Monetary Policy and Inequality - Part II

前回に引き続き、"Innocent Bystanders? Monetary Policy and Inequality in the U.S." by Coibion, Gorodnichenko, and Silvia, NBER WP 2012の結果を簡単に整理する。前にも書いたとおり、このペーパーの主要なエクササイズは、Romer and Romer (AER2006)が算出した金融政策ショック(政策金利の予期せぬ(あるいは予想された以上の)引き下げあるいは引き上げと考えればよいと思う)に対する4種類(賃金収入、総収入、消費、総消費)の不平等に関する指標のインパルスレスポンスを計算することである。では、まずは賃金収入と総収入から。
上の二つのグラフは、政策金利(FFR)が1%引き上げられたとき(緊縮的金融政策)にジニ係数がどのように動くかを示している。X軸は四半期単位である。右側が賃金収入、左側が税引き後の総収入である。左側の総収入を見ると、政策金利が1%引き上げられたときには総収入のジニ係数が最初は少し下がるものの長期的には約1/4%動くことを示している。
但し、ジニ係数だけ見ても、それぞれの個々人の収入がどのように動いたかを見るのは難しいので次のグラフも示しておく。上のグラフは、左側で言えば、総収入が下から数えて10%の人と、25%の人、50%の人(メディアンである)、75%の人、90%の人の総収入が、政策金利が1%上がったときに(緊縮的金融政策)どのように動くかを示している。

では賃金収入(右側)から見ていこう。金利引き上げの短期的な(最初の2年)影響はなんともいえないが、長期的な影響は少しジニ係数を引き上げる、つまり、不平等を助長する方向に影響を与えているようだ。更に、内訳を見ると、賃金収入で上から25-50%の人の収入にはほとんど影響はないものの、下から10-25%の人の賃金収入は1-2%程度下がっている。反対に、上位10%の人の賃金収入は1%程度増えている。背後にあるのはなんだろう?容易に考え付くのは、賃金が低めの人は金利の引き上げに伴って失業のリスクが高まり、賃金収入が減るというものであるが、筆者らは、フルタイムの労働者に限っても同じような結果が得られるといっているので、高賃金労働者と低賃金労働者の間には、金利が動いたときの賃金の反応に非対称性があるようだ(これ以上の深い分析はなされていない)。

では、総収入(左側)はどうか?さっき書いたとおり、金利が1%引き上げられたときには ジニ係数が最初は下がった後で長期的には1/4%上昇することが上のグラフから見て取れる。また、総収入の異なる人の収入の変化の大きさは、賃金所得の変化の大きさより小さい。特に、総所得で見て下位10-25%の人の所得の減り方がとても小さい。筆者らはこれを、失業保険等の社会保障制度が有効に機能しているおかげだと述べている。一方、高所得者の総収入は賃金収入と同じく長期的には1%程度増えることとなっている。これだけ見ると、ジニ係数の動きは賃金収入より小さそうなものであるが、なぜかジニ係数の動きはは大きくなっている。考えられる理由の一つは高所得者(上位10%以上)の総収入が大きく増えるということか。

では消費サイドを見ていこう。
上のグラフは再びジニ係数の動きを示している。右側が(狭義の)消費、左側が総支出(=消費+車の購入+住宅ローンの支払い+教育関連支出+医療関連支出)である。消費の水準を下から見て10%の人と、25%の人、50%の人(メディアンである)、75%の人、90%の人の消費の動きを示したのが下のグラフである。
では狭義の消費(右側)から見ていこう。ジニ係数で見ると金利引き上げ時の動きは小さい。これは所得の動きの少なくとも一部が一時的なものであることからかんがみて、納得のいく動きである(恒常所得仮説だ)。ただ、内訳を見ると、ぜんぜん印象がちがう。消費のレベルが引く人たちの消費は1-2%落ち込む一方、消費水準の高い人たちの消費は0-1.5%程度上がる。

さらに解釈が難しいのは、広義の消費(左側)である。ジニ係数は大きく上昇する。政策金利が1%上昇
したときには長期的にはジニ係数が0.7%程度上がることが見て取れる。さらに、それぞれの消費レベルの異なる人の総消費の動きを見ると、上位10%の人の消費は5%程度増える一方、下位10%の人の総消費は2%程度落ち込む。これはかなり大きい動きである。金利が上がったときに車を買ったり、住宅ローンの支払いが増えたりしているであろうが、今ひとつ解釈がよくわからないところである。

全体的にいえるのは、インパルスレスポンスによると、金融政策の変更によっていろいろな面の不平等が大きく影響を受けるということである。特に、金融政策の引き締めはさまざまな不平等の拡大と相関している。但し、どのようなメカニズムによってデータで見られる変化がおきているのかはこのデータを見ただけではよくわからないというのが感想である。

それに、重要なのは、財政政策に何が起こっているか、「金融政策ショック」をどこまで 外生的なものと捕らえられるかであろう。個人的にはぜんぜん外生とは考えられない気がするが、それでも、このように将来のモデル構築の際に役立つデータを提供してくれるのは重要な貢献である。ゼロ金利制約に経済が引っかかっている状況で金融政策の影響がどう異なるかにも興味があるが、データが足りないだろう。

Monetary Policy and Inequality - Part I

税制、年金、失業保険、等の財政政策が所得や消費の不平等に与える影響は最近分析が進んできた分野だが、その一方、金融政策については、不平等とのかかわりに関する分析が進んでいない。主要な理由の一つは、金融政策は主に経済全体に影響を及ぼすものであり、ある金融政策の実施によってある人は得をしてある人は損をするというようなことはあまり起こらないと暗黙のうちに想定されているということがある。金融政策を議論するときには主にGDPや失業率、物価といった高度な集計量を主に見ることからもそのことがわかるであろう。

但し、失業率に影響を与えるということは、失業者あるいは失業しそうな人により強い影響を与えるということである。つまり、国民皆に同じように影響を与えているわけではない。しかし、国民の中でより困っている人に影響を与えるのは、そのほかの人に大きな悪影響を及ぼさない限り、許容されているのではないか。

財政政策は国民(の代理人)によって最終的に決められる一方、金融政策は、一般的に国民に選ばれたわけではない人が実行しているということも、金融政策は勝ち負けを作る性質のものではないので、その道の専門家に任せておけばよいという考えに基づいているのではないかと思う。

では、本当に、金融政策は、不平等に影響を与えないのであろうか?データを見ることによってこの重要な質問に答えようとしたのが今回触れるペーパー("Innocent Bystanders? Monetary Policy and Inequality in the U.S.," O. Coibion, Y. Gorodnichenko, and J. Silvia, NBER WP No. 18170, June 2012)である。細かいところまでは触れないが、Romer and Romer (AER2004)で算出された金融政策ショック(外生変数と仮定する)に対する4種類(賃金収入、総収入、消費、総消費(消費+車の購入+住宅ローンの支払い+教育費+医療費))の不平等に関する指標のインパルスレスポンスを計算したのがこのペーパーである。

では、結果を見ていく前に、金融政策が不平等にどのように影響を与えうるかを整理してみよう。筆者らは次の5つのチャンネルを挙げている。
  1.  所得構成チャンネル:低所得者は所得の大部分を賃金収入から得ている一方、高所得者の収入は企業の利益に大きく依存する。この場合、もし、拡張的な金融政策によって企業の利益が賃金より大きく増加するのであれば、拡張的な金融政策は低所得者よりも高所得者を優遇する。
  2. 金融区分チャンネル:もし金融市場で活発に取引している人と、そうでない人がいれば、前者のほうが金融政策の変更によって得をしがちである。
  3. ポートフォリオチャンネル:低所得者は高所得者に比べて資産のより大きな部分を貨幣として保有しているので、拡張的な金融政策が行われてインフレ率が高まると高所得者に比べて損をしがちである。
  4. 貯蓄再配分チャンネル:前にも触れたDoepke and Shneider (2006)で強調されたチャンネルである。金利が高まると、貯蓄をしている人は得をして、借金をしている人は損をするというチャンネルである。
  5. 賃金異質性チャンネル:金融政策によって賃金がどのように反応するかは労働者の性質によって異なる。例えば、失業のリスクが高い労働者の賃金は失業率に大きく依存するので、金融政策が失業率に影響を与えうるのであれば、彼らの賃金は金融政策により大きく依存することになる。
このペーパーではデータの分析結果と上に上げたチャンネルとがきれいに対応しているわけではないが、この分類は、金融政策がどのように不平等と関わるかを考える上で有益だと思う。

長くなってきたし、上の5つのチャンネルの整理だけでも面白かったので、ポスト数稼ぎのためにも、また次回にまわすことにする。

Rant: Irrelevance of the Domar's Thorem

最適債務レベルについてのペーパーをレビューしようとしてふと思いついたことを書いてみる。債務の話をする際によく目にするのはドーマー条件というものである。名目GDP成長率が名目金利を上回る限り債務は発散しない(よって債務は維持可能)であるというように使われることが多いようだ。ところが、これは現代のマクロ経済の研究をしている人は使わない言葉の一つだと思う。一時話題になった「非自発的失業」よりも更に時代遅れな言葉だとも言える。では、なぜ、この条件は意味がないのか?理由を考えてみた(あまり考えないで列挙したのでそれぞれダブっている)。
  1. 長期的に一定な金利や成長率という仮定自体がばかげている。
  2. おそらくは、この条件を満たしている政府がデフォルトした例はいくつもあるはず。例えば、この条件をある一定期間満たしていても、経済をあるショックが襲えば、その政府はデフォルトに追い込まれることは十分考えられる。
  3. 「債務が発散」することは実際にはありえず、政府はいつかの時点でデフォルトする。そのような可能性を排除したモデルに意味があるのか?
  4.  成長率も金利も非常に内生的な(もちろん、有名な言葉を借りれば「すべての変数は内生変数」なのだが…)ものであり、それらについての条件が満たされているとか満たされていないとかいったものにどれだけの意味があるのか?
  5.  「発散しない」という条件はあまり重要ではない。より重要なのは、どのような債務レベルが社会的な厚生を最大化するかである。
日本についても、現在の債務水準が維持可能かといった低レベルな議論よりも、 どのような債務のレベル、および債務のダイナミクスが国民にとって望ましいかといった議論をしてもらいたいものだ。

Not Neoclassical, nor Keynesian, but Farmerian

Roger Farmerの"The Stock Market Crash of 2008 Caused the Great Recession: Theory and Evidence" (JEDC2012)について軽く触れてみる。Farmerは学会でアクティブな数少ないオールドケインジアンという印象なのだが、最近の彼は、「俺はKeynesianではない、Farmerianだと」高らかに宣言している。このペーパーもそのような彼の一連の研究の一部であり、単体で評価するのは難しいのだが、できる限り簡単に書いてみる。

このペーパーでは、まず、失業率と株価(あるいは住宅価格)には、少なくとも1980年代以降には、強い相関があることを示す。そしてペーパーの後半では、このようなfactと整合的な理論を示し、なぜ他の競合する理論(Neoclassicalおよび(Old) Keynesian)より彼の理論が勝っているかについて簡単に述べている。

では、データから見ていこう。
青い線は失業率(上下さかさまに描かれている)、赤い線はS&P500(日本で言えば日経平均のようなものである)を示している。1980年ごろまでは株価はあまり動いていないものの、1980年代以降は、失業率が高いときには株価は低いという関係がきれいに示されている。ちょっと前にも言及したが、さまざまなマクロ変数の動きの特徴が1980年ごろを境に大きく変わっているのはとても面白い。下の2つのグラフは、Great Recession前後の失業率と住宅価値(上のグラフ)および株価(下のグラフ)との関連を示している。住宅価値の下落は2006年ごろから始まっており、Great Recessionに先行しているが、きれいに一緒に動いているように見える。
では、このようなデータの動きは何を教えてくれるだろう。これらはデータが「一緒に動いている」ことを示しているだけで、何が原因で何が結果かは教えてくれない。このように二つのデータAとBが一緒に動いているときには:
  1. Aの動きがBの動きを生み出している。
  2. Bの動きがAの動きを生み出している。
  3. Cの動きがAとBの動きを同時に生み出している。
のどれかと考えるのが普通であるが、上の表を眺めててもどの解釈が正しいかはよくわからない。こういうときには理論の助けが重要になる。では代表的な理論による解釈はとなんだろう?

まずは、技術レベルが変動する典型的なNeoclassical Model(例えばRBC)を考えてみよう。経済の技術レベルが上昇したとする(正の技術ショック)。生産性が高まるので、企業は雇用を増やす(失業率が低下する)。生産性の高まった企業の将来の利益は高くなることが予想されるので、株価も上昇する。この理論に対して、Farmerは「2008年以降の大きな技術ショックとは何なのか」と疑問を呈する。しばしば例として挙げられるのは、近年の企業に対する規制の強化、および、金融危機によって企業がお金を借りることが急に難しくなったこと(Financial constraintに対するショック)であるが、Farmerは、前者は2008年以降の急激な失業率の上昇を説明するには弱く、後者はFRBによる積極的な金融緩和にも関わらず失業率の大幅な低下が見られなったことと整合性が取れないと批判する。

では、(Old) Keynesian Modelはどうか?典型的なKeynesian Modelでは、Great Recessionのような不況はアニマルスピリッツ(どう訳せばいいのかわからない)が急速に減退することで引き起こされる。企業が急に弱気になって投資をやめてしまうのである。投資を減らせば、生産に必要な労働者の数も減るので、失業率が高まる。さらに、投資の減退によって将来の企業の利益も減少するので株価も下がるであろう(このことはFarmerは特に指摘していないが)。では、この理論のどこに問題があるのか?Farmerは民間消費が所得ではなく資産に強くリンクしていることを挙げる。つまり、典型的なKeynesian modelが仮定する「消費関数」(消費=最低限の消費量+a×所得)はデータから支持されないのである。Farmerは別のペーパーにおいて政府支出の増加が民間消費のcrowding outを引き起こしていることを示しているが、crowding outの存在も典型的なKeynesian Modelに問題があることを示唆している。ただ、個人的には、消費関数を仮定しなくてもアニマルスピリッツへのショックに基づくモデルは成り立つと思うのでどこまでこの点がKeynesian Modelの批判になっているのかはよくわからない。

では、これらのモデルより優れているものとして、FarmerはFarmaerian Modelを提唱する(!)。細かい点についてはFarmerの他のペーパーを参照したりしているのだが、概ね以下のようなメカニズムだと思う。彼のモデルの重要な要素は期待される株価に対するショックが経済のダイナミクスを生み出すというところにある。将来期待される株価が上がると(投資家が将来の見通しに関して楽観的になると)企業は資金調達が容易になる。よって企業は投資を増やす。生産を増加させるためにより多くの労働者を雇用する(失業率が下がる)。このような企業の行動によって企業の業績は実際に改善するので、この楽観的な期待はself-fulfilling(自己実現的)なのである。技術ショックを「それが表しているのは何なのか」と批判しておいてソロスの言う「市場のムード」へのショックを使っていいのか?といいたくはなるが、「市場のムード」というのは、「人的資本」と同様、それはあるかもなと思えなくもない。但し、心理的なものなど、数字としてつかみにくいものであればあるほど批判もしづらく、かつあまりdisciplineも効きづらくなるのでさまざまなことが「説明」できてしまうという言い方もできるだろう。また、Farmerは彼のモデルが(Old) Keynesianのモデルより優れている点として、「均衡モデル」であること、つまり、自然失業率とかいった前近代的な要素が含まれていないこと、および、消費関数のような非現実的な要素を含んでいないことを挙げている。

最後に、Farmerは、彼のモデルの政策的インプリケーションを2つ挙げて終わりにしている。
  1. 拡張的財政政策はcrowding outを引きこすだけでGDPの増加には寄与しない。
  2. 重要なのは「市場のムード」に働きかける政策である。
言うは易し、といった感のある政策である。では、1990年代以降の日本については、1980年代のバブルを維持できるように「市場のムード」を鼓舞し続ければよかったのであろうか?

Stylized Facts of Housing Boom-Bust Cycles

他の分野についてはよく知らないが、少なくとも1980年代以降のマクロ(国際マクロやマクロファイナンス、マクロ労働といった関連分野も含む)は以下のような手続きを繰り返すことで発展していったといえると思う。
  1. モデルが再現すべき「Stylized Facts(定式化された事実)」あるいは「Puzzle(スタンダードなモデルが再現できない事実)」というものを皆が共有する。
  2. それを再現できるようにスタンダードなモデルを拡張する。
  3. それを再現できるモデルが複数あるときには他のfactsを元にどのモデルが「回答」となっているかを判断する。
面白いことに、昔から知っている人もいるstylized factsやpuzzleが何かの論文をきっかけに急に皆の注目を浴びて、皆がそのstylized factsを再現しようとしたり、puzzleを解決しようとしたりすることがあるのが面白い。未だに熱が冷めていないものとしてはequity premium puzzleがあり、最近ではShimerのunemployment volatility puzzle(失業率のデータは触れ(volatility)はとても大きく、「普通の」労働サーチモデルでは再現できないというpuzzle)が盛り上がった。

では、住宅市場におけるstylized facstとはどういうものがあるか?特に住宅価格についてのfactsを整理したのが今回軽く触れる"House Price Moments in Boom-Bust Cycles," by Todd Sinai (NBER WP 2012)である。日本の1990年代から始まる低迷にしても、アメリカの最近の景気後退にしても住宅市場のBustとともに始まったことから(どちらが原因かという質問には依然として答えが出ていないように思えるけれども)住宅市場のBoom-Bustについてのstylized factsを認識しておくことは重要であろう。以下、あまり細かい点には触れずに、筆者があげるstylized facstを列挙していく。
  1. Boom-Bustのパターンは地域によって大きく異なる。例えば、1990年代から2000年代にかけての実質住宅価格の上昇度合いを、アメリカのMSA(都市圏と考えればよい)で比較すると、上昇率が上から25%の都市圏では住宅価格が111%も上昇した(つまりインフレを調整した後で倍以上)。一方、下から25%の都市圏では32%しか上昇しなかった。
  2. 1990年代から2000年代のBoom-Bustは1980年代のBoom-Bustと非常によく似ている。アメリカの都市圏における1980年代の住宅価格上昇率と1990-2000年代における住宅価格の上昇率の相関係数は0.45と非常に高い。つまり、1980年代に住宅価格が大きく上昇した都市圏の多くにおいて1990-2000年代にも住宅価格が上昇した。
  3. 住宅価格上昇開始のタイミングは都市圏で異なった。最近の住宅市場ブームにおいては多くの都市圏において、住宅価格は1990-1993年の間か、1996-1997年の間のどちらかに上昇を開始した。その一方、住宅価格のピークはほぼすべての都市圏で2006-2007年であった。1980年代のブームにおいても、大体の都市圏でピークは1986-1990年にかたまっていた。
  4. 最も住宅価格の上昇幅および下落幅が大きかった都市圏は、東海岸と西海岸、およびフロリダに集中していた。これらの都市圏は住宅価格の上昇開始のタイミングとピークのタイミングも大体同じであった。
  5. 都市圏の住宅価格の各年の変化率のばらつきを見てみると、都市間でのばらつきは住宅価格が上がっているとき(Boom period)には大きくなり、住宅価格が下がっているとき(Bust period)には小さくなっていた。つまり、住宅価格が上がっているときには大きく上がる地域とあまり上がらない地域との間に価格上昇率の大きな差があるが、住宅価格が下がるときには皆同じように下がるということである。
  6. 上で挙げた5つのstylized facstは住宅需要に影響を与える要素(各都市圏の平均所得、平均賃貸価格、雇用者数)wコントロールした後でも、成立する。つまり、上で挙げたfactsは、各都市圏の平均所得、平均賃貸価格、雇用者数の違いによって生み出されているわけではない。
筆者は、stylized factsを挙げることにとどめ、そこから何が言えるかについてはあまり言わないよう慎重になっているが、これらのfactsは、住宅価格の動きは住宅への一般的な需要 によって動いているわけではなさそうであること、全都市圏に等しく影響を与える説明(例えば利子率が低く抑えられていたこと、サブプライムローンが増えたこと)では都市圏間の大きな差を説明するのは難しいと述べている。

非常に有用であるが、都市圏の比較だと、都市圏間の違いにも目を向けなければならないので、都市圏間のstylized factsを元に理論を発展させるのは難しいのではないか?それに、価格のデータだけでなく、数量のデータもないと、どのようなモデルにするべきかを決めるのは難しい気がする。

最後に、日本の1980年代についても同じようなデータがあると思うが、住宅ブーム崩壊の先進国である日本では、何か理論の構築が進んだのであろうか?

How Large is Greece?

ギリシャ政府のデフォルト、ユーロ離脱がしばらく話題になっているが、ギリシャというのはどのくらい大きいのか。数字に弱い僕としては、イメージしやすいものに置き換えてみないと実感がわかないので、ギリシャ、および他のユーロ加盟国を日本の都道府県と比べてみた。

ECBによると、ギリシャの2010年のGDPは2270億ユーロで、ユーロ加盟国のたった2.5%である。日本にたとえて言うと、広島県のGDPが2.5%をちょっと下回る程度である。広島県を貶める気は毛頭ないけれども、広島県がデフォルトして、広島をベースにする銀行に取り付け騒ぎが起こって、広島県の生産が数年滞ったとしても、日本に与える影響はとても小さいのではないかと思う。銀行を救済するのも簡単であろう。広島県の公務員全員がストを起こしたとしても、国際的なニュースになるとは考えにくい。但し、ユーロ加盟国のGDPは日本のGDPの約2.3倍と、かなり大きい。ギリシャのGDPの大きさに対応する都道府県はどこかといえば、大阪府と愛知県の間あたりのようだ。大阪の公務員全員がストを起こしたりしたらやっぱり国際的なニュースになりそうだ。ここに、都道府県のGDPと各国のGDPのとても見やすい比較があるのでリンクしておく。

では、スペインやイタリアのGDPはというとそれぞれユーロ加盟国の11.5%と17.0%であり、かなり大きい。ギリシャの問題がこれほど重要視されるのは、ギリシャ自体が問題なのではなく、スペインとイタリアに飛び火するのを恐れているからだというのが実感としてわかるであろう。日本と比べると、スペインのGDPがユーロ加盟国に占める割合は、だいたい九州全部のGDPが日本のGDPに占める割合と近い。イタリアはというと、なんと近畿地方のGDPである。これらの地域が大不況に陥り、これらの地域をベースとする銀行が取り付け騒ぎにあったら、大変なことになりそうだというのは実感として想像がつくであろう。

余談であるが、イタリアも、大阪府もいわゆるausterity(窮乏化)政策を採っているのが面白い。トップの経済学に対する知識はずいぶん違うが。 大阪府で公務員がストを起こす可能性もゼロではないのは興味深い。

How about Wage Cyclicality of the Unemployed?

ちょっと前に聞いた"Separations, Sorting, and Cyclical Unemployment" (by Andreas Mueller)についてのメモ。

(実質)賃金が景気循環に伴ってどのように動くかについてよく知ることは、どのような景気循環の理論がより信頼できるかを選ぶための一つの材料を提供してくれる。労働市場に摩擦がなく、賃金が労働生産性と強く連動しているモデルを考える場合は、モデルとデータの突き合せが比較的単純であるが、労働市場に摩擦があって、賃金と労働生産性の間に乖離がある場合はちょっと話は複雑である。更に、労働者の能力に差があって、景気循環に応じて雇用されている人および失業している人における労働者の能力構成が変化する場合、話は更に複雑になる。いづれにしても重要なのは、まずは、factsを把握することである。

では、実質賃金について何がわかっているか?実質賃金は労働生産性より変動が小さく、GDPとの相関も労働生産性ほど強くはない。この事実は、いわゆる、「実質賃金の粘着性」といわれている。名目価格は関係ない(取り除かれている)ことに注意してほしい。実質賃金と労働生産性が異なる動きをすることは、普通、労働市場に何らかの摩擦がある(から賃金が労働生産性に等しくなるまで調整されない)ことの証拠として考えられている。

では、どのような人が雇用されているかという能力構成についてはどんな事実が知られているか?(僕の専門ではないので著者の受け売りだけれども)Solon, Barsky, Parker (QJE1994)によると、平均して、雇用されている人の能力は不況期のほうが高かった。これは納得しやすい事実である。不況期には、能力が低い人のほうが失業しがちであろうから、雇用されている人の内訳を見ると、能力が高い人も不況期により多く失業するとしても、能力が低い人に比べれば失業する確率は比較的低いことが考えられるからである。このことは、能力構成が好況期と不況期で変わらないとすると、実質賃金はより上下に大きく動くはず、言い換えると、実質賃金の粘着性はデータで見るほど強いものではない、ことを示唆しているとも言える。

一方、最近の研究(Hines, Hoynes, Krueger (2001))によると、この解釈は必ずしも正しくない。彼らによると、不況期には能力が高い人が雇用者に占める割合が比較的高くなるという結果は、能力が高い人の労働時間が不況期には比較的大きくなることによるものらしい。「不況期のほうが雇用されている人の平均的な能力が高くなる」という結果は、労働時間でウェイト付けをしなければ、消え去ってしまうと著者らは主張している。

今回簡単に触れるペーパーでは、雇用者ではなく、失業者の構成を見ているという点で新しい。CPS (Current Population Survey)というマイクロデータから、著者は以下の事実を見つけ出した。
  1. 失業前の賃金の平均(だいたい能力の平均に対応する)は 不況期に上がり、好況期に下がる。つまり、景気と逆に動く(countercyclicalという)。つまり、不況期には失業者の平均的な(賃金で測った)能力は上がる。
  2. 失業者を賃金が平均より高いグループと低いグループに分けると、 職を見つける確率(job-finding rate)の平均および平均失業率との(負の)相関は二つのグループであまり違いはない。どちらのグループも、不況期(失業率が高いとき)には職を見つける確率は同じように下がるのである。
  3. 逆に、職を失う確率(separation rate)は二つのグループで,平均はあまり違わないもの、平均失業率との(正の)相関は賃金が高いグループのほうが高かった。つまり、賃金が高いグループのほうが、不況時(平均失業率が高いとき)には、職を失う確率がより高くなるのである。
  4. 一つの職から別の職に転職する人の割合(job-to-job transition rate)は両方のグループともに不況期(失業率が高いとき)には低くなるが、(負の)相関は高賃金グループのほうが弱い。つまり、転職者は低賃金グループのほうが不況期に少なくなる。
  5. 上記の事実は、何もコントロールしていない賃金を使っても、観察可能な労働者の特徴をできる限りコントロールしたあとの賃金(残差賃金)を使っても同じである。
  6. 事実2と3を使えば、事実1が説明できる。不況期には、賃金が高めのグループのほうが失業する確率が高まる一方、職を見つける確率は両グループで差はないため、失業者全体における高賃金者の割合が高まるのである。
更に、著者は、このような事実を再現できるモデルを提案している。著者によると、単に普通の労働サーチモデルに能力(賃金)の差を導入しただけでは、能力が高いグループと低いグループで失業する確率の変化度合いが大きく異なることは再現できない。しかし、労働者を雇い続けるためにはある一定の利益を毎期毎期出さなければならず、しかもその最低限の利益のレベルが変化するという仮定を入れれば、上で挙げた事実が再現可能である。著者はこれを「信用制約に対するショック」と呼んでいる。企業の存続のためには一定のお金を常に稼ぐことが必要で、そのお金が足りなくなったときには、お金を借りることができれば企業を存続させることが効率的であるにもも関わらず、何らかの理由で借りられない場合には企業が存続できなくなってしまうからである。なぜこの仮定が役に立つかは明白であろう。能力が高い労働者の方が交渉力が高いので、企業にとっては利益が低い。よって、最低限稼がなくてはならない利益のレベルが例えば上がった場合には能力の高い人を雇っている企業のほうが信用制約によってつぶれがち(よって能力の高い人のほうが職を失いがち)だからである。

理論のパートは、信用制約の仮定がちょっと信じがたいこと、このモデル以外より簡単で同じ事実を再現できるモデルはないことを筆者は議論しているが、それについて説得力を持たせることは難しいことから、不満が残るが、データのパートは面白い。データと理論をうまくミックスしているという意味でも理想的なjob market paperだといえる。

Prescott Strikes Back

Great Recessionと金融危機が始まって以来、直近20-30年ほどマクロ経済学の基本モデルの地位を占めるに至ったRBC-DSGEモデルへの批判がそこかしこで聞かれるが、大御所であるPrescottはどう考えているのか?McGrattanとPrescottによる最近のWorking Paper("The Labor Productivity Puzzle")を元に見ていく。

このペーパーでは、労働生産性(GDPを総労働時間(あるいは総雇用者数)で割ったものと考えればよい)とGDPの相関が、1985年以来失われていることをまず指摘する。1960年から1985年の間は、この相関係数は0.54であった。つまり、労働生産性が高い時期はだいたい経済全体の生産も多い時期(好況期)であり、労働生産性が低い時期は経済全体の生産も少なめな時期(不況期)であった。

この特徴は、TFP(総要素生産性)ショックが景気循環を生み出すRBC-DSGEモデルと整合的である。シンプルなRBCモデルでは、TFPが高いと、労働者の生産性も高まり、企業はより多くの労働者を雇う。よって、生産性は上がり、経済全体の生産量も(TFPの向上と労働投入量の増加の両方によって)増えることになる。TFPが低くなると反対のことが起こるのである。

労働生産性とGDPの相関というのは、TFPショックが景気循環を生み出すRBCモデルが伝統的なケインジアンモデルより優れていることの根拠の一つでもあった。伝統的なケインジアンモデルでは、何らかの理由で経済全体での需要が増えると、それに合わせて企業は雇用を増やして生産を増加させる。このときに、新たに雇われる人はこれまで雇われていた人より生産性が低いと考えるのは不自然なことではない。そうであれば、企業が生産を増やすと、より生産性の低い人も生産に携わるようになるため、平均的な労働生産性は低下するのである。つまり、このメカニズムに従うと、(平均)労働生産性とGDPの間には不の相関がなければならないことになる。少なくとも戦後1985年あたりまでは、アメリカ経済は逆の相関を示していたのである。

但し、労働生産性とGDPの正の相関は1985年あたりを境に失われたように見える。1985年から 2010年の間の相関係数は0.05であった。この二つの相関が失われたことについては、以下のグラフを見るのが手っ取り早いと思う。
労働生産性とGDPに相関がないことは、特に、Great Recessionにおいて顕著であった。GDPは2008-2009にかけて6%程度落ち込み、2009-2010年は横ばいだった一方、労働生産性は2008-2010年の間に約2%上昇したのである。下の図がわかりやすい。

このことは、ケインジアン的な需要サイドのショックがGreat Recessionの原因であることを示唆するのか?著者らは必ずしもそうではないと主張する。著者は、そのために、スタンダードなRBCモデルに「無形資本」(intangible capital)を導入する。無形資産とは、生産のためのノウハウや「のれん」(ブランド価値)等の、「資産」として通常カウントされないものの、企業が投資をする対象であり、生産に役立つものを指す。企業が(通常の)有形資産と無形資産の両方に投資をする経済を考えてみよう。TFPが低下して経済の生産性が低下したとする。企業は雇用を減らし、有形資産と無形資産両方への投資も低下させる。但し、無形資産への投資はGDPにカウントされていないので、無形資産への投資が減少した場合、GDPの減少分は低めに計算されることになる。よって、労働生産性を「GDP/雇用」で計算すると、GDPの減少分は低めに見積もられてしまう一方、雇用の減少はすべて把握されるので、「GDP/雇用」で計算した労働生産性は上昇するのである。言い方を変えると、総生産量の減少は、データでGDPとして把握されているよりも大きかったということになる。

著者らが行った実験をもう少し詳しく書くと、 有形資産と無形資産の生産性が別々に変化すると仮定する。二つのショックがあるので、(無形資産投資がカウントされていない)GDPの動きと労働生産性の動きがモデルによって再現できるように、二つのショックを逆算することができる。この場合、GDPと労働生産性の動きをモデルが再現できるのは仮定である。但し、消費、投資、といった、モデルで再現できているとは限らない変数について、モデルとデータを比べることで、モデルがどの程度「もっともらしいか」を論じることができる。著者らのシミュレーションによると、モデルが生み出す消費と投資の落ち込み度合いは、データとそう違っていなかった。具体的な数字を挙げると、モデルは、2008-2010年にかけて、有形資産に関わるTFP(6%低下)より無形資産に関わるTFPがより大きく低下(17%)したことを示唆していた。

このロジックには2つの疑問がある。データで見えるもので説明ができないものがある場合、目に見えないコンセプトを加えるというのは経済学に限らない手段であるが、重要なのはそのコンセプトが「もっともらしい」かということであろう。ちょっと前にBob Hallが、無形資産の生産性へのショックを加えれば、株価の動きはマクロのモデルでうまく説明できるというような演説をAEAの総会で行ったが、無形資産がマクロでその後流行ったかというと、あまり流行ってはいないと思う。では、無形資産投資が落ち込んだというのは「もっともらしい」か?著者は、R&D投資と広告費が2008年から2010年にかけて落ち込んだことを一つの根拠としてあげている。

もう一つの疑問は、ではなぜ1985年まではGDPと労働生産性の相関が維持されていたかというものである。読んではいないが、おそらく、別のペーパーにて、無形試算の重要性が近年上昇したというような証拠が提示されているものと思われる。経済のソフト化などといわれている現象とも整合的な仮説である。

Prescottは、このペーパーの結果を元に、以下のことを主張している。
  1.  最近金融危機などで既存のマクロ経済学のモデルに対する疑問が盛り上がっているが、Great Recessionは、スタンダードなRBCを少し拡張すれば再現できるものだ。
  2.  金融危機がGreat Recessionを引き起こしたとか、マクロモデルには金融部門を入れる必要があるという主張も疑わしい、なぜなら、このモデルは金融部門なしでGreat Recessionを再現できるからだ。現在のマクロ経済学の基本モデルは有効である。
  3.  金融危機は、最近多くの人が主張するようにGreat Recessionの「原因」なのではなく、深刻な不況によって金融機関のバランスシートが痛んだ、つまりGreat Recessionの「結果」であると考えることもできる。
  4. 今後重要なのは、生産性を高める政策へ早く転換することだ。

このペーパーは現在のマクロ経済学における二つの大きな課題に関連している。一つは、Great Recessionはなぜ起こったかである。もう一つは、1985年あたりで何が変わったかということである。1985年以降、インフレ率は低下し、(最近の景気後退までであるが)景気循環の幅が小さくなり(Great Moderation)、家計の負債が増加し、労働生産性とGDPの相関がなくなり、景気回復時の雇用の増加が緩慢になった(Jobless Recovery)。これらの関連を探るというのは、マクロ経済学の大きな課題だと思う。