Bringing Marketing to Macro

通常のマクロモデルでは、消費者は欲しいものがすぐに、かつコストなしに見つかるように仮定されている。硬い言い方をすると、財の市場に摩擦がない。そのこと自体は他のより重要と思われる要素に集中するための簡略化であって「マクロモデルに問題がある」ということでは決してない。しかし、欲しいものがすぐに見つからないような状況にするとマクロモデルの挙動がどのように変わってくるか、あるいは、(摩擦のない)標準的なマクロモデルで再現できないデータの特性(「パズル」と呼ばれる)が摩擦を入れることで再現できるようになるか、を考えてみるのは重要なことである。

このような財市場の摩擦が重要かもしれない根拠として、企業はかなりのリソースをマーケティングあるいはセールスに割いているということがある。消費者がすべての商品についてすぐにかつコストもなく知ることができればそもそもマーケティングをする必要もないし、セールスのために人を雇う必要もない。しかし、広義のマーケティング用の支出はGDPの8%に達するという推計もある。狭義のマーケティングである宣伝のための支出はGDPの2-3%に達する。これらの数字は、財市場の摩擦がマクロモデルの挙動に重要な影響を与えるかもしれないということを示唆している。

BUのFrancois GourioとLeena Rudankoは一連の論文で、財市場の摩擦と、その結果としてのマーケティング活動をマクロモデルに導入することでモデルの挙動がどのように変わってくるか、財市場の摩擦を導入することがシンプルなマクロモデルにおけるパズルの解決に役立つか、を分析した。今回は、彼らの論文の内容を簡単に紹介する。

 まずはConsumer Capital (REStud forthcoming)というペーパーから。彼らのモデルでは、生産性だけでなく、どのくらい顧客(カスタマーベース)を持っているかという側面で異なるたくさんの企業が存在する。生産に必要な原料のコストが各企業で同じ場合、生産性が高い企業は生産性の低い企業に比べてより多くのものを作って売ることができるが、どの企業もそれぞれの企業が持つカスタマーベースにしか売ることができない。そして、カスタマーベースを広げるためにはマーケティング(彼らのモデルではマーケティングとセールスは区別されていないので、あわせてマーケティングと呼ぶ)に人を割く必要がある。カスタマーベースのような概念のないシンプルなモデルでは、企業の生産性が向上したときには、その企業は投資をすぐに増やして資本を蓄積し、生産を増加させるのだが、彼らのモデルの場合にはすぐに資本を増やしても売る相手がいないと売り上げが伸びないので、投資はすぐには伸びず、カスタマーベースの拡大に伴ってゆっくり伸びていくことになる。このような投資のゆっくりとした反応はデータと整合的であり、しばしば投資のconvex cost(投資をすればするほど投資のコストが高まってゆくので企業は一気に投資を増やしたりはしない)としてモデル化されるが、彼らのモデルは、ある意味投資のconvex costのミクロ的基礎(microfoundation)として捉えることもできる。

また、彼らのモデルおいては、カスタマーベースを拡大するために、新しい顧客に対しては最初の期間だけは割引をオファーすることができる。いわゆる携帯電話等で新規の顧客に期間限定の割引価格をオファーしたり携帯の端末を無料(あるいは割引価格)で提供するするようなものである。カスタマーベースを手っ取り早く拡大したい場合、企業は、新しい顧客により大きな割引をオファーするか、マーケティング活動のための人を増やすことができる。

このようなモデルでは、ある企業の生産性が上昇した場合も、その企業はすぐに売り上げを拡大することができない。カスタマーベースを広げるのに時間がかかるからである。そのような企業はまずはマーケティングにリソースを割いて、カスタマーベースを広げてから、投資によって生産規模を拡大し、売り上げ及び利益を伸ばすのである。また、顧客は一旦ある企業の顧客となると、その企業にロックインされる(すぐには他の企業には移れない)ので、既存の顧客に対しては企業は生産コストより高い価格で物を売ることができる(正のマークアップ)。

彼らのモデルでは、カスタマーロイヤルティ、マーケティングコスト、新規顧客に対する割引、既存顧客に対するマークアップ等、通常のマクロモデルでは出てこない面白い要素が満載であることがわかると思う。このペーパーでは、著者らはこのモデルのインプリケーションを、アメリカの企業レベルのマイクロデータ(Compustat)と整合的か検証し、モデルのインプリケーションの多くがマイクロデータと整合的であると示した。彼らがデータと比較したインプリケーションは以下の3つである。

1.「摩擦が深刻な企業の方が利益率(資本に対する比率)、トービンのq、売り上げの資本比率、マークアップ(販売価格の原価に対する比率)が高い。」

まず、彼らは、摩擦の程度を示す指標として、セールス関連支出を使った。つまり、「摩擦が深刻な」企業というのは「セールス関連支出の高い」企業のことをさす。彼らのモデルによると、利益率、トービンのq、売り上げ資本比率、マークアップはセールス関連支出が高い企業のほうが高くなるはずである。このことは、Compustatにおける様々な企業の特徴と整合的であった。利益率やマークアップが高いのは、一旦顧客を囲い込むと、企業は高い価格で物を売ることができるからである。摩擦が深刻であればあるほど顧客の囲い込みの程度も激しくなるので、利益率やマークアップはさらに高くなる。売り上げの資本比率についても同様である。トービンのqというのは、企業の市場価値をその企業が保有する資本の価値で割ったものである。まぁ、あいまいに言えば、企業の価値と考えればよい。摩擦が深刻な企業では、一旦囲い込んだカスタマーベースの価値が高い。その一方、カスタマーベースの価値は資本価値には反映されないが、企業の市場価値には反映される。よって、トービンのqは摩擦が深刻な企業においてより高くなる。

2.「摩擦が深刻な企業ほど、ショックに対する投資や売り上げの反応は鈍くなる。また、投資や売り上げは、トービンのqやセールス関連支出に比べてラグを伴って反応するが、そのラグは摩擦が深刻であればあるほど大きくなる。」

財市場の摩擦が深刻であれば、たとえば企業の生産性が上昇しても、カスタマーベースを広げるのに時間とコストがかかるので、投資や売り上げの増加は小さくなり、かつラグは大きくなることは、容易に想像ができるであろう。著者らはこのこともCompustatにおける様々な産業の特徴と整合的であることを発見した。

3.「企業の投資額のうちトービンのqで説明できる分は、摩擦が深刻であればあるほど小さくなる。」

摩擦のないシンプルなモデルでは、企業の投資額とトービンのqは同時に動くことが知られている。生産性が上がって企業の価値が上がっているときには、企業は投資を拡大しているはずだからである。しかし、データでは、そのような関係は強くは見られない。このことはパズルとして知られていた。彼らのモデルでは、トービンのqが上昇しても、カスタマーベースを拡大してから生産を増やさなければならないので、投資の反応はゆっくりとしたものになる。よって、投資とトービンのqの関係は弱くなる。著者らは、このようなモデルの特徴もCompustatと整合的であることを発見した。

さらに、最近NBER Working Paperとして出版された論文(Can Intangible Capital Explain Cyclical Movements in the Labor Wedge?)では、財市場の摩擦をスタンダードなRBCモデルに導入することで、モデルの挙動がどのように変わってくるかを分析した。上で取り上げたモデルとは異なり、このペーパーのモデルでは代表的企業一社のみが存在するが、企業が売り上げを伸ばすためにはまずはカスタマーベースを拡大しなければならないという点は上のモデルと変わりはない。彼らは財市場の摩擦を導入したモデルは、以下の点でシンプルなRBCモデルと異なることを発見した。
  1.  データでは、セールス関連の雇用はprocyclical(=GDPが上がるときにはセールス関連の雇用も上がりがちであることを指す。GDPとの相関係数0.27)でGDPの約2倍の大きさで変動する。著者らのモデルでは、セールス関連の雇用のprocyclicality(相関係数0.34)も大きな変動も再現された(彼らのモデルにおけるセールス関連の雇用の変動は大きすぎるが)。
  2. 彼らのモデルでは、ショックに対するGDPの反応はコブ型(hump-shape)であり、通常のRBCモデル(GDPはすぐに上昇して次第に低下するので、コブ型にはならない)よりデータと整合的である。
  3. (あまり詳しくは立ち入らないが)Labor wedge(消費と余暇の間のMRS(限界代替率)をMPL(労働生産性)で割ったもの)は、摩擦のないシンプルなRBCモデルでは消費税率と賃金収入に対する税率の和であり、景気循環に応じてほとんど動かず無相関なはずであるが(Shimer (2009))、データを見ると、labor wedgeの変動はGDPの変動の1.5倍くらいであり、countercyclical(=GDPが上がるときにはセールス関連の雇用も下がりがちであることを指す。GDPとの相関係数は-0.89)である。彼らのモデルでは、データで見られるlabor wedgeの動きを再現することに成功した。
シンプルなマクロのモデルにある意味シンプルな摩擦を加えることで、シンプルなモデルでは分析することのできない様々なことを分析できるようになる、それにモデル自体は依然シンプルなので拡張の余地がかなりあるという意味で、いかにもtop jounralに載りそうなとてもいいペーパーだと思う。

Mankiw Defending the One Percent

Greg MankiwがJournal of Economic Perspective(JEP)の2013年夏号に"Defending the One Percent"(上位1%の所得者を擁護する)という論文を載せて以来、飛びぬけた所得を得ている人にもっと課税するべきかという議論が続いている。(Medianという意味で)平均的な所得が伸びあぐねていたり、最近の厳しい景気後退によって失業率が10%を越えたりしている中で上位所得者の所得のみが伸びていることも、上位所得者にもっと課税すべきという議論が盛り上がっている背景にある。例えば、PikettyとSaezによると(キャピタルゲインを除いた)上位1%の所得が全所得に占める割合は1973年の7.7%から2010年には17.4%まで上昇した。上位0.1%の比率の上昇はさらに大きい。

まずはMankiwの議論を簡単に整理したあとで、同じくJPEに掲載されたSolowによる批判とMankiwによる返答、および、Mankiwが今日NYTに発表した記事を整理する。

まずはMankiwのJEPの論文のポイントは以下のとおりである。
  1.  国の全員が同じ所得を得、税はlump-sum tax(国民の全員が何をしようと同じ金額を払う税制)で徴収される状況を考えてみよう。このような状況は効率性という意味からも、公平性という意味からも望ましい状況である。このような状況下、Steve JobsやJ K RowlingやSteven Spielbergが現れたとしよう。彼らは彼らにしか作ることができないものを社会に供給することによって多くの収入を得はじめたとしよう。彼らのような人に大量に課税して社会の公平性を回復すべきか?上位1%の課税問題というのはこのような問題である。
  2. 上位所得者の課税を強化する政策で、上位1%を含むすべての人の所得が上昇する(経済学の言葉で言えばパレート改善)ような実施可能な政策はひとつも提案されていない。
  3. Stiglitzなどが主張するのは、上位所得者の所得が高いのは、彼らの生産性が高いからではなく、彼らがrent-seeking(競争を制限することで独占的な利益を得ている)に長けているからである。rent-seekingが横行しているのであれば、もちろんどの経済学者もそのような状況を改善すべきと考えるが、Stiglitzが挙げている証拠は例の羅列で、信用できる客観的なデータではないので、説得力に欠ける。
  4. 個人的には、GoldinとKatzが提唱する理論、つまり過去40年ほどの技術革新はスキルの高い労働者の生産性をより高めるようなものであったので所得格差が上昇したという理論(Skill-biased technological change)のほうが説得力があると思う。この理論に基づけば、上位1%の職が上昇したのは、彼らの生産性が高まっただけであり、彼らへの課税を高める根拠は弱い。
  5. それに、rent-seekingが問題であれば、その解決方法は所得上位者への課税の強化ではなくて、rent-seekingを生み出している制度の是正であるべきだ。
  6. そのほかに、上位所得者への課税強化の理由としてよく挙げられるのが、「機会の平等」という概念である。もし、裕福な親の下に生まれた子供の所得は裕福でない親の下に生まれた子供の所得より常に高いのであれば、不平等は生まれながらのものであり、課税強化などによって是正すべきだという考え方である。但し、所得格差のどの程度が生まれつきのものであるかの推定は難しい。Sacerdoteによると、所得格差のうち、33%は遺伝的な要因で説明でき、11%は育った家庭状況、残りの56%は家庭に関係のない環境的な要素だということである。つまり上位1%は生まれながらに決定されていると考える根拠は弱い。それに、このような問題は1%の上位所得者よりは下位所得者の問題だと思う。
  7. 経済学では、伝統的に、このような問題は、「効率性」と「公平性」のトレードオフとして考えられる。政府が国民全員の幸福度の合計という意味での社会的な幸福度を最大化したい場合、生産性の高い高所得者から課税して生産性の低い低所得者に所得を移転すれば社会全体としての幸福度は高まる(公平性の改善)が、生産性の高い高所得者は課税によって働くインセンティブをそがれるので、生産性の高い労働者の労働時間が短くなり、社会全体の生産量が減少してしまう(効率性の低下)。このような理論の元では、所得格差が高まった場合、高所得者に対する課税を強化するのが社会的には望ましいという結論も得られる。ここで問題にしたいのは、「社会的な幸福度を最大化」する(このような考え方をUtilitarianismと呼ぶ)というのが本当に政府の目的のモデル化の手段として正しいものであるか、ということである。
  8. Utilitarianismの1つ目の問題点は、個々人の幸福度は比較できないというものである。
  9.  Utilitarianismの2つ目の問題点は、なぜ「国民」の幸福度だけ合計するのかというものである。なぜデトロイトの低所得者の幸福度は気にする一方、サブサハラアフリカの低所得者の幸福度は気にしないのか?こう考えると、Utilitarianismというのは、第一印象ほどは一般的なものではないといえる。
  10. Utilitarianismの3つ目の問題点は、Utilitarianismから直接的に導ける好ましい政策の多くが実施されていないというものである。最適課税問題を考える場合、標準的なセットアップにおいては、生産性は目で見えないが所得(生産性 x 労働時間)は観察できると仮定されている。本来は高生産性の労働者への課税を強化して、低生産性の労働者に所得移転をしたいのだけれども、生産性は見えないから、高所得者に課税して低所得者に所得移転せざるを得ないのである。この場合、高生産性の労働者は労働時間を減らすことで所得を下げて、低所得者のように課税を逃れることができてしまう。このような状況下では、生産性と関連している特長(タグと呼ばれる)に応じて課税することが望ましいということになる。例えば、Weinzierlと書いたペーパーでは、背の高さ、人種、性別によって生産性は異なるので、これらのタグが異なる労働者には異なる税を適用するのがUtilitarianismの観点からは望ましいという結果が得られた。しかし、このような政策は支持されないと思う。それはなぜか?Utilitarianismという出発点がおかしいからではないだろうか。
  11. 最近はオバマ大統領による高所得者への課税強化の方針、Occupy Wall Street運動、不平等に関する数多くの書籍から見るに、政治的には左派の方に風が吹いていると感じられる。では、これらに見られる、1%上位所得者への課税強化の理由はなんだろうか。大まかに言って3つの議論が見られる。1つ目は、アメリカの税制が逆進的(regressive)になっているというものである。有名な話は、Warren Buffettに適用された税率(17.7%)が彼の秘書のに適用された税率(30%)より低かったというものである。この話は疑わしい。まずは、Buffettの所得の多くが配当とキャピタルゲインによるものであれば彼の企業が利益を出した時に既に法人所得税で課税されているので、Buffettの税率という場合には法人所得税も加味しなければ正確ではない。それに、彼のケースはかなり特殊だとも言える。CBOによると、所得の下位20%は1%しか(連邦)所得税を払っていなかった。中央の20%の所得税率は11.1%、上位20%の所得税率は23.2%、上位1%の所得税率は28.9%であった。これはかなり累進的である。
  12. 2つ目の議論は、上位所得者の所得は高い生産性を反映しているのではなく、rent-seekingの結果だというものである。この2つを識別するのはとても難しいが、大まかには上位所得者の所得は彼らの生産性を反映しているように見える。
  13. 3つ目の議論は、上位所得者は政府が供給する様々なインフラからより多くの恩恵を得ているので、それに応じてより多く納税すべきだという議論である。オバマ大統領も、例えば、インターネット関連に企業で大もうけした人の場合は、政府が作り上げたインターネットから多くの恩恵を得ていると述べている。上位20%所得者は23%の連邦所得税、州税・地方税も加えると所得の1/3くらいの税金を払っている。これでも足りないというのであろうか?
  14. もし、累進的な課税の根拠が、運よく高所得に生まれた人は運悪く低所得に生まれた人を助けるという保険的な役割なのであれば、腎臓についても同じことが言えないか?生まれつき2つの健康な腎臓を持っている人もいれば、そうでない人もいる。累進的な課税と同じ議論を適用すれば、政府は2つの健康な腎臓を持っている人に「課税」して腎臓を1つ取り上げることも望ましいはずである。ではこのような政策は支持されるか?個人的には、「人は自分の臓器に対する権利を保有する」という考え方の方が受け入れられているであろう。個人的には、Utilitarianismではなく、Just Taxation(公平課税かな)という原則の元で課税問題を考える方がよいのではと感じている。
2014年冬号に掲載されたRobert Solowによる批判のポイントは以下のとおり。
  1.  上位1%の典型的な例はMankiwの挙げたSteve Jobsのような企業家ではなくて、金融機関に勤めている。
  2. 金融機関の圧力がDodd-Frank Wall Street Reformを弱めたように、所得格差の深刻な問題点は、上位所得者が自分たちに都合のよいように政治的な圧力を使うことである。
  3. Mankiwのrentsの定義(monopoly rents)は狭すぎる。 背が高い人は生産性が高い人が多いのではなく、背が高いことでrentを享受できるからである(ということはSolowは背の高い人には高い税率が適用されるべきだと思っているのであろうか?)。
  4. 親が高所得(低所得)の場合には子供も高所得(低所得)になる確率は高まっている。
  5. 人間が、身近に感じる人(物)の幸福を重視するのは自然なことだ。このことがUtilitarianismの問題と何の関連があるのか?腎臓が「課税」されないのも、肉体に課税するのは収入に課税することより好ましく思われていないだけである。
  6. justと言い出したら、何を持ってjustとするかの問題に直面する。
同じ号に掲載されたMankiwの回答は以下のとおり (Solowのそれぞれのコメントに対応している)。
  1. Kaplan and Rauhの研究によると、上位所得者の収入の増加は幅広いものであり、データは上位収入者に有利な技術革新が起こったという仮説と整合的ということだ。金融セクターの上位収入者を過小評価しているという批判は正しいが、金融セクターの上位収入者の収入がrentsによるものだという決定的な証拠はない。
  2. Solowは上位所得者の政治的圧力を懸念しているが、上位所得者にはKoch兄弟のように右よりの人もいればGeorge Sorosのように左よりの人もいる。2008年と2012年には左よりの大統領が選出された。
  3. 個人的にはrent-seekingは懸念しているがその他のrentsについては懸念していない。
  4. Solowは社会が実力主義的でなくなってきていることを懸念しているが、社会はSolowは心配するよりも実力主義的だ。それに、才能が遺伝によって親から子に受け継がれ、かつ才能に対する報酬が高まった場合、自動的に、所得の不平等が拡大し、かつ親と子の所得の相関も高まる。
  5. Solowは結局Utilitarianismを支持しているか、どのような基準で政策が評価されるべきかについての基準を明確にしていないように見える。
  6. justが何である(べき)かは難しい問題だということには同意する。僕のペーパーを読んで経済学者が少しでもjustに興味を持ってもらえれば望外だ。
そして、今日NYTに掲載されたDefending the One Percent (Again)の要旨は以下の通り。
  1. Robert Downey Jr.はThe Avengersに主演することで50 million(約50億円)を手にした。これはThe Avengerの売り上げのたった3%である。LeBron Jamesは2013年に56 millionの収入を得た。S&P500にカウントされる企業のCEOの平均(median)は10 millionである。彼らはその高い収入にふさわしい生産性を持っている。
  2. 金融部門についても、Bernard Madoffのような残念な例はあるが、一般的には、貯蓄をしかるべき投資先に振り向けるという経済にとって非常に重要な役割を果たしている。
  3. しかも上位1%の所得者は所得のうち34%を連邦所得税として払っている。この税率は 所得の中位20%の税率(12%)よりかなり高い。
  4. 所得上位1%に属する人たちは、公共の福祉への貢献をモチベーションとしているわけではないが、結果的にそのような役割を果たしている。

Trends in Macro Job Market Candidates: 2013/2014

仕事柄この季節になると、大量のjob market candidateの情報を読まされるので、一度、今年のjob market candidateの傾向を整理しておこうと思っていた。対象としたのは、アメリカのトップ10校である。上位5校くらいは特に意見の相違もないが、5-10あたりになると人によって言ってることが違ってくる。ここでは、econphd.netのランキングに基づく上位10校のjob market candidateを対象とする。その10校とは:
1. Harvard
2. Chicago
3. MIT
4. Berkeley
5. Princeton
6. Stanford
7. Northwestern
8. Penn
9. Yale
10. NYU

である。誰を「マクロ」と定義するかは難しいが、3つくらい自分のフィールドを挙げている中でマクロが含まれている人はすべて含むことにした。これらの学生は必ずしもスターではなく、また彼らのやっていることが最近のマクロの傾向を必ずしも示しているわけではないが、まぁ、材料にはなるだろう。それに、各種の分類は、僕が彼らのjob market paperのabstractを眺めた時の印象なので、あまり信用しすぎずに、差っぴいて読んで欲しい。では以下に、これらのマクロcandidateの傾向を挙げていく。
  1. 10校からjob marketに出てるcandidateは176人(平均17.6人)、そのうち「マクロ」をフィールドに上げているcandidateは54人(31%)であった。少ないのはPrincetonで1人、多いのはPennとNYUで10人づつである。とはいえ、PennとNYUは「マクロ」の定義がかなり広いと感じられた。こいつマクロかよというcandidateもかなりいた。
  2. マクロの中でも、大まかな分野で分けてみると、理論6%、公共6%、成長論9%、住宅市場2%、マクロファイナンス(かなり流行である銀行の分析も含む)22%、マクロ労働15%、金融7%、国際マクロ9%、家計消費行動9%、景気循環15%であった。多かったトピックはもちろん、金融危機関連、金融監督政策、住宅価格・住宅ローン、ソブリンデフォルト、それに加えて、Laborでは、失業後に賃金が長期間低迷するという(最近流行している)パズルに挑戦したペーパーが多かった。
  3. データをどのように使っているかという側面で54人のマクロjob market paperを分類すると、DSGEモデル等のstructural modelをestimateしたものは7%、structural modelをカリブレートしたもの(簡単なSMMも含む)が48%、reduced formモデルを推定しているものは15%、データをまったく使っていないペーパー(どこかから取ってきたグラフしかないようなペーパーも含む)が何と30%もあった。いわゆるDSGEモデルを推定したペーパーが一時期(例えば5年前くらい)に比べて少なかったような気がする。
  4. Dynareで解けそうだという意味での、いわゆるスタンダードなDSGEモデルは13%(7本)であった。
  5. マイクロデータを使っているペーパーは19%(10本)であった。僕が覚えている限り、PSIDやCompustatのような誰でも使えるデータが多かった。それに、Austria等の、労働者側と企業側の両方のデータが組み合わさったものを使ったペーパーもいくつかあった。

おそらくはこの中にRestud Tourに参加することになるcandidateもいるだろう。それがわかったら、どの分野の論文がTourに参加したかもフォローアップする。それに、LSE等のヨーロッパの学校や、トップ20レベルの学校にも範囲を広げたいが、時間がないような気がする。