Secular Stagnation?

1990年代以降の日本の停滞や、Great Recession(大不況)後のアメリカの低成長、債務危機以来続くヨーロッパの低成長から、低成長の原因は何か、というのはマクロ経済学者が直面し続ける大きな問題である。

但し、「普通の」(教科書的という意味での)経済学の考え方からすると、長期的に経済が停滞するのは技術革新のスピードが落ちて、生産性が伸びていないからだというのが普通の考え方である。いわゆるサプライサイドが原因の停滞である。というのは、普通の(推定された)モデルによると(経済がそのポテンシャルを使い切っていないという意味での)不況は一時的なショックに基づくものであり、時間が経てばそのショックは消え、経済は「通常の」状態へ戻るからである。日本の長期的な「停滞」(かぎカッコだらけで申し訳ない)が生産性の伸びの停滞によるものでないと主張する人達にはそのベースとなるモデルがないのが不満だった。モデルがなければ、どのようなデータを見てそのモデルが優れているか、あるいは間違っているか、議論のしようもないからである。

このような状況下、サマーズが、一連のスピーチなどで「長期的停滞」(Secular Stagnation)という概念を復活させつつある。この言葉自体は、Alvin Hansenが1938年のAEA(アメリカ経済学会)の会長スピーチで言及したことで有名になったという古いもので、且つ他の人も使っていたのだが、サマーズが使い出してから流行語のようになっている。この立場のポイントは、サプライサイドに問題はなくても、経済がポテンシャルを下回る状況に安定して留まりうると主張する点である。では、このような状況はどうして起こりうるか?サマーズによると、(人口成長率の停滞など)何らかの理由で実質均衡利子率がマイナスになると、インフレ率が低い状況では名目利子率はゼロ近辺に留まる(最近扱ったフィッシャー方程式を思い出して欲しい)。その場合、伝統的な金融政策で需要を刺激したくても、ゼロ金利制約(名目金利ゼロの貨幣が存在するので、名目金利をゼロより下に下げられないという金融政策を実施する上での制約)に引っかかって、それができないということになってしまう。但し、このようなチャンネルをDSGEモデルで再現するのは難しい。まずは、マイナスの実質金利を普通のDSGEモデルで生み出すのはとっても難しい。代表的個人しかいない場合、実質金利は借り手と貸し手の関係から決まってくる(これが自然だろう)というよりも、代表的個人がどの位将来に消費を後回しにしてもいいと思うかというレート(正確に書くとsubjective discount rate)によって決まり、そのレートが例えば年率4%であれば実質金利は長期的には4%に戻ってくるからである。

EggertssonとMehrotraによる話題の論文、"A Model of Secular Stagnation"はNew Keynesian DSGEモデルの枠内でサマーズによる議論をモデル化したものである。つまり、ケインジアン的な長期停滞を生み出すチャンネルを提示したことが話題となっている所以である。彼らのモデルの革新的な点は、OLG(世代交代)モデルを使うことで、マイナスの実質金利が発生しうるモデルにしたことと、ゼロ金利制約を明示的に取り込んだこと、そして、名目賃金の硬直性を取り入れることで失業率が自然失業率より高くなりうるモデルにしたことである。以下ではこのモデルを簡単に紹介する。

もちろん詳細には立ち入らないが、(ケインジアンモデルらしく!)このモデルは上のAS-ADグラフによって簡潔に表現できる。上のグラフでは、横軸にGDP(雇用と考えてもよい)、縦軸にインフレ率(1がゼロインフレ率。1以下の数字はデフレの状況、1以上の値はインフレの状況を表す)となっている。では、AS-AD曲線の直感的説明をしてみよう。AS曲線(上の赤線)はスタンダードなものだ。経済がポテンシャル目いっぱいで生産しているときはGDPが1になると仮定されている。インフレのときは経済はポテンシャル目いっぱいで生産している。そのときは失業率は自然失業率(望ましい失業率)と考えればよい。デフレの場合はどうなるか?デフレのときは失業率は自然失業率より高まり、よってGDPもポテンシャルより低いものになる。この背後にあるのは、名目賃金の硬直性である。名目賃金がそう簡単に引き下げられない場合、デフレが起こると実質賃金は高くなってしまう。雇用者は賃金を下げたくても、下げられないからだ。よって、デフレによって高くなってしまった実質賃金に合わせて、雇用が減少し、失業率は上昇する。これらを組み合わせることで、AS曲線はインフレのときはまっすぐ立っていて、デフレのときは左下がりになる。

ではAD曲線(上の図の青線)はどのように決定されるのか?ゼロ金利制約が効いていない場合はNKモデルのスタンダードなものである。インフレ率が上がると、中央銀行はテイラールールに従って名目金利をインフレ率の上昇分より引き上げる。よって、実質金利も上昇することになる。実質金利が上昇すると、消費の需要(よって経済全体の総需要)が減少する。結果として、インフレ率とGDP(総需要)は負の関係になる。では、ゼロ金利制約が効いている場合はどのようなチャンネルが働くか?ゼロ金利制約が効いているときにはEggertsson-KrugmanのLiquidity Trapのモデルを考えればよい。インフレ率が下がってもゼロ金利制約のせいで名目金利は下げられない。よって、実質金利が下がることになる。実質金利が減少すると、お金を貸したいと思う人が減ってしまう。このモデルでは、収入の低い若い家計は貯蓄をしている中年の家計からお金を借りて消費をすることになっているが、実質金利が下がって貯蓄をしたい中年の家計が減ることで、若い家計は借りられる金額が小さくなり、よって消費も減少してしまう。借り入れ制約が効いている若い家計の消費(需要)のみが減少するので、経済の総需要は減少し、GDPは右に上がることになる。

これらのロジックを組み合わせると、ゼロ金利制約が効いていないときのAD曲線は右下がり、ゼロ金利制約が効いているときのAD曲線は右上がりになる。上の図では、長期的な実質金利が例えば2%とすると、ゼロ金利制約が効いてくるインフレ率は-2%(2%のデフレ、上のグラフでは0.98のところ)の点となっている。長期的な均衡はAS-AD曲線の交点で決まってくる。

では、最初のグラフの均衡から始めて、急に若い世代の借り入れ制約がタイトになったとしよう。若い世代は借り入れ制約いっぱいまで借りて消費すると仮定されているので、借り入れ制約がタイトになれば若い世代の消費が減少し、総需要が減少する。グラフ上は、AD曲線の左へのシフトとなって表すことができる。AD曲線が曲がる点も上がっていることにも注目。借り入れ制約がタイトになって借り入れの需要が減ると借り入れ需要をまかなうために必要な均衡の貯蓄も減少する少ない貯蓄を均衡で達成するためには実質金利が下がらなければならない。実質金利が一般的に下がると、フィッシャー方程式(名目金利=実質金利+期待インフレ率)から、ゼロ名目金利を満たすインフレ率も上がらなければならない。よってゼロ金利となるインフレ率(AD曲線が曲がる点)が上昇するのである。

ここで面白いのは、この経済の均衡(AD-ASの交点)がインフレに対応する点からデフレに対応する点に移るということだ。デフレを実現する均衡はAD曲線が曲がってなければありえない(よって普通の(教科書的な)モデルでは発生しない)がここでは、AD曲線が曲がっていることによって、AD曲線のシフトがインフレ均衡からデフレ均衡へのジャンプを生み出すのが新しい。しかも、この均衡は長期均衡なので、デフレの均衡に経済はとどまり、失業率は自然失業率より高く安定することが可能となる。このような状況がサマーズの言う「長期的停滞」に当てはまるというわけだ。実際、ゼロ金利制約によって伝統的な金融政策は効かないし、デフレになっている。

では、このような均衡に経済が陥った場合、どのような政策によって経済を失業率が自然失業率を上回るデフレ均衡から自然失業率を伴うインフレ均衡に戻すことができるのか?手っ取り早いのは、若い家計の借り入れ制約を緩めて若い家計の消費を増やし、AD曲線を再び右にシフトさせることである。あるいはターゲットとするインフレ率を高めることでAD曲線が曲がる点を右に引き上げることができる。下の図が、インフレ率のターゲットを引き上げたときの効果を示している。この場合、デフレ均衡は残り、複数均衡が発生する。前に取り上げたPerol of Taylor Ruleと同じような状況となる。

あるいは、財政支出を増やしたらどうなるか?財政支出の増加は古典的なAD曲線のシフトなので、下の図のように示すことができるこの場合、デフレ均衡は消滅し、インフレと自然失業率を伴う均衡に経済を戻すことができる。
まとめると、彼らのモデルでは、借り入れ制約が急にタイトになったりすると経済がデフレと高い失業率を伴う均衡に陥る可能性がある。ここで重要なのは、このような均衡のシフトは生産性の変化などを伴わないということである。サプライサイドの問題であれば、典型的な処方箋は、生産性を高めるための規制緩和、労働市場の改革なのだが、このペーパーのストーリーに従えば、デフレ均衡を脱するには、財政支出の拡大、あるいはインフレ率のターゲットを高めるといった、ニューケインジアン的な政策が処方されることになる。

このペーパーは注目を浴びていて、いろいろな学会でいろいろな批判が寄せられているようだが、 それらについてカバーするのはやめておく。問題はあるとしても、面白い試みだと思う。日本でも、例えば10年位前にこのようなモデルが作られていればなぁ、と思う(もしかしたらあったけど気がつかなかっただけなのかもしれない)。もう一つコメントすると、こういうモデルを前提に議論するのであれば、経済が完全雇用に近づくにつれ、実質賃金は下がらなければならない。雇用水準が完全雇用より低いのは、名目賃金の硬直性のせいで、実質賃金が高止まりしているからである。よって、失業率が改善している(あるいはフルタイムの雇用が増えている)のであれば、名目あるいは実質賃金が上がらないことについて、文句は言えない。このモデルによるといいことだからだ。

Quality Trade-Down and Employment

Nir Jaimovich, Sergio Rebelo, and Arlene WongのNorthwesternグループによる論文"Frugal Consumers and the Labor Market"が面白かったので簡単に紹介する。

2007年から2012年まで続いた大不況(Great Recession)によって、アメリカの消費者の所得は大きく減少した。平均的な(medianでみた)家計の収入は約10%も落ち込んだ。このような所得の下落に対して消費者はどのように対応したであろうか?これまでの研究では以下の3つの消費者行動に焦点が当てられてきた。
  • すべての財・サービスに対して消費支出を切り詰める。
  • 耐久消費財(家電や自動車)の買い替えを延期する。ここ1-2年アメリカにおいては自動車の売れ行きが大変好調であるが、この背景には車の買い替えを控えていた消費者が一気に押し寄せているという背景がある。
  • 安い商品(セール)を探すのに時間をより費やす。これによって売り手側のマークアップが減少した。
このペーパーでは、新しいチャンネルを紹介する。そのチャンネルとは以下のものである:
  • 購入する商品の構成を変える。特に、ぜいたく品(luxuries)から必需品(necessities)へシフトさせる(「カテゴリーの下降シフト」)。
  • それぞれのカテゴリーの中の構成を変える。特に、より品質の高いもの方品質の低いものへシフトさせる(著者らはこのような行動を「品質の下方シフト」と呼ぶ)。
このペーパー第1のポイントは、大不況時のデータで実際にこのようなことが起こったことを示していることである。わかりやすい例として、レストラン産業を見てみよう。まず、彼らは、以下のグラフで、大不況の際に、外食から家で食べるほうに消費パターンがシフトしたことを見せた。

大不況の時期に、食費全体の支出(オレンジ色の線)はもちろん減少したが、外食での支出(濃紺の線)の方が大きく減少していることが見て取れるだろう。家での食事のための支出(水色の線)も下がっているが、外食ほどは下がっていない。 これが彼らのいう「カテゴリーの下降シフト」である。それと同時に、「品質の下降シフト」も起こっている。外食支出の中での構成を見たのが以下のグラフである。
フルサービスのレストランの支出(緑色の線)が大きく減少する一方、限定的サービスのレストラン(ファーストフードと考えればよい)の支出(ピンク色の線)はそれほど減っていない。つまり、外食のカテゴリーの中でも、フルサービスからファーストフードへのシフトが起こっているのだ。

ここでは、レストランだけを見てきたが、ほかにもカテゴリー内のシフトを見ることができる産業があるので、それらの変化を整理してみたのが以下のグラフである。下のグラフは、いくつかのカテゴリーの中で、2007年から2012年の間に、高品質(オレンジ色)、中品質(薄い青)、低品質(濃紺)の3つのカテゴリーのマーケットシェアがどのように変化したかを示している。もちろん3つ足し合わせればゼロである。
外食(右から2番目の棒グラフ)では高品質のレストラン(オレンジ色)はあまり変化していないが、中品質のレストラン(こなれない日本語で申し訳ない)のマーケットシェアは2007年から2012年の間で13%くらい落ち込んでいるのが見て取れる。その分シェアが増えたのが低品質のレストランである。ちなみに、レストランやホテルなどの「品質」を決めるにあたってはYelp(何にでも評価をつけるぐるなびのようなものである)のデータ(例えばレストランの場合、ユーザーはドルマークの個数でレストランの「格」を評価するが、そのデータを使ってレストランを「格付け」している)を使っているのが面白いところだ。General Merchandise Stores(一番右の棒グラフ)というのはどこのスーパー・デパートで買い物をするかというシェアの変化を示している。高級・中級スーパーから低級スーパーへのシフトが起こっているのが見て取れる。データのある6つの産業の平均を見ると(一番左の棒グラフ)、高品質のものへの支出にははっきりとしたパターンが見て取れないが、一般的に、中品質から低品質へのシフトが起こっていることがわかるであろう。

ここまでが、このペーパーの第1のポイントである。もうひとつ面白いポイントは、高品質のものほど、資本より労働を多く使うというデータを示したことである。イメージとしては、高級なブティックとかであれば店員が多くいて顧客の世話をするが、安売りスーパーとかでは、客はほおっておくので接客要員があまり多くはいらないと考えればよい。もし不況によって、高品質のものから低品質のものへ需要がシフトするとどうなるか。低品質のものは労働よりも資本を多く用いるので、労働需要が減少し、雇用の減少、賃金の低下を引き起こすのである。もちろん、不況が起これば雇用は減少し賃金は下落するのであるが、この、高品質なものから低品質なものへのカテゴリー内の需要のシフトが起こることで、労働需要の減少がさらに拡大するというのが彼らの主張するチャンネルである。

では、一例として、彼らの主張が一番きれいに出ているスーパーマーケットのデータを見てみよう。
上の図は、それぞれのスーパーマーケットで、ある一定の売り上げを生み出すために何人の従業員を必要としているかを示していえるものである。一番高品質のWholefoodsは一番低品質のCostcoに比べて同じ売り上げを生み出すために約3倍の従業員を使っているというのがこのグラフから見て取れる。まぁ、ほかの業界はこれほどきれいなデータとなっていないけれども、まぁしょうがない。それにCostcoは低品質なのではなくて、単にまとめ買いができるから安いのだと思うけれども。

最後に、彼らは、このような「カテゴリーの下降シフト」と「品質の下降シフト」を取り込んだRBCモデルを構築して、このような効果が、不況の際の雇用の減少をどのくらい増幅するかを計算している。 この計算はおまけのようなものなので省略する。Labor Marketに関するおもしろいfactsを持ってきて論文に仕上げるのがうまいJaimovichらしい論文である。

Theory of Default Contagion

Euro Zoneの周辺国(ギリシャ、アイルランド、スペイン、イタリア)の政府がデフォルトする可能性が同時に高まったことは記憶に新しいと思うが、政府がデフォルトするときにはいくつもの政府が同時にデフォルトすることが多いことが知られている。このようなデータの特性はどうやったら説明できるであろうか?すぐに思いつく説明は以下のようなものだろう。
  •  多くの国を襲うショックは何らかの理由で相関している。ある国が不況におちいると他の国も不況に陥ることが多い(correlated shocks)。
  • 上のことと関連しているが、ある国がトラブルに陥ることでその国と近い関係にある他の国の状況について投資家は学ぶことがあるかもしれない(learning)。
  •  ヨーロッパにおいて顕著だが、多くの国は同じ政策を実施していたりする。アジア通貨危機の前も、多くのアジアの国々が短期の外貨建て融資を増やしていた。その共通する政策が危機を引き起こすとすると、同時にいくつかの国が危機に陥ることになる(common policy)。
 Arellano and Baiによるペーパー(Linkage across Sovereign Debt Markets)では、新しい理論を提案する。その理論は以下のようなものである。
  • いくつかの政府が同じ政府(あるいは同じ国の銀行)から借りていて、借り入れ政府が貸し手と同時に交渉する場合、ある借り手がデフォルトした時には他の政府もデフォルトするインセンティブが高まる。その結果、デフォルトが起こる際には多くの政府が同時にデフォルトすることになる。
なぜ上で挙げたようなリンクが起こるのか。ドイツがスペインとギリシャに貸しているとしよう。ギリシャがたくさん借りてしまって、ドイツに対する債務のデフォルトを考えているとしよう。ギリシャがデフォルトすると貸し手であるドイツの消費は落ち込むことになる。返済されると見込んでいたローンが帰ってこない分、消費が少なくなるからである。このような状況下で、スペインにもデフォルトされると、ドイツの消費はさらに落ち込むことになる。よって、ドイツの交渉力が弱まるのである。この状況でスペインとドイツがデフォルト後いくら返済するかという交渉を行うと(交渉の結果はNash bargainingで決まると仮定されている)、ドイツの交渉力が弱い分、デフォルト後に返さなければならない金額は少なくなり、スペインはデフォルトするインセンティブが高まることになる。別の言い方をすると、ギリシャとスペインは同時にデフォルトした方が、デフォルト後に返済しなければならない金額が小さくなるので、デフォルトを同時に行うことが最適となるのである。よって、このようなモデルをシミュレートすると、同時にデフォルトする頻度が高いという結果になる。

ここ10年くらい、政府のデフォルトのモデルは発展してきているが、複数の国がデフォルトするモデルを作ったのは彼らがはじめてである。しかも、strategic complementarityがあるのが面白い。

理論的には面白いが、いろいろ問題がある。
  • スペインやギリシャの政府債務がドイツの人々の消費に影響を与えるか?ギリシャなんてのはドイツから見たらとっても小さい国である。
  • 上の点と関連するが、スペインとギリシャが同時に交渉することで交渉能力を高めているという直接的な証拠はない。
  •  最初にあげたストーリー、特にcorrelated shockで、多くの国が同時にデフォルトするという状況は生み出せるはずだが、彼らのモデルでは、スペインとギリシャのショックは相関していないと仮定されている。
理論としては面白いし、複数の政府のデフォルトのモデルを構築したという意味で貢献はあるのだが、あんまり重要じゃないだろうなぁ、と思われるチャンネルを提案しているペーパーだと思う。このようなペーパーがどこに行くのか、興味津々である。いろいろなところに招待されて発表されているペーパーなので結局いいところにいくのだろう。

Self-Control Problem and Poverty Trap

詳細はぜんぜん理解できていないのだけれども、面白いペーパーだったので簡単にメモしておく。Bernheim, Ray, and Yeltekinによる"Poverty and Self-Control"という論文である。

貧困に苦しむ人は自己抑制(Self-Controlの訳語を知らないのでこうしておく。一般的に使われているものがあったら教えて欲しい。)にも欠けるという相関は広く知られている。しかし、これは相関であって、因果(何が何を引き起こしているのか)については教えてくれない。考えられる因果関係としては以下のようなものが考えられてきた。
  • 貧困に苦しんでいると、 自己抑制能力が失われてしまう(貧困→自己抑制の欠如)。
  • 世の中には自己抑制が得意な人と得意でない人がいて、得意でない人が結局貧困に陥ってしまう(自己抑制の欠如→貧困、self selection)。
どちらのケースでも、貧困に苦しむ人を助けるために、たとえば資産を与えるとしても、彼らは自己抑制能力がないのですぐ使ってしまって、 結局貧困解決には役に立たないかもしれない。このペーパーでは、別の理論を提供する。それは以下のようなものである。
  • 人々はそもそも自己抑制能力の欠如に苦しんでいるが、資産が多い人は比較的容易に自己抑制を自分にかけることができる。一方、資産の少ない人は自己抑制を自分にかけることができない。よって、前者は資産をより増やして貧困を脱出し、後者は貧困を脱出できないことになる。
つまり、ある量の資産がない人は自己に抑制をかけられないことから浪費してしまい、poverty trap(貧困のわな)に陥ってしまうというものである。このような理論を信じるのであれば、貧困のわなに陥っている人に資産を与えることでわなを脱出する手助けができるかもしれない。

このペーパーではこのような理論を構築する。キーとなるのは、消費者は自己抑制の問題を持っているということと、(アドホックな)借り入れ制約である。ちょっとテクニカルな点に言及すると、自己抑制の問題(temptation and self-control)を持っている消費者の動的最適化問題を解く際には、しばしばマルコフ均衡に限定して解くことが多い(それでも難しい)が、著者らはsubgame-perfect均衡を解くことで、上に挙げたような効果を得られると主張している。Laibsonや彼の弟子がコンピューターを使って解いているときは基本的にマルコフ均衡にのみ注目しているが、マルコフだと、ここで挙げたようなチャンネルが出てこないというのが面白い。

では、どうしてpoverty trapのようなことが起こるのか?単純なストーリーは以下のようなものだ。著者らはこのような単純なストーリーだけではなくて、もっと深いものがあるといっているが、何回か聞いてみたもののわかりやすく直感的に説明できる気がしないので単純なストーリーだけ紹介する。

消費者が自己抑制をできないということは、資産を多く持っていても浪費してその資産を使い切ってしまうということである。この場合、当初資産を多く持っている人のほうが豪遊してしまったときのダメージが大きい。そもそも10万円しか貯金がなければそれを使い切ったところでそんなにダメージはないかもしれないが、もともと10億円持っていた人が全部使い切ってしまうのは将来へのダメージが大きいというのはなんとなくわかるであろう。だから、もともと資産を多く持っている人のほうが、それを使い切ったときのダメージが大きいので(誘惑に負けたときの罰を強くできるので)、自己を律しやすいのである。

先ほど、アドホックな借り入れ制約が重要だと書いたが、アドホックな借り入れ制約がなければ、もともと10万円しか資産がない人でも、借りれえるだけ借りてしまうと、将来の消費がゼロになってしまう、効果的に自分にダメージを与えることができてしまう。つまり、アドホックな借り入れ制約がないときには、最初に10万円の試算があっても10億円の資産があっても、資産を使い切ったときのダメージが負の無限大となってしまい、両者ともに同じように効果的な自己規律ができてしまうのである(つまりpoverty trapが存在しなくなる)。

著者らはこのようなモデルから以下のような政策含意が得られると述べている。
  1. 貧困の解決のためには資産が少ない人に、 わなを抜け出すのに必要な資産を与えるという政策が効果的である。資産がそもそも多い人にはあげる必要がない。
  2. 借り入れをしやすくすることは、貧困のわな解消のために効果的だ。上で述べたように、借り入れがしやすいほど、借りれるだけ借りて豪遊したときのダメージが大きくなるので、自己規律が働かせやすくなるからである。
  3. 自己規律を助けるためのcommitment deviceを与えることは、消費者が自分自身で使っている commitment deviceを弱めることになるかもしれない。commitment deviceのクラウディングアウトのようなものである。言い方を変えると、消費者が自己抑制の問題に直面していると考えた際に問題となるのは、ではなぜ自己抑制を強めることのできるcomitment deviceを人々はもっと積極的に使っていないのか、という疑問である。彼らの理論によると、そもそも多くの人は自分自身でcommitmentをかけることができているので外部のcommitment deviceを必要としていないのだという解釈を与える。
  4. 貯蓄を促進するために退職貯蓄口座を消費者に与えることは有益かもしれない。その際には、ある一定額(貧困のわなを抜けるのに必要な貯蓄額)以上に貯蓄がたまるまでは貯蓄にタッチできないようにロックされることが望ましい。このような貯蓄口座の提供は実際に発展途上国で試験的に実施されている。
  5. このペーパーで構築された理論では、限界消費性向が消費者の資産額によって異なることになる。この理論は、データにおいて消費が過度に収入に反応する(excess sensitivity puzzle)ことに説明になるかもしれない。
最近のEconometrica (このペーパーはまだR&Rだけれども)の理論のペーパーはなんの役に立つのかよくわからないなぁと思うものが多いが、このペーパーは、理論的にとても難しいものの面白い結果を導き出していると思う。

Fisherian Theory?

日本の状況を見ると、いわゆる量的・質的金融緩和政策のGDPに与える効果が思ったほどではないことから、どうやってこのことを解釈するか、意見が分かれているようだ。大雑把には、以下のような立場があると思う。
  1. Neoclassical:そもそも金融政策はGDPが一時的にpotentialを下回っていときにそれを短期的にpotentialに近づけることくらいしかできない。日本の状況は、短期的にGDPをpotentialを下回っているというようなのんきな状況ではないので、どのような金融緩和をしても効果が限定的なのは当然。この場合は、短期の国債を買おうが長期の国債を買おうが関係ない。Forward guidanceも効果なし。
  • Liquidity Trap:名目金利がゼロなんだから国債を買ってマネタリーベースを増やそうが、日銀と商業銀行の帳簿上以外の効果がないのは当然。この解釈ならば、(長期国債を買ったりForward guidanceを使って)ゼロでない金利(長期金利や将来の金利)を動かせば実質的な効果があるかもしれない。

多分、金融政策に関わる人の間で一番スタンダードな考え方はNew Keynesian ModelにLiquidity Trapを組みあわせたものだと思う。名目価格はStickyなので一般的には金融政策は実質経済に影響を与えうるんだけれども、Liquidity Trapのせいで、伝統的な金融政策の効果が発揮しづらくなっているというものだ。

 Cochraneはこれとは違った、Fisherian Theoryを考えているようだ(余談だけれども、人の名前しかついていない理論というのは胡散臭いといつも考えているのだけれども、今回は例外としておく)。彼の議論は、有名なPeril of Taylor Rulesと関連している。この理論では以下のフィッシャー方程式を重視する。
  • 名目金利=実質金利+期待インフレ率
実質金利が低く安定していて(例えば1%)、名目金利が0.25%で安定していれば、期待インフレ率はー0.75%、つまり、マイルドなデフレじゃなければフィッシャー方程式は成立しない。もし、期待インフレ率が名目金利にひきずられるのであれば、名目金利を例えば3%に上げれば、実質金利が動かなければインフレ率は2%に落ち着くはずだという考え方である。このような仮定の下で、Cochraneは名目金利を上げることでGDPを増やすことができるモデルを提示している。つまり、日本の状況でも、政策金利を引き上げればインフレ率も高まり、GDPも増えるのである。

この議論は普通のNew Keynesianのロジックとぜんぜんちがう。大きな違いは、New Keynesian Modelでは、 名目金利を引き上げると、価格の硬直性と需要サイドの効果によって、実質金利も上がってしまうということである。実質金利が上がると消費(といわゆる経済の総需要)が減少することになる。名目金利の引き上げはGDPの減少を引き起こす。

では、このような違いは何で生み出されるのか?Cochraneの新しいペーパー(Monetary Policy with Interest on Reserves)は(読んではいないけれども)その違いを説明することが目的のひとつであるようだ。彼は、New Keynesian Modelでは、政策金利が変更されると、自動的に財政政策も実施されることが暗に仮定されており、その仮定をはずすとFisherian Theoryと整合的なモデルとなるとブログで議論しているが、読む時間がないのでこれ以上は踏み込まない。学会では見たことがないけれどもブログで活発に金融政策について語っている人たちがいろいろコメントしているようなので、いつものようにhimaginaryさんがいつか整理してくれると期待している。

(More) Random Thoughts on Consumption Tax

あまり考えずに、消費税に関する議論で気になることをつらつらと書いておく。
  1. これは経済学の議論ではないけれども、正直言って、消費税引き上げがまだ凍結されてないことに驚いている。これまで散々、消費税を上げるのは不人気だと思い知らされてきたのにだ。もし僕が今現在の人気だけ気にする政治家であれば、消費税の再度引き上げは絶対に阻止するとか言いたくなると思う。もしかしたら、ブログやツイッターとかで見かけるほどには反対意見が強くないのかもしれない。あるいは、政府は、近い将来のデフォルトの危険性を真剣に憂慮しているのかもしれない。いづれにしても驚きだ。
  2. 経済成長率が予想より減速しているから、今は消費税を再度引き上げるのにいい時期ではない、景気が回復してから引き上げようという意見をよくみる。だが、消費税率を上げる最適な時期に関する理論があるのか?おそらくは消費税を上げることで現在の消費者から将来の消費者へ所得移転を行うことになるので、(NK的なdemand-side effectがあると考えれば)いつ上げようが、GDP成長率は減速する。予想より原則が激しかったか緩やかだったかなんてのはbig pictureを考えれば大した話ではない。失業率だってそんなに悪くはない。景気が比較的よいときに引き上げる方が社会厚生の面で優れているという理論があるなら知りたい。景気の悪いときには消費税引き上げの(負の)効果がamplifyされるようなモデルがあれば面白いのだけれどもそういうモデルも見たことがない。
  3. 特に、消費者のheterogeneityがあってborrowing constraintに引っかかった消費者がいるようなモデルを作れば、borrowing constraintに引っかかっている消費者が少ないときの方が消費税引き上げによる悪影響は小さいという結果が得られる(よって消費税引き上げの「最適な」タイミングについて議論できる)だろうが、NK-DSGEモデルのような、完備市場のモデルではそういう議論はできない。アドホックにhand-to-mouth型の消費者が一定数いるモデルを作ればそういう効果は出せるがhand-to-mouth型の消費者の数が外生的に決まるようなモデルでは面白くもなんともない。
  4.  そもそも、消費税を引き上げて財政状況を改善しようというのは長期的な視野に基づいた話で、短期的にGDPが上がった下がったなどという話と比べるようなものなのかという感じがする。目先のGDPの動きにとらわれないで、長期的に社会保障制度が維持できるようにするために消費税を引き上げさせてもらいます。短期的には可処分所得が減って申し訳ありませんが、将来のために我慢してください、という議論で押し切れないものか?
  5.  それに、財政の引き締めを実施せずに、金融政策の緩和だけを行って、経済成長率が安定的に上昇することが期待できるのか?金融政策にできる(かもしれない)のは、短期的な経済成長率の変動を抑えることだけで、ものすごい成長を引き起こすことではない。過去15年も比較的低成長が続いているのであれば(このことも議論の余地があるが)、金融政策を動かしたくらいではその状況からはあまり劇的に改善しないような気がする。
  6. 将来的な経済成長率のトレンドを引き上げようという場合には、 どちらかというと労働市場などの規制緩和や人的資本蓄積のスピードを高める方が常套手段だと思う(もちろんこのような政策の効果は明らかでなく、あったとしても時間がかかるので見えずらいと思う)が、そういうことを本腰を入れて取り組む様子は見えない。労働市場などの規制緩和といったrealな政策を実施せずに、nominalな政策だけで、GDP成長率が回復するのを待っていたら、いつまでたっても「消費税を上げる最適なタイミング」は訪れないのではないかと心配になってしまう。ちょっとGDP成長率が上がったくらいでは、景気の腰を折るから、とかいうこれまたわけのわからない議論で、消費税率引き上げは見送られそうだ。

Diamond-Saez vs. Mankiw

Diamond-Saezのペーパー(JEP2011)の最後では、Mankiw-Weinzierk-Yagan (JEP2009)で挙げられた最適課税理論のから得られた8個の教訓について、評価を下している。これを簡単にみていこう。

(1) 最適な限界税率のスケジュール(日本語が思いつかないのでスケジュールのままにしておく)は能力(個人の生産性)の分布によって決まってくる。
→同意する。

(2) 最適な限界税率のスケジュールは高所得者については所得が上がるにつれて低下するかもしれない。
→強く反対する。
理由:この結果は、シンプルなモデルで、能力の分布として右のテールが細いlog-normalを仮定した時に得られるもので、モデルが変わっても維持できるような一般的な結果ではない。テールが太いパレート分布を仮定したときにはこの結果は得られない。高所得者の所得をより正確に把握すると、テールはlog-normalより太いといえる。

(3) 定額補助金(lump-sum transfer)+定率課税(いわゆるFlat Taxといわれる税制)は最適な税制に近いかもしれない。
→強く反対する。
理由:この結果は、何時間働くか(intensive margin)という選択のみを 含んだモデルから得られるものである。何時間働くかという選択に加えて、働くか働かないかという選択(extensive margin)も含んだモデルを考えると、働くか働かないかの境界近くにいる労働者に働くインセンティブを与えるために、低所得者には補助金を与えつつも、中所得者に与える補助金はだんだん少なくするほうが最適となる。

(4) 最適な所得再配分の度合いは所得の不平等の度合いとともに上昇しなければならない 。
→同意する。

(5) 税率は所得とともに、個々人の特徴に応じて変化するべきである。
→幾分反対する。
理由:例えば背の高さやルックスに応じて課税することには、実施可能性や社会的に受け入れられるかと言う問題がある。税率は所得以外には、家族構成や障害の程度といった個人の特徴に応じて変化させる必要があるだろう。

(6) 最終財のみが課税対象となるべきであり、財の間では税率は一定であるべきだ。
→幾分反対する。
理由:付加価値税(所得税)の税率は基本的はすべての財において一定であるべきだが、いくつかの例外は認められるかもしれない。実際の税制においては例外が多すぎる。

(7) 資本収入(金利収入と考えてもよい)は課税されるべきではない。
→強く反対する。
理由:この結果は、個々人が長期にわたる消費計画についてすべてを計算した上で設定し、それに従って消費を実施していくという仮定に強く基づいているが、最近の行動経済学の研究結果は、このような仮定が非現実的であることを示している。もうひとつ重要な仮定は、個々人はその子孫の効用も十分に考慮した上で消費を実施する(ので個々人のとその子孫はひとつの永久に生きる個人のように見ることができる)言うものだが、個々人がその子孫とそのように綿密につながっているという仮定が成り立っているかというと疑わしい(このペーパーでは言及されていないが北尾さんのAERはこの仮定がない状態(OLG)で資本収入を課税することが最適であることを示したペーパーである)。

(8)ショックが存在する動的な経済においては、最適な課税体系はとても複雑になる。
→幾分反対する。
 ショックがある状態では最適な税制は複雑になることは同意する。最適な課税体系を実施するためのメカニズムがどのくらい複雑になるか(複雑なものが存在してもそれより簡単なメカニズムがないとは言えない)についてはわかっていないことが多い。

How to Go from Basic Research to Policy Recommendations

またまたあいてしまったが、夏はしょうがない。気長にゆっくり書いていこう。

Pikkertyの本が話題になって以来(というか所得分配に関するより詳しいデータが利用可能になったのを受け)、高所得者にどのように課税するかという話が再び学会でも盛り上がっている。NBERの夏の学会でもこの話題に関するペーパーをいくつか見たので、それについて書こうかと思っていたのだが、そのまえに、まずは、重要文献であるDiamond and Saez (JEP2011)をまたぺらぺらとめくっていたら、いいパラグラフが目についたので、それについて書いておく。高所得者に関する最適課税の話はまた今度。

最適課税の話をするためには、抽象的なモデルを組んで、そのモデルにおける社会的効用を定義し、その社会的効用を最大化する、という手続きを経ることになる。その次に、様々な抽象化がなされたモデルから得られるインプリケーションを実際に政策提言に生かしたいのだが、ここにはジャンプがある。こういう状況で、どのようなことを考えて、モデルのインプリケーションを政策提言に結び付けたら言いのだろう。著者らは、以下の3つの条件が満たされた時のみモデルから得られる結果を実際の政策提言に用いるべきだと主張している。

(1) モデルの結果はデータと整合的で(empirically relevantの訳)非常に重要なメカニズムに基づいている。

(2) モデルの結果は、モデルの前提を変えても大きく変わらない。特に重要な前提は「合理性(rationality)」と「同質性(homogeneity)」である。現実の世界では、異質な主体(消費者、企業、金融機関等)が存在(heterogeneity)しており、それぞれは必ずしも通常の経済モデルで想定されるように完全に合理的ではない(limited rationality)かもしれない。よって、合理性や同質性に決定的に依存している結果は、実際の世界に対する政策提言として適切ではない。

(3) 政策提言は実施可能(implementable)でなければならない。言い換えると、政策提言は社会的に許容されるものでなければならず、複雑すぎて政府に実行できるとは思えないものは好ましくない。

前者について言うと、身長やルックスに基づいて税率を決めるというようなものは多分どの国でも社会的に受け入れられないであろう。後者について言うと、最近流行っている(流行っていた?)New Dynamics Public Finance(NDPF)系のモデルに基づく政策提言は、むちゃくちゃ複雑な課税方法が最適となることがあるので、気をつけなければならない。もちろん、このような批判を受けて、最近のNDPFのペーパーでは、最適な課税方法はこんなに簡単なものです、とか、最適な課税方法は複雑だけど、それに近い簡単なスキームでも十分に最適な社会効用に近い結果が得られます、というアピールの仕方をする論文が増えている。