Inefficient Size-Dependent Policies

今回も、企業に異質性のあるモデルで個々の企業に異なる政策を実施することによる生産性の悪化というトピックの続きである。具体的にはGuner, Ventura and Xu (RED2008)をカバーする。もうこれで最後にするが、前回カバーしたRestuccia and Rogerson (RED2008)と並んでこの分野での必読文献であることと、日本の話が出ているからだ。

このペーパーのモチベーションになっているのは、発展途上国においても先進国においても、大企業を冷遇する、あるいは中小企業を優遇する政策が広く行われていることである。European Commissionによると、EUにおける平均的な企業(正確にはplantだがまぁ気にしないでよい)はアメリカの企業に比べて従業員数が23%少なく、日本の場合は40%も開きがある。それぞれの国で利用可能な技術が同じであれば、企業のサイズも同じになるはずであるが、そうはなっていないのである。その理由はいろいろあるであろうが、ここでは、その主たる理由として、欧州や日本では大企業を冷遇あるいは中小企業を優遇する政策がアメリカに比べてより積極的に行われていることを挙げている。

中小企業優遇策の典型例として挙げられているのが、1973年以来実施されてきた(2000年に規制の弱い新大店法に取って代わられた)いわゆる大店法である。彼らによると、大店法のもとでは、500平方メートル以上の敷地を持つ小売店舗にはさまざまな規制が加えられていた(1500平方メートル(大都市圏では3000平方メートル)以上の敷地を持つ小売店舗の場合規制は更に厳しくなる)。例えば、新たな店舗をオープンするためには「関係者(新たな小売店のオープンによって影響を受ける既存の小売店も含まれる)」の合意を得る必要があり、多くの場合オープン自体が妨げられてきた。著者らによると、このような大企業を冷遇する政策は、フランス、イタリア、等の他の国でも活発に行われてきた。逆に、中小企業、特にスタートアップ企業を優遇する政策は多くの国で積極的に採用されている。このような政策の効果を、企業に異質性がある、特に異なるサイズの企業が存在するモデルを使って分析しようというのがこのペーパーの目的である。

モデルは最近見てきたものと非常に似ている。各企業は生産性が異なり、生産性に応じて、資本と労働を競争的市場から調達して生産を行う。ここ最近扱ったペーパーのような借り入れ制約は存在しないので、当然のことながら生産性の高い企業の方が大きくなる(多くの資本と労働を使って生産を行う)。生産性が低すぎる企業はマーケットから退出し、参入コストを支払ってもよいと思うくらい生産性の高いスタートアップにとって代わられる。前と同じように、静学的均衡のみ見ているので、各企業は生産性がショックを受けて変化するのに合わせてサイズが大きくなったり小さくなったり、あるいは参入したり退出したりするが、経済全体の状態(GDP、総消費、総雇用)は変わらない。

企業の大きさに応じて異なる政策を実施したときに経済全体にどのような影響を与えるかを分析するのが目的なので、最低限、モデルにおける企業の大きさの分布が実際の経済と似ていなければモデルを使ったシミュレーションは信用できないであろう。この点をクリアするために、著者らは、アメリカをこのような政策がない状態と考え、企業のサイズに依存した政策がない状態でモデルが生み出す企業のサイズの分布がアメリカにおける企業のサイズの分布に近くなるようにモデルのパラメータを調整している(カリブレーション)。

では、このような経済において、企業のサイズに依存した政策がどのような効果を持つかを分析していくのだが、日本の大店法やヨーロッパで実施されている政策を厳密にモデル化するのは難しいので、もっとシンプルでありながら、日本や欧州で実施されている政策のエッセンスを捉えた政策をモデルの中では実施してみることとする。より正確には、ある一定以上の資本Kを使う企業には、資本の利用コストに一定税率の税Tがかけられると仮定する。Kのレベルは、政策がない状態のモデルにおける企業の平均サイズが選ばれ、T(34%)は企業の平均サイズが政策によって20%小さくなるよう(20%というのはアメリカと欧州における平均企業サイズの差に近い)に選ばれている。モデルによると、このような政策を実施することによって企業の数が24%も増加し、GDPは8%減少する。毎年の消費量がどれくらい変化するかという風に測られた「幸福度(welfare)」の変化は1.5%の減少である。

どうしてこのような結果が起こるのか。大きい企業に税がかけられることによって、 大きい企業のサイズが小さくなる。大きい企業が使わなくなった資本や労働の一部は、生産性は低いのでサイズは比較的小さいけれども税の対象とはならない小さい企業の使われ、それらの企業の生産が拡大する。大きな企業が資本や労働を使わなくなることで、需要の低下を反映してそれらの価格が低下するので、これまでは生産をやめていた生産性の低い企業の一部が復活してしまう。生産性の高い大企業の生産が縮小すると同時に生産性の低い企業による生産量が増えるので、経済全体で見た生産性は低下することになるのである。

では、今度は、資本の利用ではなく、大企業による労働の利用に対して一定税率の税金がかけられるとしよう。上の政策と同じように、平均的な雇用のサイズを超える企業の賃金支払いに対して、一定の税率Tで税金がかけられるとし、T(14%)はこの政策が実施された場合に企業の平均的サイズが20%低下するように選ばれる。この政策の結果、企業の数は前と同じように24%増加するが、GDPは0.5%しか減少しない。幸福度の変化は0.4%の減少である。企業のサイズに依存する政策といっても、どのように企業に異質な影響を与えるかによって政策の効果はずいぶん異なることが見て取れると思う。

著者らは、多くの国で行われている、小さい企業に補助金を与える政策、の分析も行っている。彼らのモデルにはスタートアップを支援することによる利益が存在しないので、小さい企業を支援する政策も経済に悪影響を与えることになる。詳しい数字としては、GDPは0.1%しか減少しないものの、企業の数は24%増加し、幸福度に与える影響も大きい(1.8%の低下)。

最後に著者らはあるセクターに焦点を当てた政策も同じようなフレームワークを使って分析できると主張してペーパーを終えている。

最近は、ここ数回扱ってきた企業に異質性のあるモデルに、失業を加えたり、景気循環を加えたようなモデルが発展している。これらの分野は今現在発展中の分野である。気が向いたらそのようなペーパーも扱うかもしれない。

Shifting Mandates of the FRB

ReinhartとRogoffが、FRB設立100周年を記念して行われたAEAのセッションで発表した内容をもとに書かれたペーパー("Shifting Mandates: The Federal Reserve's First Centennial")について箇条書き形式でメモしておく。

著者らは、まずはFRBの最初の100年を次の3つの期間(あるいは4つ)に分類した。
  • 1913年の設立から1930年代まで:FRBが設立された背景は金融危機の頻発があり、FRB設立当初の主要な目的は「金融セクターの安定のために必要に応じて流動性を供給する」ことであった。 FRB設立法(Federal Reserve Act)の中では価格の安定、インフレーションあるいは雇用といったことはまったく言及されていなかった。このころのFRBは名目金利の操作だけでなく、預金準備率の調整等も通常のツールとして持っていた。
  • 1930年代(特に第2次世界大戦の始まり)から1979年まで:FRBは戦費調達のための財政ファイナンスの支援を行っていた。金利の規制などは資源の非効率的な配分をもたらしたと考えられる一方、1930年代まで頻発していた金融危機は起こらなかった。拡張的な金融政策の継続によって、慢性的なインフレが問題になり、1970年代にはオイルショックをきっかけにして経済はスタグフレーションに陥った。
  • 1979年から2007年まで:1980年代初めにインフレを止めた後は、FRBは独立性を維持し、物価の安定と完全雇用の達成という2つの目的を追求してきた。このころは、先進国の経済は金融危機を防ぐ方法をマスターしたという(誤った)考えが支持され、FRBは政策金利の微調整のみを通じて2つの目的をバランスよく達成することに注力していった。
  • 2007年以降:2007年以降FRBは再び金融危機への対応に追われたが、この期間がGreat Moderationの時代と異なる新しい期間の幕開けになるかはまだわからない。
 そして、著者らは、未来に向けての提言として、以下のことに言及している。
  • もしFRBが物価(およびマクロ経済)の安定という目的と、金融システムの安定という2つの大きな目的を同時に達成しなければならないとしたら、政策金利の調整という1つのツールではツールが足りないかもしれない。今では「時代遅れ」のように考えられている預金準備率やmargin requirementの調整といったツールに再び目を向けてもいいのではないか。
  • 消費者への貸し出し額の伸び率が大きくマイナスになったのはFRBの設立以降4回(1930-33年、1938年、1942-43年、2009年)しかない。信用の収縮に対応するためには、上で挙げたようなツールがより有効となるかもしれない。 
  • Great Moderationのころは、金融システムは危機とかとは無縁で円滑に機能するという仮定の下にモデルが作られてきたが、今後は、金融危機で明らかになった金融セクターのさまざまな摩擦、および金融危機の結果実施されることになったさまざまな規制を明示的に取り込んだモデルが必要とされるだろう。
訳が固くて申し訳ないがこの辺で。

Heterogeneous Policy Distortions and TFP

大学院生のときに、マクロの先生が、「これまでは家計側の異質性に焦点を当てた研究が多かったがこれからは企業の異質性に焦点を当てた研究が盛んになるはずなので、そちらの方に注力するのを薦める」といっていた。そのときにはあまり真剣に考えなかったのだが、今考えてみると、その予言は正しかったと思う。とはいえ、大学院生のころは、そのころ流行っていた研究についていくのに精一杯で、その先を見越すだけの視点がなかったのは残念だ。

最近、これこれで、 企業の異質性に焦点を当てたペーパーを扱ったが、そのおおもとになっているペーパーはHopenhayn (ECO1992)とHopenhayn and Rogerson (JPE1993)である。今回軽く触れるのはHopenhayn and Rogersonのモデルをベースに、生産性が異なるたくさんの企業がいる経済で、ある企業を補助金で優遇して他の企業を税金によって罰するような政策を実施したときに、TFP(全企業の平均の生産性)やGDPがどのように影響を受けるかを分析したRestuccia and Rogerson (RED2008)である。最近扱ったBueraの一連の研究はこのモデルを簡略化する(企業の参入と退出を捨象した)一方で、企業の借り入れ制約を加えただけである。順番が逆になってしまったが、企業に異質性のあるモデルで政策の効果を分析するペーパーの基礎となっているペーパーなので簡単に紹介しておく。

モデルは最近扱ったモデルととても似ている。基本的には新古典派成長モデルなのだが、生産性の異なるたくさんの企業が存在しているとする。それぞれの企業は競争的価格で取引される資本と労働を投入して生産を行う。ただし、企業が存続し続けるためには毎期毎期ある一定のコストを支払わなければならない。生産性が低すぎて、そのコストに見合わない生産しかできない企業は生産をやめて市場から退出することになる。一方、市場にまだ参入していない企業もたくさんいて、ある一定のスタートアップコストを支払えば生産性がランダムに与えられて、生産を開始できる(最初に引いた生産性が低ければ生産を開始せずに退出する)。但し、あまりにたくさんの企業が参入すると、賃金等のコストが上昇してしまうので、参入する企業の数は内生的に制限される。このペーパーでは静学的均衡(steady-stateの訳はこれでいいのであろうか)のみを見ているので、退出する企業と参入する企業の数が一定で、生産している企業の数が変わらない状態のみを見ている。「静学的均衡」という言葉を使ったが、個々の企業レベルでは企業の生産量が変化したり企業が参入や退出をしたりしているので、経済全体で見た状態(生産している企業の数や総労働投入量、GDPなど)は一定であるが、その背後では個々の企業にいろいろなことが起こっていることに注意してほしい。ここがこれらの異質性のあるモデルの面白いところである。

では、このような経済があるときに、政府がそれぞれの企業にランダムに補助金を与えたり、税を課したりするとしよう。まったく同じ生産性の2つの企業A、Bがいれば、 AとB企業は同じ量を生産するのが効率的なはずだが、Aは税金を課され、一方Bには補助金を与えられるとするとAの生産量は減少し、Bの生産量は増えることになる。他におかしな要素がなければ、このような状態は、経済にとって非効率となる。例えば、半分の企業はランダムに(生産に対して)40%の税金がかかり、残り半分の企業には11%の補助金がかけられるとすると(11%という数字は経済全体の資本量が変わらないように選ばれている)、経済全体のTFPは8%低下し、(経済の総資本が変わらないように政策を選んでおり、経済全体の労働供給量は一定なので)、GDPも8%低下することがわかった。

では、生産性の低い企業に補助金を与えて、生産性の高い企業に(40%の)税金をかける政策を実施するとしよう。これがしばしば多くの政府が実施していると考えられる政策である。この場合、TFPとGDPは31%も減少することがわかった。では、政府は生産性の高い企業を助けるためにそういう企業に補助金を出し、生産性の低い企業に税金をかけるとしよう。それでも経済にとっては非効率になる。生産性が高い企業は政策の後押しがなくても最適なレベルまで生産を拡大しているはずなので、補助金を使ってそれ以上に生産をあげることは、無理をさせすぎている状態を生み出しているからである。例えば、生産性の高い10%の企業にのみ補助金を与え、残りの企業には40%の税金を課した場合、経済全体のTFPは5%低下することがわかった。

もし政府が補助金をどの企業にもあげなければ経済全体の資本蓄積量が低下するので、GDPは更に低下することになる。例えば、ランダムに半分の企業に40%の税金を課し、底利の半分には税金も補助金もつけないとすると、TFPは22%、GDPは35%も低下することになる。

このペーパーは、実際に各国で実施されている政策をモデル化しているわけではなく、いわばフレームワークを提供しているだけである。世界中で実施されている、企業レベルで影響を与えるさまざまな政策がマクロのレベルでどのような影響を与えているかを分析することは現在も行われている最先端の研究分野である。最近出た2013年1月号のREDはさまざまな具体的な例を分析したペーパーを集めた特集号であり、Restuccia and Rogersonが監修者となっている。Buera, Moll and Shinもペーパーを載せている。

個人的には、生産資源の分配を非効率にして平均的なTFPを引き下げる具体的な政策の分析を進める一方で、こういう政策がTFPの水準や成長率を高めるような理論・モデルにも興味がある。いわゆる「役に立つ産業政策」的な視点だ。ここで扱ったようなモデルは、政府は何もしないほうがよいという新古典派的なモデルなので、政策がTFPを引き下げるというのはすでに仮定されているようなものだ。インドのように一貫してTFPも経済成長率も低い国の政策を分析する際にはこれでいいかもしれないが、政府の行う政策は全て悪かというとそんなことはないはずで、そういうケースも分析できればなお面白いと思う。

Spurious Correlation or Deeper Problem?

ちょっと前にMarginal Revolutionに載っていた記事が面白いのでメモしておく。Yale SOMのChenのAER forthcomingの論文についてである。この論文では、現在と未来を文法において厳密に区別しない言語(論文ではドイツ語の例が挙げられている)を使う人々は、現在の楽しみを犠牲にして将来に利益を得るような行動をより積極的に行うという仮説をデータを使って検証している。言語において未来をきちんと区別しない人は、未来をあまり遠くのことと考えないので、未来の利益がより近くに感じられ、それを得るために必要な現在の犠牲を進んで受け入れるからである。反対に、未来を現在と厳密に区別する言語を使う人たち(例として英語(willを使って未来を現在と厳密に区別する)を挙げている)は、未来が現在から離れた遠くのもののように感じられるので、未来の利益をより高い率で割り引くのである。ちなみに日本語は未来と現在を厳密に区別しない言語として分類されている。

さまざまな言語の特徴を現したデータを使って分析した結果、未来と現在を厳密に区別しない言語を使う人たちは、貯蓄をより行い、退職時により多くの資産を保有し、タバコを吸う人が少なく、より避妊を行い、肥満になりにくい、ことがわかったそうだ。この結果はさまざな国を比較した結果として成り立つと共に、ある国の中で似たような人たちが異なる言語をしゃべっているケースでも成り立った。

本当かなぁと思う人も多いだろう。典型的な「Freakonomics」的な研究だけれども、この論文が何でMRの目に留まったかというと、Max Planck InstituteのRobertsという人が、その論文の結果の頑健性について検証してみたからである(MRではこの頑健性のテストについて触れたThe Chronicle of Higher Educationの記事に言及している)。この頑健性チェックでは、Chenの論文で使われた、各言語の特徴を分類した研究の、未来と現在を厳密に区別しているか否かといった特徴以外のさまざまな特徴が貯蓄などの「未来志向の行動」を説明できるかを調べてみた。その結果、ある言語が口蓋垂音(なにかはわからなくてよい)を持つか、ある種の同意を示す言葉があるか、名詞の後に関係節をつけることができるか、2つの目的語を取る動詞(Double Accusative Constructionsの訳なんだけれどもこれでいいのであろうか…)があるか、疑問前置詞句(Preposed interrogative phrasesの訳なんだけど間違っているだろうなぁ)、等の、未来志向の行動とは何の関係もないと思われる言語の特徴のほうがより強い説明力を持っていることがわかったのである。

と、ここまで書いた後で、更にアップデートがあったので、すぐにこのエントリをパブリッシュしないでよかったと思った。この批判を行ったRobertsに対して、Chenが、彼らの結果にどうして違いが生じたかを説明し(Robertsはconditional logitを使わずにlinear regressionを使ってた、とか、言語と関係のない特徴(年齢とか性別とか)をコントロールしていなかった)、それらを加味した結果、上で書いた批判は当てはまらない(ラフに言えばChenの結果は正しかった)ことがわかったのである。

自分が間違っていたことを素直に書いたのはとても好感が持てると思う。それと同時に、経済学ではこのような批判的検討がどのくらいちゃんとなされているかについて改めて考えさせられた。レフェリーをやっていても、理論であれば証明が正しいかはチェックできるけれども、複雑なマクロモデルや構造モデルで、論文で行われた実験を再現する時間なんてない。トップジャーナルにパブリッシュされたマクロのペーパーのシミュレーションの結果を再現しようとして、再現できないという話はしょっちゅう聞かれる。同じ結果が出ないなぁと思うことは多くても、そんなことに時間を割いたところで業績にならないから、あまり多くの人がチェックしない。特に複雑であればあるほどそもそもそれを実行できる人は限られていて、そういう人にはチェックするインセンティブがほとんどない。それと同時に、複雑なモデルを使わない人たちから見れば、どうせモデルをうまくいじくっていい結果が出るようにしたんだろうと思われることが多いだろう(同業の僕ですらそう思うことが多いのだから、そもそも複雑なモデルを使わない人は更に懐疑的になっておかしくない)。では、どうすればいいのか、と聞かれても、駆け出しの研究者にはどうしようもない。あまりに暗い話なのでこの辺にしておこう。

Heterogeneous Firms and "Economic Miracles"

前回に続けて、BueraがShinと書いた最近のペーパー(”Financial Frictions and the Persitence of History: A Quantitative Exploration,” JPE forthcoming)にも触れてみることにする。モデルは前回のモデルと非常に似ている。生産性の異なる企業家がたくさんいる経済を考えてみよう。借り入れ制約があるせいで最適な生産水準を達成できない企業家がいると考える。今回のペーパーでは、同じようなモデルをつかって、いろいろな企業家がいる経済で金融摩擦(借り入れ制約)が経済成長にどのような影響を与えるかを分析している。

まずは、ペーパーのモチベーションとなる事実から見ていこう。著者らは、いわゆる「成長の奇跡(growth miracles)」と呼ばれるエピソードをいくつも取り出し、それらに共通する特徴を整理した。それらは以下の通りだ(ペーパーからグラフも転載しておく)。

1.大体のケースにおいて、経済成長は、大規模な改革ときっかけとして始まった。 彼らが分析した「成長の奇跡」には日本も含まれるので日本について彼らが書いていることをまとめると、日本では第2次大戦後(著者らは1949年が分岐点だと主張している)、補助金や価格統制を使った統制経済を自由化し、民間企業の効率的な運営に基づく経済に転換した。
2. 「成長の奇跡」とはいいつつも、経済成長は急激なものではなく、先進国にキャッチアップするには数十年の年月を要した。上のグラフでは、横軸は改革が始まった年からの年数(改革が始まった年が0)となっている。著者らのサンプルに含まれる国の平均が黒の太線、日本は赤の線だ。左上の労働者一人当たりのGDP(対US比)をみると、平均的な「奇跡」においては経済成長は少なくとも30年の間継続的に続いたことがわかる。
3.「成長の奇跡」における経済成長は、TFPの上昇で説明できる。左下のグラフがそれぞれの「奇跡」におけるTFPの動き(対US比)である。
4.投資のGDP比率は「成長の奇跡」の期間中、最初は上昇したがその後低下した。 このことは右上のグラフに示されている。と著者らは述べているものの、モデルでは低下するとはいえ、データも「低下した」というのはちょっと無理がある。データは、「安定化した」くらいが妥当であろう。
5.「成長の奇跡」の期間の大部分においては、金融セクターはあまり発展しないままだった。右下のグラフを見ると、「奇跡」の過程で民間の貸し出し額がGDPに占める比率はだんだん上昇していったものの、アメリカの水準(1990-2005年の平均)である1.75(黒の点線で示されている)には及んでいないことがわかる。この点も少し問題があると思う。アメリカにおいても、貸出額はだんだん増えていっているので、アメリカの最近の平均をみて「それより少ない」と述べるのはちょっと強引な気がする。

 国の成長を見るためのレンズとして最も一般的に用いられているのは新古典派成長理論であるが、なぜそれでは満足いかないのであろうか?著者らは、もし上に挙げたようなエピソードを資本蓄積として理解しようとするのは無理があると主張する。理由は次の通りである。その場合は、経済成長(キャッチアップ)はとても急激に起こるはずであり、上の2.と反する。もちろんTFPは一定であり、3.に反する。投資のGDP比率は経済成長とともに低下するはずであり、4。に反する。では、TFPの上昇が「奇跡」を生み出したとしたらどうだろう。その場合、上で挙げた事実と整合的になる。但し、TFPの上昇はなぜ起こったのかは新古典派成長理論では説明することができない。つまり、このペーパーは、TFPの上昇の背後にあるものをモデル化したものだといえる。そしてモデル化の鍵となるのが、上で挙げた1.の事実なのである。

では、モデルを簡単に見ていこう。経済の中にたくさんの人がいる。それぞれの人は企業家としての能力 が異なっている。企業家になって自分のビジネスを立ち上げればとても生産性の高い人もいれば、企業家になっても大して生産性の高くない人もいる。それぞれの人は、各年のはじめに、企業家になるか労働者となって企業家が起こした企業で働くかを選ぶことができる。容易に想像ができるだろうが、企業家としての能力が低い人は労働者に成ることを選び、企業家としての能力の高い人が企業家になることを選ぶ。企業家になった場合、労働と機械(資本)を使って生産をすることになる。機械は、自分で持っている自己資本と金融セクターからの融資を使って毎年調達しなければならない。ここで一つ問題が生じる。機械を調達するために金融セクターから借りられる金額は自分が持っている自己資本の一定割合までという制約がある(借り入れ制約)。前回と同じ記号を用いると、自己資本額をK、借入額をDとすると、DはdKより小さくなければならない(dは定数とする)。前回と同じ例を用いると、ある企業家のKが1億円で、たとえばd=0.35であればこの人は3500万円までしか借りられないのである。何でもっと借りられないか、ということを説明する理論はいろいろあるが、最もわかりやすいものは破産である。破産の恐れがあると、あまり身の丈を超えた金額は貸すことができないというものである。しかし、モデルの中においては、単にdはあらかじめ定められた数となっている。この場合、とても生産性は高いので大きな企業を運営したい人がいたとしても、その人の自己資本がとても少なければ、たくさんの機械を借りることができない。自己資本が極端に少ない人は、生産性が高くても企業家になることすらあきらめて労働者になってしまっているかもしれない。一方、生産性の高い人に貸すことのできなかったお金がどこに行くかというと、企業家としての生産性はあまり高くない(労働者になるほどは低くはない)けれどもたくさん自己資本を持っているのでたくさん借りることのできる企業家に行ってしまうのである。この状態は非効率だ。なぜなら、生産性の高い人にお金を貸すことができれば、経済全体の生産性は高まるからである。そういう意味で、この経済では、金融摩擦(financial friction、ここでは借り入れ制約)が経済全体の生産性、および生産量を下げてしまっている。

著者らは、更に、改革が始まる前の状態(日本では1949年以前)では政府が生産性の低い企業家に補助金を出して彼らの生産量を更に引き上げ、生産性が高い企業家に高い税金を課して生産性の高い企業の成長を阻んでいると仮定する。個人的には、あまりに大雑把過ぎるに思えるが、政府が資源配分をゆがめているときの影響を分析した多くのペーパーで用いられているので、まぁ、いいのであろう。このような状態では、生産性の低い(高い)企業の生産がより大きく(小さく)なってしまっている。

では、この状態から、日本で言えば1949年に、突然大規模な改革が起こり、上で説明したような補助金および税金が撤廃されたとしよう。この経済に何が起こるかを分析したのがこのペーパーの主要な実験である。彼らのモデルにおいては大規模な改革後は次のようなことが起こる。
  • 補助金を受け取っていた生産性の低い企業は補助金の撤廃に伴って、生産を縮小する。
  • 税金が撤廃された企業は生産を拡大する。税金が撤廃されたことで、これまでは企業家になることをあきらめていた労働者も企業家としての生産性が高ければ企業家になる。
  • 但し、生産性の高い企業家による生産の拡大は緩やかなものとなる。なぜなら、借り入れ制約によって、生産をすぐに拡大できないからだ。
  • 生産性が高い企業の生産が増加し、生産性の低い企業の生産が縮小するにつれ、経済全体で見た生産性(TFPとして測ることができる)は上昇してゆく。
  • 生産性の高い起業はより多く借りるために自己資本を増やさなければならない。よって、彼らの貯蓄率は高くなる。一方、生産性の低い企業は緩やかに貯蓄を減らしてゆく(消費の平準化)。よって、経済全体で見れば貯蓄率(閉鎖経済なので投資のGDP比に等しい)は上昇する。生産性の高い企業が十分自己資本を蓄積した後は、経済全体の貯蓄率は低下する。
  • dが動かなければ、貸出額はあまり大幅には増加しない。
これらの事実は最初にモチベーションとしてあげた2-5と整合的である。下のグラフは、モデルが生み出したダイナミクス(黒の太線)とデータ(グレーの太線、上のグラフにおける「奇跡」の平均)を比べたものである。大まかには整合的であることが見て取れるであろう。著者らが強調する面白い点は、借り入れ制約の役割である。この実験においては、借り入れ制約は特に変わらない(経済に加わるショックは補助金と税金の撤廃だけである)が、借り入れ制約の存在によって、生産性の低い企業から高い企業へのリソースの移転のスピードが遅くなるという点である。
 最後に、著者らは、このモデルと整合的な事実として、以下の3つを挙げている。
  1. 中国と台湾においては、改革後、民間セクターが国全体の生産に占める比率が一貫して上昇していった。 民間セクターを「生産性の高い企業家」のようなものとして捕らえればこの事実はモデルと整合的である。
  2. 「奇跡」が起こった多くの国において、改革の直後には、産業間を移動する労働者の数が上昇し、その数字はだんだん低下していった。産業間を移動する労働者の数が、生産性の低い企業から高い企業への資源移転の程度を表していると考えれば、この事実はモデルと整合的である。
  3. 日本、シンガポール、韓国においては、平均的な企業の大きさが上昇した。モデルの中では、補助金や税金の撤廃されると、生産性の高い企業に生産がだんだん集中していくので、この事実もモデルのダイナミクスと整合的である。

モデル自体は、こういうモデルが好きな学校(Rochester、Minnesota、Penn、NYU...)でマクロを勉強している2年生であれば解ける程度の簡単なモデルであるが、こういうモデルがまだ使われていない成長論のような分野でうまく使えばトップジャーナルに行くというお手本のようなペーパーだと思う。

Heterogeneous Firms and Credit Crunch

遅ればせながらFinancial shockがマクロ経済にどのような影響を与えているかについて、ここ数年でたくさん書かれた論文をちょっとづつ読んでいる。そのうちの一つ、Buera and Mollによって書かれた「Aggregate Implications of a Credit Crunch」についてちょっとメモしてみようと思う。Bueraは、生産性等が異なる企業が存在する経済にFinancial shockが起こったときに、それぞれの企業がどのように影響を受けるか、そしてその結果マクロ経済全体でどのような影響が生じるか、というトピックで論文を書きまくっている出世株だ。

まずはちょっとしたバックグラウンドから入ってみる。ちょっと前(と言っていいのかわからないけれども)、Chari、Kehoe、McGrattan(CKM)が提案したBusiness Cycle Accounting(BCA)というのが流行っていた。TFPショックをモデル全体を記述することなく計算できたように、他のタイプのショックをモデルなしで計算しようというアプローチである。TFPはもちろんそのままで使いやすいが、多くの人はTFPショックを額面どおりに信じているわけではなく、どのようなメカニズムがTFPショックのようなものを生み出しているかという研究がずっとなされてきた。

BCAアプローチというのは、TFPと同じように、何かもっとmicro-foundedなメカニズムから生み出される別のタイプの「ショック」を計算し、それはそれでTFPショックのように使うと同時に、その背後にあるメカニズムの研究も進めようと問いうアプローチだと理解している。BCAアプローチでは、TFPショックのようなものをウェッジと呼んでいるが、今回の論文で使われるウェッジは、効率性ウェッジ(TFPのように、生産要素投入量が一定のときに生産量を変化させるウェッジである)、労働ウェッジ(労働生産性と労働の不効用に差を生じさせるもの、労働所得に関する税(あるいは補助金)のように考えればよい)、投資ウェッジ(消費財を投資財に変える効率性を変化させるもの、投資財への税(あるいは補助金)のように考えればよい)である。

では、なぜBCAアプローチの話から始めたか?いくらBCAアプローチがモデルにあまり依存せずにウェッジを計算しているとはいえ、完全にモデルから自由であることはありえない。特に重要な仮定の一つは、代表的個人(つまり消費者は1人)と代表的企業(つまり企業は1つ)を仮定していることである。では、たくさんの異なる企業がいて、それぞれの企業が何かのショックを受けたとする。その結果それぞれの企業が(おそらくは異なる)影響を受け、マクロ経済全体への影響はそれぞれの企業が受けた影響を集計することで計算することができる。では、その代わりに、最初からこのような経済を代表的企業の存在するモデルで把握してみたとする。この場合、個々の企業にショックが与えられた結果生じたマクロ経済への影響を、代表的企業しかないモデルで把握できるだろうか?という疑問が生じる。この論文はそのような問いに対して答えることを目的にしている。

 ではちょっとモデルを説明してみよう。このペーパーで扱うのは前にも扱った「Financial shock」である。ある企業がKだけ資本を持っているとすると、企業が借りられる金額DはdKまでとする制約である。例えば1億円持っている企業はd=0.5であれば5000万円まで借りられるし、d=0.2であれば2000万円までしか借りられない。Financial shockというのはこのdが(明示的にモデル化されない)何らかの理由で動くというものである。この論文におけるCredit Crunchというのはdが急に下がることである。では、生産性(TFP)や資本の異なる企業がいる経済でdが急に下がったとしよう。おそらくは資本が比較的少ない企業はdKめいっぱいまで借りているであろうから、 それらが借りられる金額は下がることになる。では、それらの企業が借りれなくなってしまったお金はどうなるか?彼らのモデルでは、生産性が低いのでdが高かった状態では借りることができなかった企業が借りることになる。つまり、dが下がることによってお金が生産性の高い企業から低い企業に移ってしまうのである。では、このようなミクロレベルで起こっていることを無視して、代表的企業の存在するモデルでこの経済を理解しようとするとどうなるか?リソースが生産性の高い企業から低い企業に移ってしまえば、経済全体で見た(代表的企業の存在するモデルから見た)生産性は低下することになることが容易にわかると思う。つまり、このモデルでは、Financial shockはTFPの低下として理解されるのである。異質性のあるモデルでよく起こるクレンジング効果(不況時には生産性の低い企業が生産を縮小したり、生産性の低い労働者から職を失うことで、平均的な「生産性」は高まる)と逆のことが起こっていることも面白い。

なぜこの結果が面白いか?CKMはBCAを使って、金融セクターがマクロ経済に影響を与える代表的なモデルであるBGG(Bernanke, Gertler and Gilchrist)などのモデルでは金融セクター経由がマクロ経済に影響を与える時には投資ウェッジの上昇として現れる一方、データによると、投資ウェッジはあまり動かないので、BGGのようなモデルをもとに景気変動を考えるのはあまり有効ではないと主張した。それに対して、このペーパーの結果は、もしFinancial shockがBCAのもとではTFPショックのように見えるのであれば、CKMの議論は金融セクターが重要でないという結論には結びつかないことを示しているのである(著者らは、同じような議論は別のモデルでもすでになされていること、および、投資ウェッジがあまり動かないというCKMの証拠も頑健なものではないことが示されていることにも言及している)。

次に、著者らは、最初のモデルと同じく、Financial shockが異なる企業の借り入れ可能額に影響を与える経済を維持しつつ、企業の生産性が異なる代わりに、投資の生産性あるいは雇用を増やす際の生産性が異なるケースも分析した。まずは、企業の投資の生産性が異なるケースでは、Financial shockはBCAフレームワークのもとでは投資ウェッジの動きとして現れることを示した。最後に、企業が雇用を増やす際の生産性が異なるケースでは、Financial shockは労働ウェッジの動きとして把握できることを示した。これらから何が言えるか?Financial shockが景気の変動を生み出しているときでも、モデルのセットアップの仕方によって、BCAのもとでどのウェッジの動きとして理解できるかはぜんぜん変わってくるというものである。言い方を変えれば、BCAアプローチのもとでどのウェッジが重要そうかということがわかったとしても、その背後にあるメカニズムについては結局あまりわからないことを示した、とも言えるであろう。

最後に、2008年からのGreat Recessionにおけるさまざまなデータの動きから、このペーパーで分析された3つのモデルのどれが優れているかを識別することは可能か、という考察を行っているが、1つの金融危機だけしかサンプルがなくて、マクロレベルのデータしかない状況では、モデルの識別は難しいとの印象を受ける。例えば、3つのモデルのすべてにおいて、Financial shockによって総債務残高のGDP比が同じように落ち込むことが示されている。

著者らも書いているが、このペーパーの問題意識はこのポストで扱ったペーパーの問題意識と近い。企業あるいは消費者に異質性のあるモデルで起こっていることを、代表的企業と代表的個人からなる一般的なDSGEモデルでうまく把握できるかというものである。答えは(そのほかのほぼあらゆる経済問題に関する答えと同様に)もちろん「時と場合による」のであるが、これらのペーパーは一般的なDSGEモデルで把握できない、重要なメカニズムを示しているという意味で面白いと思う。

ちょっと書き方が硬すぎたかもしれないがこの辺で。