ではないかと認識している。双曲割引自体は1950年代から研究されており特に新しくはないものの、Laibsonは双曲割引を標準的なマクロモデル(ライフサイクルモデル)に組み込み、マイクロデータと付き合わせたことが新しかったのではないかと思う。データと付き合わせることで、双曲割引のモデルでは再現できて、一般的な指数割引(exponential discounting(ED)の訳はこれでいいのかな)のモデルで再現できないデータの特性などを議論することができるようになったのだ。

では、双曲割引というのはどのようにモデル化されるか?双曲割引というのは、その名が示すとおり、将来の幸福度(utility)を割り引く際に、標準的な指数曲線ではなくて、双曲曲線を使うことであるけれども、現在は、使いやすさから、quasi-hyperbolic discounting(QHD)というのが使われている。後で示すとおり厳密にはぜんぜん双曲ではないのだけれども、モデルの特性は双曲割引と近く、扱いやすい(特にrecursive methodと相性がいい)ので、QHDのほうが主に使われているが、QHDも広義のHDに含まれている。これ以降は、QHDをHDと呼ぶ。

では、もう少し厳密に定義してみよう。普通のモデル(指数割引)では、将来の幸福度を一定の割引因子(Discount factor)で割り引く。この一定の割引因子をbetaと呼ぼう。モデルは1年1期間として考える。今年おいしい寿司を食べたときに得られる幸福度をuとしよう。同じ寿司を来年にまわすと(寿司はもちろん腐ったりしないし、おいしい寿司はいつまでたっても同じようにおいしい)幸福度はbeta * uになる。2年後にまわすと幸福度はbeta*beta*uとなる。betaが1より小さいとすると、同じ寿司が先に延ばせば延ばすほど小さい幸福度しか与えてくれないこととなる。

上のグラフの青い線(ED, beta=0.96)は、一定の割引因子(0.96、マクロで標準的な値である)で将来の幸福度が割り引かれた場合、将来の幸福度がどのくらい小さくなるかを示したものである。30年後に寿司を食べるときの幸福度は今年食べるときの30%くらいに落ち込むことが見て取れると思う。この曲線はbeta^tなので、標準のモデルにおける割引方法は指数割引と呼ばれるのである。

では、双曲割引(厳密にはQHD)はどうちがうのか?QHDでは2つの割引因子が用いられる。さっきも使ったbetaに加えて、gammaというもう一つの割引因子を使う。この割引因子gammaは1年目と2年目の間でだけ用いられるとする。つまり、おいしい寿司から得られる幸福度は今年はuであるのが、来年はgamma*u、再来年はgamma*beta*u、3年後はgamma*beta*beta*uになるのである。これでは何がなんだかわかんないかもしれないので、グラフに描いてみる。ピンクの線(HD, beta=0.96)は前と同じbetaで、gamma=0.67を使ったものである。1年目と2年目の間で幸福度ががくっと落ちる以外は、指数割引のケースと同じく、スムーズに下がっていく。最初の年の割引に使われるgammaがbetaより(かなり)小さいので、ピンクの線は青の線より下に位置している。30年後のおいしい寿司は今年のおいしい寿司の約20%の幸福度しか与えてくれないことが見て取れるであろう。これぜんぜん双曲線じゃないと思う人もいるだろうが、僕からはなんとも言いようがない。

ここまで説明すると、双曲割引の面白い特徴を説明することができる。時間不整合性(でいいのかなぁ、Time inconsistencyの訳である)という特徴である。よくある例として、「禁煙」を考えてみよう。今2012年であるとする。2012年にタバコを吸うか、禁煙するかを考えている人がいるとする。上のグラフのピンクの線ような双曲割引で将来を考えているとする。gammaが小さいことから禁煙の苦しみは2013に回せばかなり軽減されるので、今年(2012年)はタバコを吸って、来年禁煙しようと考えるであろう。2013と2014の間の割引因子は大きい(beta)ので、再来年に回すくらいなら来年禁煙しようと考えてもおかしくない。

では、2013年になったとする。ちょっと不思議なことに状況は2012年とまったく同じとなるのである。つまり、今度は2013年と2014年の間に小さな割引因子(gamma)が使われることとなるので、2013年になると、2014年にまわせば苦しみは小さくなるから2013年は喫煙して2014年に禁煙することにしよう、ということになるのである。この状況は2014年になっても同じなので、結局ずっと禁煙できない結果となることも想像がつくであろう。

これをなぜ、時間不整合性というのか?2012年時点で、2013年に(あるいは将来のいつの年でもよい)やろうと考えていることと、2013年になってから2013年にやろうと思うことが変わらないのであれば、この人の考え方は時間整合的だという。上で挙げた禁煙の例は時間整合的でないのである。通常マクロで使われる指数割引は時間整合的な結果を普通生み出すのと対照的である。

更に面白い特徴として、頭のよい双曲割引の人が2012年の時点で2013年の行動を強制することができれば、強制したくなるということがある。前の例のとおり、2012年の時点では2013年に禁煙することが望ましいとする。彼にすばらしい友達がいて将来に何でもしてくれるとする。この場合、頭のよい双曲割引の人は2013年に禁煙しなければ殺してくれと頼むのである。この友達が信頼できれば2013年に禁煙しなければ殺されてしまう。多分死ぬよりは禁煙したほうがましなのでめでたく2013年に禁煙できるわけである。

もっと現実的な例(Laibsonの例)としては、「家」を考えてみよう。将来に向けて貯蓄したいのだけれども、誘惑に駆られていつもお金を使ってしまう人がいるとする。この場合、家が簡単に売ることができない(かつ、家を担保にお金を借りるのが難しい)のであれば、家を買うことで、将来の自分がお金(この場合は家)を使えなくすることができるのである。通常のマクロモデルでは強制的な退職貯蓄を喜ぶ消費者はいないけれども、双曲割引の人は強制的な退職貯蓄によって自分の消費を抑制できて、幸福度が高まる可能性がある。

では、本題にちょっとだけ触れてみよう。マクロのモデルで双曲割引は役に立つか?もちろん答えは時と場合によるのであるが、もっと焦点を絞って、双曲割引と指数割引のモデルでは大きな違いが生じるか、という質問を考えてみよう。もし大きな違いがあれば、どちらが優れているか(どちらのほうがデータと整合的か)を判断するのに使える。但し、この問いに対する答えは、例えば、シンプルなライフサイクルモデル(OLG)では「あまり違わない」となる。なぜか?上のグラフをもう一度見てみよう。青い線の指数割引のモデルとピンクの線の双曲割引のモデルを比べれば、青い線は常にピンクの線の上にあるから、指数割引のモデルの方が総貯蓄が多くなることはあきらかであろう。総貯蓄が違うというのは大きな違いである。但し、この比べ方は間違っている。なぜなら、双曲割引のモデルで指数割引のモデルと同じbetaを使わなければならない理由はないからである。それよりリーズナブルなbetaの選び方は、例えば、退職時点での平均貯蓄額がデータと同じになるようにbetaを選ぶという方法である。gammaは0.67に固定されているとしよう。この場合、同じbetaだと双曲割引の人は退職時の貯蓄額が小さくなってしまうので、双曲割引のモデルにおいては高めのbetaを選ばなければならない。上のグラフにはbetaが高め(0.98)の双曲割引の例も緑の線で描かれている。この場合、20年を超えたあたりからは双曲割引の人の方が将来の幸福度を大きく見積もるので、双曲割引の人の貯蓄は、指数割引の人の貯蓄に比べて必ず少ないわけではない。実際、この数字は、次回紹介するペーパーで、退職時点での平均貯蓄額が2つのモデルで同じになるように選ばれたbetaなのである。

このようにbetaを高めに調整した場合、gammaは依然低いけれども、双曲割引のモデルで貯蓄額が低くなるという特性はなくなってしまう。 gammaの存在が高いbetaによって打ち消されるのである。ライフサイクルモデル(OLG)であれば、何歳のときにいくら貯蓄するかが2つのモデルで異なる可能性はあるが、2つのモデルを比べると、結果はあまり違わないことがわかっている。更に、新古典派成長モデルを使った場合、ある特定の仮定の下では、2つのモデルは消費、貯蓄、労働時間、といった面ではまったく同じとなることが、Barroによって示されている。

では、双曲割引は役に立たないのか?シンプルなライフサイクルモデルをデータに当てはめるという意味では特に役に立たないのであるが、「役に立つ」場面はいろいろありうる。いくつか例を挙げてみる。
  • もっと複雑なモデル(Laibsonが使った家のあるモデルなど)では2つのモデルの挙動が異なってくる。
  • 見た目が同じでも政策や経済環境の変化に対する反応は違うかもしれない。そうであれば、例えば政策の変更に対してマクロ経済がどう反応するかを知りたい場合には、どちらのモデルを使うかは重要になる。
  • 見た目は同じでも最適政策は異なってくる可能性がある。強制的な退職貯蓄が双曲割引の元では幸福度を高める可能性があることを上で述べたが、これが一例である。指数割引を使った普通のモデルではしばしば最適な資産課税はゼロであることが知られているが、双曲割引の元では貯蓄を奨励するためにマイナスの資産課税(つまり資産への補助金)が最適となるということを示した研究もある。
長くなってしまった。次回は応用編として、指数割引と双曲割引のモデルの政策に対する反応を比べたペーペーを紹介する。

Software vs. Hardware

やめようかと思っていたが、短めのポストを加えたりすることで続ける努力をしてみることにする。himaginaryさんとかはつくづくすごいなぁと思う。

神経経済学について、David Levineが言っていたことを思い出した。ちょっとアレンジして書いておく。
「神経経済学はコンピューターでプログラムを走らせて、コンピューターのどの部分が熱を発しているかを調べるのに似ている。コンピューターにとって重要なのはソフトウェアであり、ハードウェアではないのにもかかわらず、神経経済学は結局ソフトウェアについて大して学べないのでは。動画を処理するプログラムを走らせて、GPUの部分が熱くなってるぞとわかったところで、コンピューターの中で何が行われているかについての理解が深まるのか?」

Efficiency vs. Equity?

小塩さんの「効率と公平を問う」という本を読んだ。効率と公平にまつわるいろいろな話を、非専門家向けに書いた本である。よくこんなにカバーしたもんだと思うくらい内容が多岐にわたっているので内容を簡略に整理するのは難しいものの、以下に各章の要点を多少意訳しつつ書いてみる(内容を書いてしまうことに問題があったら教えてほしい)。その後で、ちょっとした感想を書いてみる。

第1章
  1. 経済学は公平性と効率性を同時に扱うことができるという面で他の社会科学より優れている。その一方、残念なことに、他の学問では注目されない効率性を議論するばかりに、人間性の欠ける学問として批判されやすい。
  2. 但し経済学が「公平性」を議論するのは難しい。主観的な基準に基づかざるを得ないからである。
  3. そのこととパラレルであるが、経済学ではしばしば社会的幸福度の最大化を行うにはどうすればよいかを考えるが、「社会的幸福度」の定義の仕方にはいろいろなものがあり、どれが正しいというものはない。「社会に属する全員の幸福度の和」として社会的幸福度を定義することもできるし、「社会に属する人の最低の幸福度」として定義することもできる。後者の意味での社会的幸福度を最大化するということは「公平性」のみ考えるということと同じである。
  4. 通常、経済学では、人々がリスクを嫌うという仮定によって、公平をモデルに取り入れる。まだ生まれていない赤ちゃんを考えてみよう。赤ちゃんの所得は生まれてから高いか低いかランダムに決定されるとする。その場合、リスク回避的な赤ちゃんはなるべく生まれたときに決定される所得の触れ幅が小さいことを望むのである。(所得がリスクの大きさによって影響を受けないとすると)生まれてからの所得のリスクを最小化することが人間が生まれる前の期待幸福度を最大化することにつながるのである。
  5. 但し、公平性と効率性の間にはしばしばトレードオフが存在する。公平性を高めるために所得税の累進性を高めると、生産性の高い人がよりがんばるインセンティブを阻害してしまい、経済全体の生産性が低下してしまう、というのが一例である。 

第2章
  1. 最近の実験経済学は、人間は上で述べたようなリスク回避行動だけで説明できない理由で格差を嫌うことが示されている。言い換えれば、人間は(自分と直接関係がなくても)格差が小さければそれだけで幸福度が高まる可能性示されている。
  2. その一方、最近の神経経済学の結果によると、その反対に、人間はねたみも感じることが示されている。
  3. アンケート結果によると、所得格差について人間がどの程度肯定的に考えるかは、現在の所得、最近の所得の変化率、将来の所得変化への期待によって影響を受ける。

第3章
  1. 日本は近年所得格差が広がったと一般的に思われている。そのことは正しいが、物事はもう少し複雑である。 
  2. 所得格差の度合いを示す所得ジニ係数(0だと格差がまったくない、1だと格差が最も大きい(一人以外はすべて所得ゼロ))は1992年は0.37であったが、2007年は0.45に上がった。一般的に考えられている格差の拡大と整合的である。 
  3. 但し、税金を引いて、年金や生活補助などの補助金を加えた後の、可処分所得で見ると、ジニ係数は19972は0.31、2007年は0.32で、あまり変わっていない。
  4. このことは、日本の所得再配分政策がうまく機能していることを示しているのであろうか?そうではない。所得ジニ係数と可処分所得ジニ係数の差は1997年は0.06であるが、そのうち、0.04は年金で生み出されており、0.02は税等で生み出されている。一方、2007年においては、ジニ係数の差は0.13であるが、年金によって0.12、税等によって0.02が埋められている。年金制度を老後に向けた貯蓄制度、税等を狭義の所得再配分と考えると、狭義の所得再配分はあまり機能していないのである。言い換えると、可処分所得ジニ係数があまり変わっていないのは、主に、年金を受け取っている引退世代が増えているからなのだ。 
  5. 他のOECD諸国と比べると、日本の所得ジニ係数は33か国中17位(順位が高いほうが格差が大きい)であるが、可処分所得ジニ係数は11位であり、日本においては退職世代以外の低所得者への所得再配分があまり働いていないように見える。
  6. 更に、退職世代間の格差も日本は大きいように見える。OECD諸国において、引退世代のジニ係数が労働世代のジニ係数より高い国は9カ国しかなく、日本はそのうちの一つである。
  7. 最後に、子供の貧困問題も日本は深刻である。子供がいる世帯の貧困世帯割合は日本は12.5%で、OECD平均の10.6%より少し高いだけである。しかし、親が一人である世帯に限定して計算すると日本の貧困世帯比率は59%、でOECD諸国平均31%よりずっと高い。

第4章
  1. 教育の格差が所得格差にどのように影響を与えているかの研究が重要であるものの、日本においては、その分析に必要なデータが限られている。
  2. 限られたデータから言えることとしては、まず、学校選択性は教育の格差を拡大しがちである。
  3. 高校卒業時の成績を説明する最も重要な要素は、中学入学時点(この時点のデータしか使っていない)での成績である。つまり、成績のよい生徒を「生み出す」学校は、入学の段階で成績のよい学生を取っているのである。
  4. どのような教育方法が学力向上に役立つかについてはあまりはっきりしたことはデータからわからない。一つ有効なのは、授業時間の長さである。クラスを小さくしたときに学力が上がるかははっきりしたことはいえないが、授業時間を長くすれば学力は上がるようだ。
  5. また、中学2年次における理数系の科目の学力は、どういった家庭に育っているかで多くの部分が決定されるようだ。

第5章
  1. 「世代間格差」という問題が最近日本で注目されている。
  2. どの世代が政府による所得移転(年金、税、生活補助、等を幅広く含む)によってどのくらい得あるいは損をしてるかを計算することができる。これを世代会計と呼ぶ。これによると(結果は計算の背後にあるさまざまな仮定にある程度依存するものの)、(1)退職した世代は政府に支払った金額よりも政府から受け取った金額がずっと多い、(2)現在働いている世代は、政府に支払った金額が政府から受け取る金額と同じくらいかちょっと上回る程度、(3)将来世代は政府に支払わなければならない金額のほうがずっと多い、ことがわかる。
  3. つまり、現在においては、退職世代は政府へ支払った額より多くをもらっているものの、その負担は今働いている世代多めに支払うことで返済されているわけではなく、将来の世代に先送りされているのである。
  4. 「世代間格差」問題があまり活発に語論されない理由は、(今のスキームが維持できる限り)今存在する世代はだれも大損をしないからかもしれない。
  5. このような状況が改善されるとは考えづらい。生まれてきていない、あるいは、まだ政治に参加できない世代の声は政治に反映されないからである。
  6. 但し、将来ある時点で、若年層が「反乱」を起こすことは考えられる。

こんなに書いてしまうと、筆者に怒られるかもしれない(そのときは削除する)。見てのとおり、内容は多岐に渡っているので、感想も取り留めのないものしかかけないが、以下にいくつか箇条書きしてみる。
  • 公平と効率にかかわるさまざまなトピックを一般の人がわかるように平易に説明していてすばらしい。数時間で読めてしまった。
  • 筆者は、最初に書いたとおり、経済学が効率性しか考えないようなレッテルを貼られがちなことを憂いているが、それにしても、(第2章以降)本全体が公平性に偏りすぎに思える。全体のトーンとして、「公平性と効率性のトレードオフを体系的に分析できる」という経済学のすばらしい点を押し出さずに、「経済学者は公平性も考えてるんですよ」といういいわけが過ぎるように思える。これでは逆に経済学の美しい点が台無しに思えてしまう。現在の日本(だけではなく世界)が直面する状況は公平性だけを前面に押し出して解決できるような簡単なものではないように思うのだけれど。
  • 神経経済学のようなトピックは流行りだし、非専門家に売り込みやすいのかもしれないが、第2章の内容は中途半端だと思う。第2章は、それ以降、公平性だけ主に見ていくための理屈付けに使われているように見える。「ねたみ」が分析したければ、external habitを入れればいいわけだ。external habitのものでの政策効果をシリアスに分析した論文もあるはずであるが、habitには触れられていない。第2章で紹介されているアンケート結果が、なぜリスク回避的な消費者と整合的でないのかについても僕は説得されなかった。
  • 僕は、年金制度は所得再配分機能のついた強制貯蓄制度のようなものと考えているので、所得格差を議論するときに、働いている世代だけでなく引退している世代も入れてジニを計算していることにそもそもビックリした。ちゃんとしたパネルデータがあるのなら、年齢別のジニ係数を計算するべきでは。それに、最終的に重要なのは生涯にわたる幸福度であり、生涯消費であり、生涯可処分所得であるにもかかわらず、見ているデータがあまりに限定的に思える。
  • 子供の貧困問題も、もっと詳細なデータがほしい。例えば、日本では、親が一人の世帯が他の国より少なくないのか?親が一人の世帯は一般的に所得が低いのであれば、そういう家計が少なければ自動的にそれらの家計の貧困率は上がる。そういう点を見せずに、大雑把なデータだけ見せられても説得力がない。
  • 世代間格差については、個人的には、現在の「先送り」スキームが(かなり早い)ある段階で維持できなくなり、年金制度(というか国家財政)が危機に陥れば、筆者が論じていたような「危機における助け合いの精神」が発揮されるのではないかと期待している。このことが実際起こるか、起こるとすればいつごろかを予測するのは僕には不可能だけれども、それによって年金制度等が持続可能なものに改革されるというのがありうるシナリオだと思っている。